43話 真治の姉
電話のコール音が数回なった後で、クライアントである指原真治は電話で出た。
「……今更何の用だ」
電話越しの真治は明らかに不機嫌そうな態度であり、田中は思わず声を詰まらせる。
「っと、お前に色々と聞きたい事があって電話したんだ。ハラサシについて……」
「その話はもういい。この役立たずの詐欺師野郎が!」
その言葉でようやく田中は真治が不機嫌な理由を察した。そもそもマヨイガに行ったのは、真治の姉を助けるためだった。けれども、田中がマヨイガに辿り着いた時にはハラサシとは別に二つの死体が有った。
奥にあった老婆の亡骸は真治の姉とは考えにくい。ならば、あの若い女性の死体が真治の姉だったのだろう。
「お前の姉については、すまないと思っている。しかし、俺が駆けつけた時にはもう……」
「そんなの知ったかとかよ。せっかくヤツの目を欺くために、詐欺師として本物の霊能者を送り込んだってのに、友達も家族も守っちゃくれない。もう良いよ、俺が直々に出てやる! ヤツの誘いに乗る形だが、差し違えてでも姉ちゃんの仇をとってやる! 前払いの金はくれてやるから、お前はこの件から手を引け」
「待て、切るな! ハラサシについて知ってることを教えてくれ! それと、ヤツってのは何を指してる!?」
田中は必死に引き留めようとしたが、プツッと軽い音がして通話は切れてしまった。
「クソが。本気で友達を助けたいなら、秘密を抱えるんじゃねえよ」
田中は携帯端末を置いて頭を抱えた。以前、都内の喫茶店で会った真治から受けた印象は知的で落ち着いた人物というものだったが、今日の彼は感情的で乱暴な物言いをしていた。
無理もない。家弓夫妻という二人の友人を失っただけでも精神的に堪えるはずなのに、追加で肉親の亡骸の写真が送られてきたのだ。これで取り乱さずに冷静でいられる人間など、極めて少数だろう。
更に言えば、友人や姉の保護を依頼していた人物から電話が掛かってきたのだ。行き場のない感情を田中にぶつけてしまうのも仕方がないのかもしれない。
しかし、それでも開示するべき情報を開示しないまま電話を切ってしまうのは無いじゃないか。
「……仕方がない。こっちから情報を得るしかないか」
この書物が本当に三家に伝わるものならば、同じ物が指原家に有ってもおかしくは無い。国蒔の事情に精通していた真治ならば、その書物に目を通しており、要点をかいつまんで教えてくれると期待していたが、どうやら楽はさせてくれないらしい。田中は気が重くなりながらも、古びた書物に手を伸ばそうとしてふと止める。
そもそも、自分がハラサシや子供の霊について調べる必要はもう無いのではないか。元を辿れば、さっきまで電話をしていた生意気な学生からの依頼でこの国蒔にやってきたのだ。
そのクライアントから、手を引くよう指示を受けた。羽振りの良い事に、前金を返金する必要は無いらしい。今ならば諸々の経費を差し引いた上で佐藤と山分けしても十分に利益がでる。
これ以上、国蒔を取り巻く怪異を追う必要はない。むしろ、リスクを考えるならばここで手を引くべきだ。
きっと佐藤も同じことを言うだろう。この仕事は危険なのだ。救いの手を振り払う相手まで救おうとしていては、命がいくつあっても足りない。
「……でもなぁ。なんか目覚めが悪くなりそうなんだよなぁ」
このまま田中が手を引けば、真治の友人達は矢弓夫妻のように殺されてしまうのだろうか?
案外、何事も無く平穏に暮らすかもしれない。しかし、もし一連の事件の延長で、彼らが命を落としたとすれば?
きっと田中は、国蒔を離れればその報を受け取ることはないだろう。けれども、田中の心にはのどに刺さった魚の骨のような痛みが、当面の間続くことだろう。
目覚めが悪そうだな。
「仕方ない。やるか」
自分で自分の事をお人よしだと思いながらも、田中は書物に手を伸ばす。ページを開いて中を見るが、やはり何が書いてるのか見当もつかない。果たしてこれは文字と呼べる代物なのだろうか。自分の無学を棚に上げるわけではないが、こんなミミズがのた打ち回ったような文字では、誰かに何かを伝える気があるのか無いのか分からない。
ネットで似たような文字が無いか調べてみるが、そもそも田中にできる検索ワードなど、「日本語 古語」ぐらいなもので、年代や地方によっても差異のある文字の中から正解を引き当てるのには相当な時間が掛かりそうだった。
「はぁ。誰か画像を読み込めば現代語訳してくれるアプリとか作ってくれねぇかな」
田中は画像から英語を翻訳してくれるアプリを思い浮かべながらも、英語程の需要は見込めないだろうと思い至り、まさに暗中模索と呼ぶにふさわしい作業へと戻っていった。
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