31話 道筋


 佐藤と別行動をとる事になった田中は、今後の方針について考えあぐねていた。


 自分の目的は依頼を受けた五人の命を救う事。しかし、そのうち二人が立て続けに亡くなってしまった。協力的でないクライアントにも責任の一端はあるのだが、どうしても自責の念に囚われてしまう。


 残りの三人はどうすれば助けることが出来るだろうか。そのうち一人には自分の連絡先を渡しているが、身に危険を感じた時に、はたして連絡を寄こしてくれるだろうか。


 不安を感じていても仕方がない。田中は気を取り直して、佐藤の置き土産である書物へと手を伸ばす。


 この本は家弓夫妻の家に有ったものらしい。佐藤が部屋に入り込んだ時は既に家弓太一は殺されていたはずだが、一体どんな神経していれば、殺人現場から自分に有益な情報が記された書物を見つけ、盗み出そうという発想に至るのだろうか。


 書物をぱらぱらとめくる。しかし、学の無い田中にとってこの文章は一目見ただけで拒否反応が出てしまう。


「……いや、今の俺にできるのはこれだけか」


 佐藤へ連絡しようかとも考えたが、今の彼女の状況が分からない以上、迂闊にコンタクトを取りにくい。それに、性根の腐った佐藤の事だ。早くも音を上げたと知られれば、一体何を言われるか分かったものでは無い。


 書物の読解に本腰を入れようと意気込んだところで、田中の携帯に電話がかかって来る。


 佐藤からかもしれない。そんな期待から、通話ボタンを押す。


「もしもし。調子はどうですか?」


「……すまない。俺の力不足だった」


 若い男性の声。田中は急に罪悪感を感じ、即座に謝罪してしまう。


 電話の相手は指原真治だ。このタイミングで連絡を寄こしてきたという事は、きっと田中が家弓太一と家弓優子を救えなかった失敗をなじりに来たのだろう。


「いえ……二人の事は残念ですが、そもそも依頼するタイミングが遅かったのでしょう。情報の開示が十全に行えないこちらにも非は有ります」


 思いがけず許しの言葉を投げかけられ、田中はむしろ戸惑ってしまう。


 普通、友達が死んだらもっと驚いたり戸惑ったりするものではないのか。ましてや、依頼人は大金を積んでまで助けたいと田中に縋って来たのだ。


 この言葉も態度も、何かおかしい。佐藤も今回のクライアントは何か裏があると言っていたが、田中の中でクライアントに対する疑念がより深まる。


「ただし、二人の命が奪われた分の補填はしてもらいます」


「補填?」


 人の命に補填なんて言葉を使うな。そう言ってやりたかったが、今回に関してはこちらにも非があるため田中はぐっと堪える。


「亀ノ山の中腹にある屋敷に、とある女性が捕らわれています。彼女の身柄を安全な場所に保護してください」


「今回は事情を聞いてもいいか?」


 電話の先で真治が逡巡するのを感じる。きっと情報を開示するリスクと、その女性の事を天秤にかけているのだろう。


「……その女性は私の姉です。指原家のあるしきたりに従い、その亀ノ山の屋敷――私は個人的にマヨイガと呼んでいる場所に幽閉されています」


「……突飛な話だな」


「外の人間にはそう感じるかもしれませんが、指原家の女に生まれた人間にとっては当然の事です」


 人の常識は環境によって形成される。子供の頃から、偏った知識のみを与えるのは、洗脳の初歩中の初歩だ。


「それで、なんでお前の姉を助けなきゃいけないんだ?」


「姉は今、ハラサシに命を狙われています」


「ハラサシ? それって、国蒔に伝わる山姥伝説の?」


「はい。ハラサシは実在します」


 田中は手元の書物に目を落とす。怪異と関係する仕事をしている田中にとって、超常的な存在は認めざる負えないが、第三者から「姉が山姥に殺される」と言われるのは何とも不思議な気持ちだ。


「もともと指原家はハラサシと深い関係があるのですが……少し事情が変わりまして」


「それで? ハラサシの弱点とかは無いのか? 山姥ならネズミが苦手って聞いた事があるが」


「……分かりません。ネズミが苦手って話は初耳です。以前なら、羽廣神社に祀られているご神体で対抗できたのですが、今はもう克服しています。いや、克服というよりは従属したというか、そもそもと言うべきでしょうか」


 羽廣神社のご神体と聞いて、佐藤の調べてきた情報を思い浮かべる。円の周辺に複数の三角形。何彁という名前。そして、羽廣神社の周辺では一切気配が感じられない妖や神霊。


 あれは無条件に怪異を滅ぼす存在だと考えていたが、ハラサシはその存在に従属する事で難を逃れているのだろうか? いや、そもそも傘下の存在がハラサシに成ったとはどういう意味だろう。


「ハラサシってのは、代替わりでもするのか?」


「……その質問は、今回の仕事に関係ありません」


 また情報の開示を渋るというのだろうか。田中は苛立ちを覚えながらも、きっと問い詰めたところで時間の無駄だろうと判断する。


「分かった。ハラサシには一般的な怪異に対する方法で何とかしよう。それで、その屋敷の場所は?」


「特別な道を使わないと行けないので、よく覚えてください。まず、国蒔郷土資料館の前の道を上がると、古い蕎麦屋があるはずです。その裏手の小道を行くと、湧き水があるので、その水を口に含んだままその奥に進んでください。やがてお地蔵さんが祀られた小さな祠が見えてきます。このお地蔵さんの前で一回手を合わせ、祠の周囲を八回ぐるりと回ってください。最後に、お地蔵さんの前で目を瞑って口に含んだ水をお地蔵さんに吐き掛けます。目が回るような感覚に陥れば、手順は成功です。目を開けて振り向けば、マヨイガが見えて来るはずです」


 田中は慌ててホテルに備え付けられたメモに手順を書き写す。何か超常的な力によって秘匿された場所に入るためには、特定の手順を辿らなければならないというケースは非常に多い。ある時間に鳥居を潜ったり、特定の回り道をしなければたどり着けないだとか。今回も思った以上に面倒な手順だが、田中は一番重要な質問をする。


「帰るときはどうすればいい?」


「屋敷の前の道を下って行けば、やがて湧き水の地点に出ます。ただし、帰る最中に背後を振り返ったり、屋敷へ戻ろうとしないでください」


「振り返ったらどうなる?」


「知りませんよ。ただ、絶対にそれをしないように、とだけ伝わっています」


 田中はその言葉に薄ら寒いものを覚える。何々をしたら死ぬ、という禁忌タブーは星の数ほど存在しているが、これらには何かしら死を逃れる抜け道が用意されている場合が多い。


 しかし、一番危険な禁忌タブーは、そのルールを破った時に何が起こるのか分からないケースだ。それはつまり、禁忌を犯した人間が誰一人の例外もなく消え失せてる為に、何が起こるのか伝えられていないからだ。


「分かった。今からお前の姉のところに行ってくる」


「……よろしくお願いします。アナタだけが頼りです」


 田中は電話を切って、出かける支度を始めた。

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