37話 電話


 驚きのあまり、思わず声が上がりそうになる。しかし、唾が喉から気管に入り、口を押えて咳き込んでしまう。


 その動作の過程で、目の前に現れた謎の存在から目を逸らす。ほんの僅かのその隙に、和服の子供は姿を消してしまった。


 僕はリモコンの先の子供が居た場所を凝視したり、カーペットに触れたりと、何か異常は無いか確認をする。だが、まるで当然のように異常は見受けられない。髪の毛が一本だけ見つかった時は、一瞬だけ心臓が跳ね上がったが、その長さから見て明らかに自分のものだと確信が持てた。


 一体自分の身に何が起こっているのだろうか。昨日の夜のことだけならば、自分の精神がおかしくなり、幻覚を見る様になっただけだと考える事ができた。だが、今回は窓の一件がある。いいや、思えば前から不自然だったのだ。気づかぬうちに部屋の窓が開け放たれていたのは、帰省してから度々あった。いくらマメな性格の母親とはいえ、毎日僕の部屋を掃除して、そのたびに窓を開けたまま忘れてしまうなんて事がありえるだろうか。


 そしてあの子供である。非現実的なものは信じない僕だが、こうも目の前で姿を消す瞬間を目の当たりにすれば、嫌でもあれが幽霊と呼ぶ存在だと認めざる負えないだろう。


 こうは考えられないだろうか。窓が度々空いているのは、あの子供の幽霊が僕の部屋の窓からこの家に入り込んでいるのではないか。


いいや、それはおかしい。僕は自分の立てた仮説を即座に否定する。幽霊とは壁をすり抜けるものではないのだろうか。わざわざ窓を開けて侵入するのは、その特性に反する気がする。


「……考えても仕方ないか」


僕は幽霊については余りにも無知であり、どんな仮説を立てた所で、その前提が誤ってい可能性の方が高い。もしかすると幽霊は僕らと同じように、物に触れる事ができ、建物に侵入する時は窓を開けて中に入らなければならないのかもしれない。


 だれか幽霊について詳しい人は居ないだろうか。ああ、太一が生きていてくれれば相談する事も出来たのに。いや、太一が興味あったのは幽霊ではなく妖怪だったか。それに、もし僕が逆の立場だったとするならば、幼馴染が真面目な顔で幽霊が部屋に出たと相談してきたなら、優しく諭しつつ精神科医への通院を進めていただろう。


 僕はこの問題をどう対処するべきか考える。親に相談しても、精神科医へ直行だろう。ならば警察? 悪戯と断じられて、最悪の場合は公務執行妨害でお縄になってしまう。


 いや、警察はありかもしれない。窓がなぜか開いているという事を事件に結び付ければ、話は聞いてくれるだろう。だが、根本的な解決にはならない。だって犯人は生きた人間ではないのだから。


 一体どうすれば良いのだろう。そう考えあぐねていると、携帯端末に着信が入る。


 健太がメッセージを見て電話をかけてきたのだろうか。そう考えて、端末の画面を見ると、意外な人物の名前が表示されていた。


 僕は驚きつつ端末を取り、通話ボタンを押す。


「どうしたんだよ。真治から電話なんてめずらしいな」


「……今、電話大丈夫か?」


 真治の声にどこか違和感を感じて、妙な不安が沸き上がる。鼻が詰まったようにくぐもった声なうえに、いつもの真治からは考えられないほど覇気が無い。まるで泣きはらした後に電話をかけてきたように感じられる。


「ええっと……大丈夫だよ。ちょうど部屋に幽霊が出て、どうしようか考えてたところだけど」


 僕は冗談めかして言う。どこか様子のおかしい真治を元気づけようと考えての言葉だったが、真治の反応は予想に反したものだった。


「そうか……お前の所にも出たか。すまない、全部俺のせいなんだ」


「えっ!? あの幽霊について何か知ってるの?」


 真治はしばらく押し黙った後、ゆっくりと言葉を続けた。


「ナカニシカオリ……って覚えているか?」


「……忘れるわけ無いだろ」


 かつて僕達が殺めてしまった同級生の名前を真治が口にして、薄ら寒い感覚に陥る。まさかあの子供の幽霊はカオリちゃんだった? いや、そんなはずはない。あの幽霊は彼女と違い顔の輪郭がほっそりとしていたし、髪も幽霊の方が長かった。


「あの時は……土疼柊の部屋に死体を隠す事が妙案だと思ったんだ。あの部屋なら、陰祭の時じゃないと誰も入らないし、土疼柊の部屋があるから黒士電気はあの廃墟を撤去する事が出来ない。うちの親から圧力を掛けさせたし、次の陰祭の時期には俺が当主の代理として采配を振るう予定だったから……」


「ちょ、ちょっとまて。何の話をしてるんだ?」


「俺は騙されたんだ。指原家は代々、長女がハラサシに成るため修行をする。だけど、その因習の為に姉ちゃんはこんな田舎で人生を棒に振ることになるんだ。俺なんかよりもずっと頭が良くて、優しくて優秀だった姉ちゃんが……だから、ハラサシを肩代わりするなんて甘言に惑わされて……ハラサシの立場を他の家に譲渡する儀式に手を出してしまったんだ」


 真治は時折声を詰まらせながら、訳の分からない話を続けていた。口を挟もうかと思ったが、相槌以外の言葉が思い浮かばず、ただ流されるように真治の言葉を聞くしかなかった。


「儀式には八人の生贄が必要で……一人捧げる度にハラサシの力を使えるようになる。だから太一が殺された時点で、姉ちゃんと当主は殺されていたんだ。きっと俺は生前に録音した音声で騙されていたんだ」


「お、おい。どういう事か分かるように言ってくれ!」


「予想外だったのは、カオリが何彁の中からかつての生贄たちの怨念を蘇らせたことだった。優子が殺された時に、俺は確信したよ。カオリは自分を殺した俺たちに、生贄にされた子供達を使って復讐する気なんだ。その為に、何彁を封じている土疼柊の力が弱まる、陰祭の時を待っていたんだろう」


「ちょっと待った! その話、携帯じゃマズイでしょ」


 僕は電子機器に詳しいわけではないが、携帯電話の通話内容は盗聴されている可能性があると何かの記事で読んだことを思い出す。そうでなくても、警察の手にかかれば、過去の通話記録は取得できたはずだ。


 まるで自白とも取れる言葉で僕らに八年前の事件の疑いを掛けられたら――事実、カオリちゃんを殺めたのは僕達なのだが――目も当てられない。


「……今俺は国蒔駅前のネットカフェに居る」


「えっ? 帰って来てるの?」


 ああ、と真治は短く返事をした。


「ちょっと待ってて、今すぐ行くから。近くについたら電話する」


 流石にこれ以上電話で話していたら、そのまま自白してしまいかねない。そうでなくても、真治の言葉は意味が分からず、彼の精神が不安定であることが察せられた。


「何というかその……は、早まるなよ?」


 僕は嫌な不安を感じつつ、電話を切って出かける支度を始めた。

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