44話 夜の国蒔


 日もすっかり落ちた頃。田中は空腹を感じて時計に目を向ける。


「……もうこんな時間か」


 田中は作業をきり上げ立ち上がろうとして、軽いめまいに襲われる。無理もない、文献の読解などの頭を使う作業は田中の最も不得手とする分野だ。


 今回の拠点に使用している格安のビジネスホテルには、レストランなどの食事を提供する設備は備わっていなかった。食料を得るためには近くのコンビニまで足を運ばなくてはならない。田中は身支度をしてホテルの外へと出る事にした。


 簡素なロビーを抜け、外に出る。そこで田中は思わず面食らってしまう。


「なんだこれは」


 もう子供が出歩くにはあまりにも不自然な時間であるにもかかわらず、そこら中に小学生ぐらいの子供で溢れかえっていた。


 中には大人の姿もあるが、特に気に留める様子もない。人間関係が希薄な今日日、他人の子供を叱る大人はほとんど居ないが、それでも異様な光景に普通の人ならば何かしらの反応を示しそうなものだが、町を行く大人たちはさも当然の事のように往来していた。


 もしかして、この子供の群れは普通の人間には見えていないのではないか。田中は曲りなりにも霊媒師の端くれであり、多少の霊感は持ち合わせている。よくよく観察してみると、手足が透けている子や、顔が歪に歪んでいる子もいた。


 もしも一般的な常識の中で生きている人がこの事実に気づけば、声を上げるか表情を歪めるか、足早にその場を立ち去るかしそうなものだ。この子供たちが霊的な存在である事は察しがついていたが、やはり普通の人間には見えていないのかもしれない。


 ふと、田中を凝視する数体の子供の姿が目に入る。どうやら田中が子供達の存在を気にしている事に気づかれたらしい。


 これはマズイと考え、子供の存在が見えていない風を装い、近くのコンビニに向けて歩みを進める。


 自動ドアを潜り、冷房の冷たい空気を全身で感じながら夕食の物色を始める。ついでに日本酒の小瓶を買い物かごに入れる。酒はほとんど飲まない田中だが、清酒には魔を祓う清めの効果がある。佐藤から貰っていた聖水を使い切ってしまった為、その代替品として用意しようと思い立ったのだ。


 諸々の買い物を済ませ、コンビニの駐車場の片隅に置かれた灰皿の前で一服する。やはりというべきか、子供の霊たちは喫煙所の周辺には集まっていなかった。幽霊には煙が有効というのもあるだろうが、対象が子供という事も影響している気がする。


 それにしても、この子供の霊の群れは一体何者なのだろうか。初めはハラサシによって口減らしされた子供だと考えていたが、どうもそう単純なものでは無いような気がする。


 家弓夫妻の部屋から入手したハラサシの書物を、なんとか半分ほど解読したところによると、ハラサシのルーツはこの地ではなく、もっと西の土地に伝わる神様だったらしい。延暦から大同――つまりは平安時代から奈良時代にかけて――の辺りでまとまった人間が国蒔に入植した際に、一緒に伝わったものとされていた。


 おそらく、流刑に処された人々がハラサシの信仰を持っていたのだろう。書物の中で明言されていた訳ではないが、荒れた時代という事もあり、不思議な話ではない。思えば国蒔は元々流刑地であったと、どこかで読んだような気がする。


 そして、国蒔では元々土着の神が信仰されていた。その神の名前は書物に記されていなかったが、これはおそらく羽廣神社に祀られているという何彁で間違いないだろう。


 ハラサシと何彁は激しく争い合った。これは現地人と流刑者たちとの間の衝突の暗喩だろう。これも不思議な話ではない。元々流刑地とされるような場所なのだ、土地は痩せており食料には常に頭を悩ませていたに違いない。現地人の食い扶持ですら満足に確保できていない所に、よそ者がずけずけと土足で上がり込んできたのなら、ようこそ遠路はるばると歓迎ムードで迎えられるはずが無い。


 ここは田中の予想だが、長い争いの末、ハラサシは妖怪として迎え入れられる事になった。元々神だった存在が妖怪として伝わっている意図は、おそらく流刑の民の敗北、すなわち隷属を意味しているのだろう。


 だが、ハラサシ側の人々は追い出される事は無かった。これは地元民が寛容だったのか、何かの取引があったのかは分からない。けれども、全員を受け入れる事はできず、人数を減らす必要があった。


 これが八洞祭と呼ばれる儀式の起源である。


 やがて流通や農耕器具の発達により、よほどの飢饉でもなければ飢える心配は無くなっていったが、敗北者たちへの仕打ちとして八年に一度、子供を八人捧げる口減らしの要求は続けられた。


 その要求に応え、生贄の儀式を取り仕切ってきた入植者側のリーダーこそが、ハラサシ家……明治初期の苗字を変え今は指原家と名乗っている一族だった。


 田中は吸い殻の火を揉み消して灰皿の中に捨て、ホテルへ戻る道へと足を向ける。煙草の煙を全身に纏っている状態だからか、子供の霊たちは道を開ける様に田中の事を避けていた。


「……今晩中に、全て解読できるだろうか」


 誰にとなく呟き、人間よりも霊の数の方が圧倒的に多い夜の国蒔を一人歩き続けた。

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