39話 電話の男


 線路沿いにしばらく歩いて国蒔の中心街に入ったところに、ちょうどゆっくり座れるお店を見つけ、風ちゃんと僕は入店する。昼間の喫茶営業中の黒猫亭だ。


 僕はコーヒーを、風ちゃんは抹茶ラテを注文した。未だに二人とも動揺が続いており、ここに来るまでの会話はほどんど無かった。


「ええっと……健太と美麻ちゃんを呼べばいいんだよね? 二人ともここの方が家近いと思うんだけど、風ちゃんの家じゃないとだめ?」


 僕は沈黙に耐えかねて、捲し立てるように言う。会話の弾まない、気まずいカップルのように周囲から見られていそうで、より一層口が重い。


「……私の家の方が良いと思います。あそこは一応聖域ですから。ここでは、一体どんな存在が話を聞いてるか分かりませんし」


 何か物事を話すうえで、その場所が聖域かどうかを気にするシチュエーションというのが、どうにも飲み込めない。しかし、風ちゃんの切羽詰まった様子に僕は頷くしかできなかった。


「分かった。とりあえず二人に連絡してみるよ」


 僕は携帯端末で健太に電話を掛けた。しかし、ただコールが鳴り響くだけの無為な時間が流れる。痺れを切らして通話を切り、『風ちゃんが緊急の用。至急連絡されたし』とメッセージを送る。朝に送ったメッセージにも既読はついていない。一体何時まで眠るつもりなのだろうか。


「どっちが出ませんでしたか?」


 風ちゃんが心配そうな目で僕を見る。こうして見ると、風ちゃんも愛嬌があり可愛らしく感じる。人当たりの良い性格も相まって、ちゃんと学校に通っていれば男子たちの人気も高かっただろう。


「健太だよ。きっとまだ寝てるんだ。あいつ、夜型人間だから」


「そうですか……」


 心配そうに目を背ける風ちゃんをしり目に、僕は美麻ちゃんに電話を掛ける。


 正直なところ美麻ちゃんが突発的な電話に出る事を期待してはいなかった。彼女はあまり他人との関りを重要視している人では無かったし、電話をかけても要件が分からないと折り返しもしてこない事も多い。


「……もしもし。エイジ君どうしたの?」


「わっ!」


 ゆえに僅か二コール目で通話が繋がった時には思わず声を上げてしまった。


「え、なに?」


「いや、ごめん。ちょっとびっくりしただけで……」


「えぇ……電話に出ただけで驚かれるなんて心外なんだけど……」


「いやでも、普段だとあんまり電話かけても無視するじゃん」


「したくて無視してるわけじゃないよ。あんまり携帯を持ち歩かないから、気づかないだけで……」


「携帯しない携帯ってそれ意味ある?」


 僕らの会話を聞いていた風ちゃんが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。確かに今はこんな話をしている場合ではない。


「そんな事より、大変なんだよ。真治がいつの間にか国蒔に帰って来てて、しかもさっき電車にはねられて……それで……」


 頭で理解していると思っていた事でも、いざ言語化すると感情が込み上げてくる。この時、ようやく僕の中で真治が死んでしまった事実が現実のものとなった。


「……死んだの?」


 美麻ちゃんが冷たい声で尋ねる。僕は頷く事しかできなかったが、その肯定は電話越しの美麻ちゃんに伝わっていないと思い至り、短く「うん」とだけ答える。


「エイジ君がその場を目撃したの?」


「いや……風ちゃんが……」


「今、一緒にいるの?」


「うん」


「代わってもらえるかしら」


 僕の様子がおかしい事を察されてしまったのだろうか。優しくあやす様に言葉を投げかける美麻ちゃんに「分かった」と返事をして、僕は風ちゃんに携帯端末を手渡す。


「代わりました、風です。ええ……はい。そうですね。それで、今後の事を話し合いたくて……もしこれからお時間があれば、うちに来てもらえませんか?」


 顔色こそ蒼白な風ちゃんだが、はっきりと受け答えできている事に心の中で感心する。やはり風ちゃんは強い子だ。


「それじゃあ、また。藍川先輩に代わります」


 風ちゃんから携帯端末を返してもらい、僕は耳にあてる。


「フウちゃんはしっかりしてるわね。エイジ君、また後でね」


「うん、また」


 その言葉で、僕は美麻ちゃんがこの後で風ちゃんの家に来てくれるのだと理解できた。


 電話を切って深く息を吐き、呼吸を落ち着ける。


「ごめんね、ちょっと取り乱しちゃって」


「いえ……それよりも垣谷先輩からは返事ありませんか?」


 僕はメッセージアプリを見る。しかし、返事はもちろん既読すらついていない。


「もう一回かけてみるよ」


「お願いします」


 再び健太に通話をする。もしかすると通知音で目を覚ますのではないかと期待しての事だ。


 しばらくコール音が響く。もう何コールしたか分からなくなり、諦めかけたとき、唐突に通話が通じる。


「もしもし、健太!」


「……藍川英二君か?」


 電話に出たのはどこか聞き覚えのある大人の男性の声だった。


「あっ……健太のお父さんですか?」


 健太の携帯に出る可能性のある大人として、真っ先に思い浮かんだのが健太のお父さんだ。僕のお父さんと健太のお父さんは黒士電気の同僚という事もあり、昔は家族ぐるみで遊びに行った記憶もある。どうして電話の相手が僕だと気づいたのか疑問に思ったが、何も不思議なことは無い、着信欄に名前が表示されていたのだろう。


 しかし、帰ってきた言葉は想像だにしない答えだった。


「いや、俺は垣谷健太の父親じゃない」


「……どなたですか?」


「田中だよ。前に黒猫亭で会っただろ?」

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