48話 仮説


 僕は困惑……いや、混乱していた。


 黒猫亭のボックス席で、健太に電話を掛けたら怪しげな人物が電話に出た。それだけでも不可思議な話なのだが、あまつさえその相手が僕のことを知っており、ここ黒猫亭で会ったことがあるのだと言う。


 いや、確かに黒猫亭で怪しげな男に連絡先を渡された記憶はある。その男が田中と名乗ってたことも覚えている。しかし、一体どうして健太の携帯に電話をかけて、田中が出るのだろうか。


 様子がおかしいと察したのか、風ちゃんが口をパクパクさせながら携帯端末を押すジェスチャーをする。一瞬何の事かと思いながらも、すぐにそれがスピーカーにしてくれという合図だと悟り、テーブルの上に端末を置いてスピーカーボタンを押した。


「おい、俺の事は覚えているか?」


「ええっと……まあ、一応」


 端末の向こうからは「ふう」とため息をつく声が聞こえた。


「いいか、落ち着いて聞いてくれ。俺は今、指原真治の依頼で垣谷健太の身柄を追っている。自宅には居ないようだし、お前は奴がどこに居るか知らないか?」


「真治が?」


 思わず声に出たのは、健太の事ではなく真治の方だった。田中も僕の反応が意外に思ったのか、聞いてもいないのに事情の説明を始める。


「俺もクライアントと話して、指原真治が友人の事を心配するような人間ではない事は理解している。だが、家弓夫妻が殺された件に何か思い当たる節があるらしくってな。だが、警察では扱えない事情があるらしく、俺の事を頼ってきた」


「あの……こんな事、迂闊に言っていいのか分かりませんが、真治がさっき人身事故に巻き込まれまして……」


 僕はおずおずと言う。


「なんだって!? あのバカ、本当に国蒔に……とにかく、少しでも情報が欲しい。今どこに居る?」


「あっ、ええっと……」


 ちらりと風ちゃんの方を見る。スピーカーにしたものの自分の存在は隠したいのか、一言も声を発さずに聞いていた風ちゃんだが、その眼光は鋭く僕の端末を睨みつける様に見ていた。


 僕の視線に気づいた彼女はOKのジェスチャーを向けてきた。


「今、ちょうど黒猫亭に居ます」


「一人か?」


「いえ……後輩と一緒です」


「後輩……羽廣風か?」


 その名前が出た瞬間、風ちゃんの顔には驚きの表情が浮かぶ。見ず知らずの人間に自分の名前を知られているという状況は、全く持って不愉快極まりないだろう。だが、その口元には笑みを浮かべている事に気づき、なんだか目の前の後輩が異様で不気味な存在のように感じられた。


「あー、えっと……どうしてその名前を?」


「一人だけ年下の仲間が居る事を指原真治から聞いた。いいか、俺がそっちに着くまでその場を動くなよ。次はお前たちの誰かが殺される可能性もある。後、何かあったら俺の携帯の番号に電話しろよ。……番号は教えたよな?」


「あっ、それが番号はあの後友達に燃やされまして……」


「燃やされた? まあいい。一度だけ言うからちゃんとメモしろよ」


 風ちゃんが携帯端末を取り出してメモするとジェスチャーしていたので、僕は任せる事にした。もう一緒に居る事は喋ってしまったというのに、どうして頑なに話を聞いていない素振りを続けるのだろうか。


 田中の番号をメモし終えると、「絶対にそこを動くなよ」と念を押されて電話が切れた。


「せっかくスピーカーにしたんだから、風ちゃんも聞きたい事を聞けば良かったじゃん」


「相手にどれだけ情報が伝わってるか分からない状況の方が、駆け引きには有利なので」


「駆け引きって……僕に話した時点で風ちゃんにも話は伝わるでしょ」


「直接話を聞く事とまた聞きでは事情が変わってきますから。いざという時に、私は聞いてなかった言い訳できますし。何より、この男……ええっと」


 それって、何かあった時に僕を切り捨てますって事なのかな? 強かだなぁ。そう思いながら風ちゃんが名前を聞いていない事に思い至る。


「田中さんね」


「その田中ってヤツ、危険すぎます。藍川先輩は知ってるみたいですけど、一体どういう関係なんですか?」


「関係と言われても……この黒猫亭で美麻ちゃんと待ち合わせしてるときに声かけられただけ。何か警察に言えない事件に巻き込まれたら連絡して来いって。そういえば、風ちゃんも顔は見たことあると思うよ。ほら、郷土資料館でハラサシの展示を見てたカップルの男の方だよ」


「そんな『この前駅のホームですれ違った人だよ』ぐらいの接点を普通は覚えていませんよ。まあ、覚えてますけど」


「流石の記憶力だね」


「そんなんじゃないです。私もあの後で、女性の方と会ってるんです」


「へぇ。どこで?」


「うちの神社です。……その時に、誰か人を殺した経験があるかって聞かれました」


 風ちゃんが周囲を気にして小声に言う。ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。


「もしかして、あの事を知ってるの?」


「藍川先輩が後輩って言っただけで私に辿り着くって事は、仲間の名前は把握されていますね。たぶん、シン兄から全部伝わってると思います」


「……」


 僕は状況の重さが理解でき、言葉を発することが出来なかった。


「これはあくまで私の仮説ですよ。もしシン兄が裏切ったとするならば、あの人身事故は私たちの内の誰かが殺した可能性が出てきます。不自然に引きづられるように踏切の中に入って言った時点で、何かおかしいとは思っていましたが、何かトリックを弄されて自殺に見せかけての犯行なのかもしれません。残念ながら私が手を下していない事は私が一番よく知っています。次に可能性が高いのは……」


 風ちゃんが一息ついて、僕の目を見て言う。


「現場に一番初めに駆け付けた藍川先輩になります。一応聞いておきますけど先輩、シン兄の事、やっちゃいました?」

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