41話 佐藤の疑問
ビジネスホテルの一室に帰り着いた田中は、ハラサシとの逃走劇で汚れた服を着替える。確か一階にコインランドリーが有ったはずだ。後で他の衣服と共に洗濯をしなければ。
唐突に携帯端末が鳴る。見慣れない番号が表示されている事に一抹の不安を感じつつ、通話ボタンをタップする。
「調子はどうかしら」
聞きなれた女性の声に、胸を撫でおろす。この世のモノではない存在と関わっていると、時折不可解な電話がかかってくる事があり、非通知や見知らぬ番号――特に4や13といった不吉な数字が多く並ぶ番号――からの通知はついつい警戒してしまう。
「なんだ佐藤か。もう携帯を変えたのか?」
「これでも警察に追われている身だからね。自分の痕跡は少しでも消しておきたいのよ」
至極真っ当な意見だ。しかし、自分の痕跡を残したくない佐藤は一体どうやって携帯端末を入手したのだろうか。
「首尾は上々……とは言い難いな。ハラサシに襲われた」
田中は今日あった出来事を佐藤に話した。クライアントから姉を助けて欲しいと連絡があったこと、マヨイガと呼ばれる建物の事、そこでハラサシと思われる存在に襲われた事。
「ふぅん。大変だったのね」
佐藤からは淡白な反応が帰って来る。まったく、こっちは命からがら逃げかえって来たというのに。後輩の事が心配ではないのだろうか。
「それで、ハラサシについて何か分かったの?」
「ああ、まず武器は資料通り鋭利な刃物。俺はダガーナイフのような物で襲われたが、マヨイガには日本刀や鎌も有ったから、そっちを使う可能性もある。室内だったから、長身の刃物は振り回しにくいと判断しての事だろう。ここからハラサシには合理的に物事を判断する知性があると判断できるな」
「うんうん。田中にしては良い考察ね。でも田中が襲われた事実は厄介だわ。伝承でのハラサシは子供を襲う妖怪だったじゃない」
それは田中も不思議に思っていた事だった。多くの怪異は超常的な力を振うが、それは怪異に課せられたルールの範囲内での事である。仮に呪われた屋敷に足を踏み入れた人間を殺す悪霊が居たとしよう。その悪霊への最も簡単な対処法は、屋敷に足を踏み入れない事だが、もしも悪霊が屋敷に近づいてもいない人間を殺し始めたら対策のしようがなくなってしまう。
田中は机の上に出してあったハラサシについてまとめた書物へと目をやる。佐藤が家弓家から盗み出して来たものだ。
「それについては俺の方で調べておく。もしかすると俺たちが知らないだけで、ハラサシに襲われる者の条件が他にもあるのかもしれない」
「ええ、頑張って頂戴。それに、生きて帰って来れたって事は、何かハラサシに対抗する手段があったんでしょう?」
「札を使った結界は効果があった。逆にお前から貰った聖水は効果が無かったな。後は、マヨイガからの帰り道で、振り返るなのタブーをハラサシも順守していた」
「へぇ。聖水が効かなかったのは、ハラサシが邪悪な存在ではないって事かしら。まあ、土着信仰の神様って認識がしっくりくるわね。神様……特に日本の神様は、結界で縛る事ができるから、理屈は通るわ」
日本の神様は結界で縛る事が出来る。それはこの業界の人間ならば、ほとんどの者が知っている事だ。例えば神社は神様を祀る場所と思われている――事実その側面もある――が、その実態は注連縄や鳥居などで神様が外に出られぬよう捕らえておくのが主な役割だ。神籬のような簡易的な結界でも神様の力を捕らえることが出来るのだから、八百万の神々はよほど結界に弱いのだろう。
「でも不思議ね。話を聞く限りでは、そのマヨイガって指原家とハラサシに何か由縁のある場所に思えるのだけど、ハラサシ自身がそのマヨイガのタブーを遵守するなんて。そのタブーもハラサシ自身が仕掛けたルールだったなら、ハラサシがルールを守る必要は無いように思うのだけど」
「そんなに不思議か? 自分で作った毒が自分に効かないって事は無いだろ」
「田中は怪異を舐めすぎね。もしも何でもアリな毒を作れるなら、自分には効かない毒を作るでしょ」
「確かに、それはそうだが……」
「あと、変な所は他にもあるわ。どうして山の斜面で田中を襲わなかったのかしら」
「それは振り返るなのタブーがあったからだろ」
「ええ、ハラサシは不思議な事に振り返るなのタブーを守った。けど、振り返らなくったって田中を襲う事はできるでしょう? 後ろ向きに歩いて距離を詰めて、刃物でズバッとやればいいのよ」
「結界の札のお陰で、俺の場所が分からなかったんじゃねぇのか?」
「だったら、適当な落ちてるものを後ろに投げればいいわ。間抜けな田中の事だから、木の棒でも当たれば声を上げてしまうでしょう。もしもハラサシが力と知性を兼ね備えた存在なら、それぐらいの事はやるでしょうね」
言われてみると、確かに不思議だ。あの時は上手く拮抗状態を作ったつもりだったが、実際には田中は追い詰められていたのだった。
「じゃあ、何だよ。ハラサシが俺を殺さなかった理由ってのは」
「……例えば、腕力のある成人男性である田中は、ナイフを持った人間の女性と争いに成ったらどうする?」
「蹴り飛ばしてぶん殴る。女だろうと容赦はしない」
「それよ。ハラサシは反撃を恐れたのよ」
「人間からの反撃を恐れる怪異って……そんなヤツ、今まで聞いたことないぞ」
いや、実際には狡猾な怪異が人間からの反撃を恐れて、その弱点を隠したり有効な対策を持った人間から遠ざかる事例は多々ある。しかし、結界の札という防御策しか持たない田中に対して、暴力を恐れて攻撃の手を緩めるなどそんな事あるのだろうか。
「考えられない事じゃないわ。田中を襲った存在が、ハラサシの能力を完全に使いこなすことが出来ない場合や、そもそも特殊な力を一切持っていなかった場合ね。まあ、結界を恐れるって事は、ある程度は特異な存在には間違いないのだけれど……」
佐藤は一呼吸置いてから、田中の前提を根幹から揺るがす事を言い放った。
「田中を襲ったのって、ただの人間だったんじゃないの?」
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