33話 謎の部屋


「……ごめんください」


 田中は戸の前で声を上げる。もちろん、返事は無い。クライアントの姉がこの屋敷に居ると聞いていたが、その姉が自ら出迎えてくれれば話は早かったのだが。


 返事が無いのなら仕方がない。田中は戸をゆっくりと開け、おそるおそる屋敷へと足を踏み入れる。


 玄関先で靴を脱ぎ、木製の床に体重をかける。ギィと軋む音が鳴り、冷や汗が流れる。  


 本来は有るはずのない屋敷に迷い込む話は、日本各地に点在している。クライアントが語ったマヨイガその一つである。


「ここはひとつ、何かくすねて帰ってみるか」


 田中は勇気を奮い立たせる意味で冗談を口にする。マヨイガから何か物を持ち帰ると幸せになれるという言い伝えがあるが、逆に不幸になるバリエーションも存在した。


 何より、ここはクライアントがマヨイガと呼んでいるだけで、本当のマヨイガではないはずである。


 田中は玄関口から廊下を進み、目に入った部屋を開ける。中は旅館のように小綺麗な清掃された和室だった。ちゃぶ台に掛け軸、仏壇の線香には火が付いたまま。どうやら、この屋敷に人が住んでいるのは間違いないらしい。


 何か指原家に関する情報が得られないか、しらみつぶしに調べたい欲求は有ったが、今回の目的はクライアントの姉の保護だ。田中は部屋に誰も居ない事を確認して、別の部屋へと足を向ける。


 しかし、どの部屋にも人の姿は見当たらなかった。初めの和室と似たような造りの部屋が幾つかと、台所、厠、不格好ながらも洋間まであった。


 途中、二階へと続く階段を見つけたが、田中はこの階段を昇らずに一階の部分の調査を優先させる。というのも、二階からはただならぬ気配を感じていた。


 それが幽霊なのか妖怪なのか、はたまた神様なのかは判別がつかない。しかし、間違いなく何かしらの怪異が二階には居た。


「はぁ。クライアントの姉ちゃんが一階に居てくれたなら、仕事は楽だったんだがな」


 だが、少なくとも誰か生きた人間がのこの屋敷で暮らしているのは間違いないらしい。古風な台所には竈に火がくすぶり、水場にはまだ濡れた食器類が存在している。その数から、おそらくこの屋敷で暮らしているのは三人だろうと当りを付ける。


 田中は嫌な気配を感じる階段を見上げる。この気配の正体が分からない以上、この階段を上がるのは気が引ける。


「おーい、誰かいねぇのか?」


 二階に向けて声を上げるが、返答は無い。何かの気配にも動きはなさそうだ。


「仕方ねぇ。腹くくるか」


 田中は煙草を取り出し火をつける。他人の家に勝手に上がり込んで、室内で煙草を吸うなんて、余所でやったら一発でお縄だと密かに心の内で笑う。


 階段を上る最中、嫌な気配がより一層強まり、思わず踏み出す足が止まりそうになる。


 いや、大丈夫だ。今回は札や数珠など、霊的な存在への対抗手段を複数用意してきている。佐藤が居てくれれば楽な事に違いないが、田中にもこの世ならざる存在への対抗手段はある。仮に何者かに襲われたとしても自分が逃げる時間ぐらいは稼げるはずだ。


「……何だこれは」


 急な木造の階段を上がると、異臭と共に目に飛び込んできたのは異様な空間だった。


 二階は大広間のような広い畳の部屋になっていた。壁には札が大量に貼られており、床には刀やサバイバルナイフ、杭に鎌など、物騒な物が大量に散らばっている。


 そして何より目を引いたのは、部屋に有る三つの死体だった。


 全ての死体と距離があるため、遠目にしかそれらを確認する事はできないが、一番近い死体は若い女性の者だった。和服で腹部を割かれ、中身が飛び出した状態で壁に寄りかかっている。なぜか目隠しをされている辺り、何かしら異常な事が起こった事を物語っていた。


 もっとも遠い位置にある死体は白髪である事から老人だろうか。死装束のような真っ白な服を着ているが、これも腹を割かれた状態で仰向けに倒れている。


 そして最後の死体は部屋の中心の天井から釣り下がったワンピースの女だった。髪をだらりと垂らした女の首つり死体というのは、生々しい外傷が無い分、それが動き出すのではないかという恐怖を田中に抱かせる。


 田中は階段を上がり切り、部屋の写真を携帯端末で撮影する。クライアントには申し訳ないが、きっとこの中の誰かが保護を依頼していた姉なのだろう。


 クライアントが判別できるよう、一つ一つの死体の顔写真を撮影しよう。そう考えて部屋に足を踏み入れた時、ある違和感を抱く。


 それは田中がかつて仕事で得た知識だった。首吊り死体は筋肉が収縮する関係で糞尿をまき散らす事が多い。また、目が飛び出したり肌が紫に変色したりと、むごたらしい見た目になっているはずである。


 しかし、部屋の中心にある死体はどうだろうか。彼女は白い肌に清潔そうな体、衣服にも汚れは無く、そもそも首を吊るための足場などが周囲に見当たらない。


(……どういう事だ?)


 田中が疑問に思った瞬間、その女の体を支えていたロープがブツリと音を立て切れる。ドサッと女の体が床に落ちた。


 やばい。そう本能が危険信号を発したと同時に、田中は慌てて階段を降り、この屋敷からの脱出を図ろうとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る