40話 帰還


 田中は疲弊した体を引きづりながら、何とか亀ノ山を下山し国蒔郷土資料館へと辿り着いた。


 時計を見ると、十六時を少し過ぎた辺りだった。冬場ならば子供たちに帰宅を促す鐘が鳴る時間だが、夏のど真ん中であるこの時期はまだ照りつける太陽の光がじりじりと田中の肌を焦がしてくる。


「ふぅ。結局ここまで歩いちまったか」


 田中は駐車場の片隅に置かれた灰皿の前で煙草に火を点ける。そして、携帯端末を取り出して、タクシー会社へと電話を掛け配車の依頼をした。


 マヨイガでハラサシに追われながらも、何とか一命を取り留めた田中だったが、問題はその後にも待ち受けていた。


 レンタカーのタイヤの空気を丁寧に抜かれた以上、その車で下山する事は不可能だ。初めはあの蕎麦屋にタクシーを呼んでもらう事を考えたが、その先に待つリスクを考え手を止めた。


 あの蕎麦屋の店主は、店の前にやって来る人々の事をよく観察していた。つまり、田中が蕎麦屋の前で待っていれば、店主に存在を気づかれるだろう。もしかすると、店の前でタクシーを待つ田中を不審に思い、声をかけて来るかもしれない。


 そして、車がパンクしている事に気づけば、レンタカーの会社と警察への通報を勧めて来るだろう。当たり前だ、店の前にパンクした車を放置されては、店主としては堪ったものでは無い。


 レンタカー会社に連絡するのは良い。だが、問題は警察だった。偽装した身分証で車を借りていた事や、ただいま絶賛指名手配中の佐藤と行動を共にしていた事が露見する可能性がある。


 警察が出張って来るリスクが少しでもあるのなら、あの店主には申し訳ないがレンタカーは放置して帰るしかないだろう。


 だが、続いて問題になるのはタクシー会社の方だった。蕎麦屋の前でタクシーを呼ぶのなら不自然な事は何もないが、舗装されているとはいえ山道の中腹の何もない所でタクシーを呼べば、運転手は間違いなく不審に思う。


 ただでさえ後ろ暗い事が重なっているのだ。少しでも目立つことは避けるべきだろう。タクシーを呼ぶのは、何かしらのランドマークでなければならない。


 こうしてタクシーを呼ぶにあたり不自然ではない場所を探しつつ下山を始めた田中だったが、ようやく見つけたタクシーを呼ぶに値する場所は、麓の国蒔郷土資料館であった。


 そして今に至る。


 煙草の煙を吸って、疲れ果てた体にニコチンが染み渡るのを感じつつ、今後の事について考える。まずは蕎麦屋の前に捨ててきたレンタカーの代わりになる足を用意しなければ。こんな田舎では、電車の本数も少なく、車が無ければいざという時に素早い行動が出来ない。それこそ、保護対象のうち誰かに命の危険が迫っていると分かっていながら電車に乗り遅れてしまい、その場に到着した時には死体とご対面だなんて笑い話にもならない。


しかし、全国チェーンの有名レンタカー屋には既に田中の偽装した身分を控えられている。別系列のレンタル会社……できれば個人経営の会社が国蒔に有れば良いのだが。


 携帯端末でめぼしい会社を複数見繕い、安堵したところで最も重要な問題を思い出す。


 クライアントへの報告だ。


 もともとマヨイガへと足を運んだのは、依頼主である指原真治から姉を保護するように頼まれたからだ。


 そして、マヨイガの二階であの惨劇を目撃してしまった。大雑把ではあるが、写真も撮ってある。


 気の進まない指を動かしながら、写真を添付したメッセージをクライアントへと送る。結局田中は今回も間に合わなかったのだ。


「……俺がここに来た意味、ねぇよな」


 佐藤だったら、もっとうまく動くことが出来ただろうか。今回の仕事は自分には荷が重いと考え連れてきた彼女だったが、橘太一の殺害容疑で警察に追われている彼女は、今はどこかに身を隠して動くことが出来ないでいる。


 いいや、キャリアも実力も上の佐藤でも、今回の事は防ぎようが無かっただろう。指原真治から指示を受けて即座に行動に移したが、既に姉とみられる人物はハラサシによって殺された後だった。


 しばらくの間、煙草をふかして待っていると、タクシーが国蒔郷土資料館の駐車場へ到着した。運転手に配車を依頼した田中であると名乗り、国蒔駅への送迎を頼む。


 運転手の毒にも薬にもならない雑談に適当な返事を返しながら、窓の外の風景を見る。以前夜中にこの辺りを訪れた時には、大量の子供の霊に道を阻まれ先に進むことが出来なかった。


 気づくと、田んぼの用水路の周りで、気の早い子供が遊んでいた。一体この子供達は何処から来ているのだろう。夜になればこいつらに取り囲まれていたに違いない。何はともあれ、日の高いうちに帰ることが出来て良かった。ある程度の対抗策は持っている田中だが、その対抗策をハラサシと思われる存在に全て使い尽くしてしまった今は丸腰状態だ。


 今日はホテルに戻ったら、佐藤に今後の相談をしよう。あまり連絡をしてくるなと言っていたが、こうも手詰まり状態ではどうしようもない。


 次第に傾きつつある日の光の中、タクシーは国蒔の中心部に向けて走り続けた。

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