22話 橘太一
太一は朦朧とする意識の中、今置かれている状況を考えていた。
場所はリビング。テーブルの上には空になった缶ビールと片づけ忘れていた食器類が置かれたままになっているハズだ。ああ、このままじゃ優子に怒られちまう。
しかし、太一はその食器を片づけることができない。なぜなら、腹を刃物で大きく裂かれてしまったから。
そして部屋には、それを成した存在が未だに部屋に残り、自分の事をじっと凝視していた。
自分はここで死ぬのだろうか。いや、まだ死にたくない。せっかく優子と一緒になれて、真っ当に生きようと踏み出したばかりじゃないか。
太一は声を上げ助けを呼ぼうとする。だが、声は出ずヒュヒューと空気が抜ける音しかしない。どうやら刃物で腹を抉られたとき、肋骨の裏から肺に穴を空けられたらしい。
ならば這って外に出て逃げなければ。そう思いながらも、全身に力が入らない。血を流しすぎたのだ。
一体どうしてこんな事になってしまったのだろう。あの来客に気づかなければ、或いは今日の仕事がもっと長引けば。いや、そもそもあの日、廃墟になった黒士電気の営業所跡地であんなことをしなければ……。
後悔しても仕方がない。諦めと共に、まだ頭があるのなら今できることを考えなければ。痛みで意識が飛びそうになるのを必死で堪えながら、太一はテーブルの脚に手を伸ばす。
この存在について、皆に警告を残さなければ。最後の力を振り絞り、血だまりで濡れた指で文字を書こうとしていると、伸ばした手をその存在に蹴り飛ばされる。
もはや声も出せず、ただ指の感覚が失われる。この存在は自分が何か余計な事をしないよう、見張るために残り続けていたのだ。
そして、太一は意識が途絶える刹那、自分を見つめる存在を精一杯の力で呪う事しかできることは無かった。
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明くる日のとあるWEBニュース
国蒔病院で看護師が飛び降り自殺 パワハラが原因か
昨夜、○○県国蒔市の病院で看護師の女性(20)が業務中に院内の非常階段から飛び降り、自殺していたことが明らかになった。
女性は当直業務に当たっていたとされており、防犯カメラには錯乱した様子で非常扉から外に出る様子が映っていたという。
女性は上長である看護師から執拗に叱責をされたり、無理な量の仕事を与えられたりとパワーハラスメントに該当する行為が行われていた事が関係者への取材で明らかになっている。
病院側は「あってはならない事が起こってしまった」とコメントを発表しつつ、事実関係を確認している最中でありパワハラの有無については回答は控えられた。
また事故当時、非常階段の一部が老朽化により破損している事が警察による現場検証の結果明らかになっており、警察は自殺と事故の両方の線で捜査を進めるとしている。
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速報 自殺した看護師の夫 何者かに殺害される
本日未明、国蒔市に住む男性、家弓太一さん(21)が自宅のマンションで何者かに腹部を刺され殺害されているのが発見された。
警察は当時、太一さんの妻であり市内の病院に勤める家弓優子さん(20)が業務中に自殺した事を受け、病院を通じて自宅に連絡をするも不在であったことを不審に思い、自宅を訪れた事により事件が発覚したという。
マンションの監視カメラには不審な女性が太一さんの部屋を訪れる様子が映っており、警察はこの女性が何らかの事情を知っているものと見て捜査を進めている。
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「……やらかしたな。この写真の女、お前じゃねぇか」
田中はホテルの部屋を訪れた佐藤が見せてきたニュースを見て、深刻な面持ちで言う。
「ええ、私も驚いたわ。まさか家弓太一が既に殺されてたなんて。でもこれじゃあ私が犯人みたいじゃない」
佐藤は昨晩、一人で家弓夫妻宅を訪れていた。あくまで国蒔と黒士電気の関係を調べているライターという設定で、国蒔の有力者である家弓家の話を聞き込もうという計画だったが、その場で家弓太一が殺害されているのを発見したという。
「どうして通報しなかった? 第一発見者なら捕まるリスクは無かったと思うが」
「あら、随分と悠長な事を言うのね。もう既に二人もやられたのに、取り調べの為に付きまとわれたら、こっちの仕事にあてられる時間が無いじゃない」
「……警察の捜査網を巻きながら仕事をする方が大変だと思うぞ?」
「そうね。だけど、田中一人には任せられる内容じゃなさそうだし。それに、もし怪異が絡んでいる殺人なら、何としても犯人を検挙しなければならない警察は第一発見者の私を犯人に仕立て上げるしかないわ。どうせ捕まるなら、少しでも仕事をしてからにしたいわね」
佐藤は備え付けのテーブルに一冊の本を置く。古びた紐閉じの本で、表紙には何も書かれていない。
「これは?」
「家弓家にあった本よ。中を軽く見てみたけど、国蒔で行われている秘祭の内容みたい。色々と面白い事が書いてあったわ」
田中はページを開くが、中に書かれている文字が古い言葉で、咄嗟に拒否反応を起こす。こんなものを読んでいては、頭が痛くなりそうだ。
「田中、手持ちの煙草とライターを全て出して頂戴」
「はぁ?」
唐突にされた提案に疑問を感じながらも、田中は鞄から煙草三箱とカートン二つ、そしてライターのボックスを出す。
「火は十分……でも煙草がこれだけじゃ、一週間と少しぐらいかしら。まあいいわ。私はこれから実を隠すから」
「……仕事をするんじゃなかったのか?」
「するわよ、仕事。頼りない田中を電話でサポートしてあげる。安心しなさい、名義は別の人間だから、携帯から警察に居場所を特定されることは無いわ」
佐藤は田中が取り出した煙草とライターを自分の鞄に詰め込む。
「おいおい。お前を呼んだ理由は分かってんだろうな?」
「ええ分かってるわよ。私の瞳が頼りだったんでしょ? 霊的な存在や邪な存在を目を合わせるだけで祓うことが出来る。今回の件であの子達を襲う存在に対抗できるとすれば、確かに私の眼ぐらいだものね。だから、最後の仕事の詰めには付き合ってあげる。もしこの国蒔に潜む存在の本体を見つけたら、私に連絡しなさい。たぶん表に出たら私は警察に捕まるでしょうから、チャンスは一回限りよ。確証が得られた時だけ、私に連絡するように。いいわね?」
捲し立てるように佐藤は言う。田中はその圧に若干気圧されながら、何とか皮肉で返す。
「邪眼もちも大変だな。俺たちみたいな同業だけじゃなくて、この世ならざる存在からもモテモテなんだろ?」
「そうね。この眼は邪悪な者を祓うと同時に、邪悪な者を引き寄せてしまう性質もある。常に相手を視認できればいいのだけど、瞬きの瞬間を狙われたらどうしようもない。だから煙草の煙で身を守らなきゃいけないの。自分で吸うのは趣味じゃないけど、一人で身を隠すなら仕方ないわね」
佐藤はそう言い残し、田中の部屋を後にしようと扉に手を掛ける。
「あ、そうそう。一つだけ。羽廣神社から田中の車に戻る途中、あの神社の娘さんと会ったんだけど……あの子、私の眼を見て卒倒したわ。今回の保護対象、気を付けた方がいいわよ」
ガチャリと扉が開く音がして、佐藤は部屋を後にする。オートロックの錠がおりる音がして、部屋には静寂が訪れた。
「ふん。助っ人がとんでもないミスしやがって。クソが」
イラつきから田中は自分のポケットに手を伸ばし、佐藤に拠出されなかった煙草の箱を開ける。
もう佐藤は居ないのだから、無理に煙草を吸う必要は無い。そう思いとどまろうとしたが、彼女のせいですっかりニコチン中毒になっていた田中は、箱から一本煙草を取り出し火をつける。
「それにしても……気が進まねぇな」
佐藤は自分の目を邪悪な存在を祓うと言っていた。確かにその言葉に偽りは無く、怪異に対して有効な攻撃手段だ。
その効力を発揮するのは怪異だけではない。それは人間に対しても有効な力で、過去に罪を犯した人間と目を合わせると、その精神を揺さぶることが出来る。
そして、過去に詐欺や暴力事件を起こしている田中は、その対象の範囲外だった。だから田中は、人間にも効果があるというのは、佐藤の詭弁なのではと疑っていた。
しかし、あの郷土資料館で佐藤が目を合わせた少年は、明らかに動揺した様子だった。そして羽廣の娘も効果があったらしい。きっと、五人中二人が黒だったのだから、他の保護対象もきっと効果があるのだろう。
「……俺に効かない邪眼が効くって、連中一体何をやらかしたんだ?」
詐欺や暴力よりも重い罪。そんなもの、人殺しぐらいしか思いつかない。田中は根本まで煙草を吸い尽くし、とりあえず自分用の煙草を買いに行くかと身支度を整え始めた。
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