30話 侵犯
家に帰り着き、家族そろって食事を取る。僕はてっきり、太一と優子の死についての話題が上がるかと思っていたが、会話は終始、お父さんによる会社の愚痴だった。きっと僕を気遣ってその話に触れるのを避けてくれたのだろう。
「ったく、お上は本当に無茶苦茶だぜ。事業を縮小しろと言ってきたかと思えば、次の議題では地域採用を活性化しろとか抜かしやがる。採用を増やしたいんなら、仕事を用意してから言えってんだよ」
「大変そうだね」
「まったくだ。情報化だとか言われてるが、遠くと繋がって聞こえてくるのは嫌な奴の声ばっかり。何がリモート会議だ、言いたい事があるんなら面と向かって言いやがれ」
古い人間であるお父さんには、どうやら最新技術は忌々しいものでしか無いらしい。お母さんは悪態をつく父を無視しているので、自然と宥めるのは僕の仕事になってしまう。
「まぁまぁ。リモートで色々できるようになって便利な事もたくさんあるよ」
「そりゃぁ、確かにそうだけどよ。はぁ、せっかく間宮にヤツと築いた俺たちの城に、本部連中は土足で上がり込みやがって」
どうやらお父さんは、本部から遠方である事を利用して、この国蒔市で好き勝手やっていたらしい。我が父ながら悪知恵の働く人だと思うが、きっとその背後には三家の後ろ盾があるのだろう。以前、羽廣の先代にお世話になったと言っていた事を思い出しつつ、僕は薄ら寒い物を覚える。
「事業縮小で思い出したけどさ。黒士電気って、もう使われなくなった工場や事業所が廃墟になって残ってるよね。あれって取り壊したりしないの?」
「ああ、あれなぁ。あれはあれで難しい問題なんだよ。会社としては固定資産税が取られるから早く手放したい気持ちは有るんだろうけど、建物って取り壊すのにもお金がかかるだろ。段階的に取り壊そうって話もしてるんだけど、どうにもまとまった金を引っ張って来れなくてな。それよりも、新しい事業に金を回したいんだとよ。やっぱり人間ってのは、マイナスをゼロにするよりも、ゼロからプラスにする事の方を優先しちまうんだろうな」
「苦手な科目を勉強するよりも、得意な科目で高得点取った方が気持ちがいいって事?」
「まあ、そういう事だな。俺としても無駄に税金払うぐらいなら、とっとと更地にして市に返しちまいたいんだけど、もう使ってなくても手放せない事情がある所もあったりして、どうにも手が回ってないんだ。そんな事言ってる間に、バカな若者が肝試しに侵入してるケースもあって、危ないから早く何とかしろって市からも言われてるんだけどな」
「なるほどねぇ」
この話題を振ったのは、僕らが死体を隠している黒士電気第六事業所の取り壊しの予定があるのかを探るためだ。お父さんも会社では立場のある人間のようだし、きっと一般の社員では知りえないことまで知っているはずである。守秘義務だかで家族にも具体的な話はできないみたいだが、それでも有力な情報が得られると考えた。
どうやら、国蒔市からは取り壊すように要請が出ているが、会社としては手が回っていない。ひとまずは安全のようだが、それでも不安要素は残る。
国蒔市が廃墟を処理したがっているのは理解できる。若者が忍び込んで、怪我でもされたら困るから。しかし、三家からの圧力は無いのだろうか?
理由は二つ考えられた。一つは、三家が死体の存在を察知して、既に処理済みの場合。これならば三家としても廃墟の取り壊しに異論はないだろう。
もう一つは、三家が死体の存在を知らない場合。その時は最悪な結果になるだろう。三家の大人たちも、まさか自分の子供達がその死体に関わっているとは思わず、対応も後手に回る。そして、警察が本格的に捜査を開始させたら、いくら三家といえども事件を誤魔化す事はできないだろう。
いっその事、最も国蒔で影響力を持つ指原家に情報を流しておこうか。息子の真治君が八年前に殺人事件を起こして、死体は黒士電気第六事業所の地下に隠してありますと。
いや、ダメだ。どうせ僕や健太、美麻ちゃん辺りの外様に罪をかぶせて終わりにされるだろう。あの時の真治も、そんな懸念をしていた。
結局のところ、美麻ちゃんの言う通りなのだ。安心するには死体を確認するしかない。そして、今できるのは、死体があの場所から消えている事だ。
「ごちそうさま。そういえばお母さん、部屋掃除してくれてありがとうね。だけど、そんな毎日やらなくても大丈夫だよ?」
僕は部屋に戻ろうとして、今日帰宅した時も部屋の窓が開いていた事を思い出し、お礼を言う。
「……えっ?」
僕がダイニングから出るときに、お母さんは怪訝そうな顔をして首を傾げる。息子にお礼を言われて、恥ずかしかったのだろうか?
部屋に戻る途中、無駄に広い家の雰囲気がどこかおかしいように感じる。なんだかうまく言い表せないが、調度品により生まれる影が色濃く、嫌に不気味な印象を受ける。昔、皆で真治の家に泊まりに行ったときに、夜の屋敷の中で飾られていた面や人形と目が合った時に感じたような嫌悪感を、何故だか今は感じている。
空調が効きすぎているのだろうか、どこか薄ら寒い。その寒さのせいか、尿意を催してトイレへと急ぐ。我が家には一階と二階に一つずつトイレがあるが、二階の方が近いと判断して階段へと向かう。まったく、二世帯住宅という訳でもないのに、どうしてお父さんは無駄にトイレを二つも作らせたのだろうか。これじゃあ、掃除をするお母さんが大変なだけじゃないか。
「あっ!」
階段を昇り、右手すぐのお手洗い。洗面台の鏡が横にひび割れている。
この家が建てられたのは、僕が高校に進学する辺りだったはずだ。つまり五、六年ぐらい前である。その時にこの鏡も新調されたと考えるなら、経年劣化で割れたとは考えられない。
なんだか不吉な予感を感じつつ、僕は廊下の先にベランダへと続くガラス戸を見る。もしも洗面台の扉を開けていれば、あのガラス戸から直射日光が入り込む事だろう。
鏡の表面を覆うガラスは、熱を帯びると膨張してしまうと聞いた事がある。もしもこの洗面台の扉を開け放っていれば、日光の光がこの鏡に直接当たる事になる。今は夏場であり、昼間の日光の力は相当強い。対して夜は空調が効いており、薄着の僕は肌寒く感じているほどだ。その温度差を毎日繰り返していれば、膨張と収縮を繰り返した表面のガラスが耐えられなくなるのも無理はない。
「これも一種の建築ミスになるのかな? 後でお母さんに報告しておこう」
誰に問うでもなく呟き、一瞬でも不吉なものを感じてしまった自分を恥じる。やはりこの世に不思議な事など何もないのだ。全ての事象には科学的根拠があり、論理的に考えれば真実が見えて来る。
風ちゃん程ではないが、探偵張りの推理で真実を見破れた僕は一人満足してトイレの扉を開く。
「えっ!?」
そこには子供が立っていた。髪が長い事から女の子だろうか。眼球のあるべき所が黒い空洞になっており、顔は真っ白で生命力を一切感じさせない。服も白いが腹部にべったりと真っ赤な血の跡のような模様が浮かび上がっている。随分とパンクな和服もあったものだ。
子供は僕をじっと見上げているかと思えば、笑みを浮かべる様に口元を吊り上げ、僕が瞬きをした間に跡形もなく消える。
僕は反射的にトイレの戸を閉める。一体この現象にどう科学的根拠を求めればよいのだろうか。
全身に汗が滲み、恐怖で心臓が跳ね上がる。僕は慌ててその場から離れ、バタバタと音を立て階段を下り、一階のトイレへと向かう。
扉を開け中に誰も居ない事を確認して用を足す。今回ばかりは、無駄にトイレを二つ用意しておいてくれたお父さんに感謝しかなかった。
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