56話 地下


 地下へと続く階段は進むにつれ日の光を遮り、暗く暗くなっていく。僕らは携帯端末のライトを点けて、足元を確認しながら進んでいった。


 コンクリートがむき出しになった床にはうっすらと泥が被っており、油断すれば足を滑らして転げ落ちてしまいそうだ。大雨が降った時に、雨水と共に流れ込んだのだろう。


 階段を降り切った先は左右に道が続いている。


「どっちに行けばいい?」


「土疼柊の部屋は左ですが、鍵は右の先に有ります」


「……地下に降りる階段はここだけなの?」


「たぶんそうだと思います。少なくとも、僕は他の道を知りません」


 もっとも、ここを遊び場にしていた僕らが知らない道があるとすれば、それは隠し階段のようなものになるだろう。そんな推理小説のようなものが会社の拠点に存在しているとは考えにくいが、土疼柊の部屋のようなものが作られているのだ。常識を逸脱したものがあっても不思議ではない。


「そう。なら私はここに残って、追手が地下に入って来れないようトラップを仕掛けるわ。二人でその鍵を取りに行って頂戴」


「そうだな。よし、とっとと行くぞ」


「はい」


 僕と田中はライトに照らされた廊下を右に曲がり進む。残った佐藤はトラップを仕掛けるというが、一体何をするつもりなのだろうか。


「その鍵ってのは、すぐに見つかるものなのか?」


「ええ、そこを曲がった先の自動販売機に隠されています」


「自動販売機? どうしてそんなところに鍵が?」


「……知りませんよ」


 疑問にも思った事が無かったが、確かにどうして自動販売機の釣銭の取り出し口に鍵があったのだろうか。土疼柊の部屋が三家にとって重要な場所ならば、その部屋の鍵はもっと厳重に保管されているものではないのだろうか。


 もしかすると、真治がこっそりと持ち出した鍵をあの場所に隠していたのかもしれない。悪知恵の働く真治らしいといえば、真治らしいか。


「あっ」


 僕はふとある事を思い出し、思わず声が漏れる。


「どうした?」


「い、いえ」


 田中には曖昧に誤魔化したが、そういえばあの時、真治の指示を受けて鍵を返しに行ったのは僕だった。


 そこで何か異常なものを見て、その場に鍵を落としてしまったのだ。真治には鍵は元の場所に返したと嘘をつき乗り切ったが、今は別の懸念を抱いてしまう。


 僕は足元の泥を見る。もしも定期的に雨水がこの地下に入り込んでいたとすると、あの鍵がどこかに流されてしまっているのではないか。仮に流されていなかったとしても、雨水と泥で錆び付いて、鍵としては使い物にならなくなっている可能性が高い。


 それらの懸念から守るために、真治は或る程度の高さがある釣銭の取り出し口に鍵を仕舞っていたのだろう。まさかあの時のミスでこんな事になるなんて、当時の僕は思いもしなかった。


 そんな事を考えているうちに、廊下の曲がり角まで辿り着いてしまう。


 もしかすると何かの間違いで、鍵が使用できる状態で生き残ってはいないだろうか。そんな期待を心の中で抱きつつも、一応田中には正直に言っておかなければ。


「あの……一応言っておきたい事があるんですけど」


 僕は振り返って声をかけようとする。しかし、そこに田中の姿は無かった。


「えっ?」


 これは一体どういう事だろうか。田中の足音は振り返る寸前まで聞こえていたし、この場から離れるような気配は感じられなかった。それどころか、田中の持つ携帯端末の光も見えていたように思える。


 それが今では僕一人分の光しか見えない。背後の足元に光を向けてみると、田中の足跡は僕の背後で途絶えていた。念のため天井にも光を向けてみるが、表層が剥がれ落ちたボロボロの天井と、かつては蛍光灯が嵌められていたと思わしき窪みがあるばかりだった。


 これは一体どういうトリックなのだろうか。いや、そもそも田中が僕の傍から姿を消す動機は何だ? 考えられるとするならば、幽霊や妖怪といった存在を疑っている僕に超常的なものを信じ込ませようとしている事ぐらいだろうか。


「……ふざけた大人だ」


 誰に問なく呟きつつ、僕は自動販売機に向けて歩みを進める。協力者には不安を覚えるが、ここに来た目的はあくまで土疼柊の部屋に行き、美麻ちゃんとの約束を果たす為だ。そこで一体何のために友達を殺していったのか問い詰めてやる。


 一人になった心細さからか背筋に冷やかなものを感じながらも、勇気を振り絞って歩みを進める。


 一歩二歩、歩みを進める度に、どういう訳だか妙な懐かしさを感じる。何というか、昔の空気というか、ようやく地元に帰ってきた感覚のようなものを覚える。


 恐怖心はすっかり失せた時、僕の目の前には古ぼけた自動販売機があった。床から支える支柱が折れているらしく、筐体は斜めに傾いている。何かの拍子に倒れてこないか心配しつつ、その周辺の床を調べる。案の定、鍵は見つからない。


 何かの間違いで元の場所に鍵が戻されていたりしないか。最後の望みをかけて、自動販売機へと手を伸ばす。


 やはりと言うべきか、そこに鍵は無かった。


「……どうしようかなぁ」


 途方に暮れつつ背後に光を向けると、廊下の先に三つの影が伸びた。

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