53話 羽廣風
「なんですか!? 手を放してください!」
僕は田中に激高した。一体どうしたというのだろう。まさか、風ちゃんを傷つけたのが仲間の女だったことがバレたのだろうか。
「待て、逃げるぞ。あれは俺の手に負える相手じゃない」
田中に睨まれていたのは僕だとばかり思っていたが、どうやら視線の先はその先。つまり、あの影法師を睨みつけていた。
影法師が蹴り飛ばした物は、僕らの数十段先で動きを止める。
「うっ!」
僕はそれを見た瞬間に、吐き気と目眩が引き起こされる。
「……先輩」
それは砂埃にまみれ、鮮血をまき散らす風ちゃんだった。腹部の傷からは、生々しい色の管のようなものが伸びている。
「あ、ああ。風ちゃ」
「行くな!」
僕は夢遊病患者のようにおぼつかない足取りで階段を登り風ちゃんの元へ向かおうとする。それを田中が腕を引っ張り止めた。
「お前の友達はもう助からない。あの階段の先で待ってる女がハラサシだ」
見上げる先の鳥居の下。影法師がゆっくりと階段を降りて来る。
「あら。誰かと思えば、あの時見逃した詐欺師さんじゃん。エイジ君、その男は危ないからこっちに来て」
影法師が逆光から逃れ、その姿が顕わになる。血で汚れた白いワンピースにつばの長い日よけの帽子。すらりと伸びた四肢。くっきりとした顔のパーツに、僅かに金色を帯びた瞳。田中がハラサシだと言ったその人は、僕の幼馴染である美麻ちゃんだった。
「えっ!?」
美麻ちゃんは刃渡りが二十センチはあると思われる重々しいナイフを携えて、僕らの方へ一段一段階段を降りて来る。
「早く逃げるぞ!」
田中に手を引かれるも、目の前の光景が受け入れられず僕の足は動かない。一体だれが風ちゃんを傷つけたのか。探偵も推理も必要ない現行犯。そして次の犠牲者は僕。
恐怖と困惑と、なぜだか少しの多幸感の中、鳥居の陰から何かがこちらの様子を覗っている事に気づく。
背の小さな、おかっぱの女の子。だけれど、顔のあるべき場所にぽっかりと黒々とした穴が空いている。度々僕の家で見かけた、あの幽霊だ。
僕が何かに気を取られている事に気づいたのか、美麻ちゃんは僕の視線の先を見る。
「……何で?」
美麻ちゃんの動きが止る。彼女にとって子供の霊の存在が意外だったらしい。
「おい、今のうちに!」
田中の声に促され、ようやく僕の足は動いた。階段を勢いよく下るのは、疲弊した足では至難な事だったが、転びそうになりながらも何とか歩みを進められた。
美麻ちゃんは距離が離れたからなのか、僕らを追っては来ず、代わりに僕に向けて言葉を投げかけた。
「エイジ君、あの場所で待ってるからね」
そして美麻ちゃんは、あの女の子が居た鳥居の影を睨みつけ、階段を登って行った。対して僕は、田中に連れられ階段を下る。
「追ってこないのか。今のうちにこの場所から離れるぞ」
「待って! 風ちゃんがまだ……」
「救急には連絡してある。運が良ければ助かるだろう」
運の良し悪しで生死が決まってたまるものか。そう言ってやりたかったが、戻ったところで僕にできる事は無いだろう。一縷の望みの賭けて、今は自分の命を優先するべきかもしれない。
駐車場に戻った僕らは車に乗り込む。田中が運転席で僕が助手席だ。エンジンがかかり、勢いよくアクセルが踏み込まれる。
「アイツ……襲ってきたかと思えば戻りやがって、何がしたいんだ」
「たぶん、私を狙いに戻ったんでしょうね」
突然後部座席から声がして、ぎょっとして後ろを見る。そこには、以前田中と一緒に行動していた女が何食わぬ顔で座っていた。
「うお! びっくりさせるなよ」
「仕方ないじゃない。境内でハラサシに追われてたんだから。アナタ達が気を引いてくれたおかげで、命からがら逃げてこれたのよ」
よく見ると、彼女の服は土のようなもので薄汚れていた。あの階段での出来事の最中に、どこか別の斜面を下って来たのだろう。しかし、車の鍵は一体どうしたのだろう?
「それより、ハラサシはどうして境内に入れた? 子供の霊が居たぞ。ここら一帯には、怪異は入って来れないんじゃないのか?」
「さあ。怪異は本来入れない聖域に入るためには、そこの主から招かれる必要があるわ。さしずめ、あの神社の関係者に呼び出されたんじゃないかしら? あのハラサシが怪異じゃないって私の説は間違っていたみたいだし」
「ほう、宗旨替えか? 殊勝な心掛けだな。何があった?」
「バカにしないでよ。……納屋に逃げ込んだ時、窓や隙間は無かったのに中にあの女が待ち受けていたの。たぶん、瞬間移動みたいな事が出来るのかも。家弓太一の犯行も、きっとその力によるものね。おかげで濡れ衣を着せられて、堪ったものじゃないわ」
「おいおい。そんな事されちゃあ、車で逃げたって意味がねぇだろ!」
「安心しなさい。追ってこないって事は、今はその力が使えないって事じゃないかしら? 他の犯行でも多用していなさそうだし、回数制限でもあるんだと思うわ」
「ふん、その制限付きの力を使ってもらえるとは、随分と気に入られたらしいな」
「ええ。私の力を警戒されたのかしら? 田中は良かったわね、マヨイガから逃げる時に力を使われなくて。無能だと判断されて命拾いしたわね」
「あの……一体何の話をしてるんですか?」
柄になく饒舌な田中を横目に、僕は絞り出すように声を出す。目の前で友達が友達を殺す現場を見てしまい、なんだか現実味が無い。そのうえ、正体の知れない二人が訳の分からない話をしている。
「藍川英司君ね。佐藤よ、よろしく。さっそくだけれど、土疼柊の部屋って言葉に心当たりはない?」
説明は無いのか。僕は半ばあきらめの気持ちで答える。
「知っていますよ」
そこは僕達がカオリちゃんの死体を隠した場所なのだから。
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