19話ー1 自宅


 家に帰ると、リビングでお父さんがビールを飲みながらテレビを見ていた。


「おう、お帰り」


「ただいまー」


 美麻ちゃんに付き合って、随分とアルコールを摂取したせいか、少しばかりほろ酔いだ。しかし、その気分の良さからか、もう少し飲みたい気分だった。


 僕はソファーに座る父親の隣に腰掛ける。


「一本貰っていい?」


「おう。珍しいな、お前が酒に付き合ってくれるなんて」


 普段は家で飲まないからなぁと思いつつ、僕は七福神の一柱が描かれた金色の缶を一つ拝借し、プルタブを引く。


 プシュ、と軽い音が鳴り、泡が口からあふれ出す。慌てて口元に缶を寄せ、その泡がこぼれないように吸い込む。


「……苦い」


 コーヒーは抵抗なく飲めるのだが、どうにもビールの苦さにはまだ慣れていない。どうして大人はこんなものを水の様に飲めるのだろう?


「二十歳を過ぎても、まだビールは早いか。いや、今の若いヤツだと、そもそもビールが好きじゃない事もあるらしいからな」


「どうなんだろう。一昨日の飲んだ時は皆はビールばっかりだったけど」


 優子も太一もビールだったし、美麻ちゃんに至っては今日だけで何杯ジョッキを空けただろうか。


「そういえば、橘太一って覚えてるよね? 会社ではどんな感じなの?」


「ああ、昔お前とつるんでた悪ガキだろ。直接会ったのは入社式の訓示以来だから、よくは知らないけど、人事が言うには頑張ってるみたいたぞ」


 お父さんは黒士電気の社員なのだから、太一と繋がりがあるはずだ。そう思っていたが、この反応を見る限り接点はほとんど無さそうだ。しかし、それでも僕の友達という事で、気に掛けてくれているのだろう。


「そういえば、そいつ最近結婚したらしいな。それも、家弓さんのところのお嬢さんだろ?」


「うん。二人とも就職して、マンション借りて暮らしてるみたい。太一は車も買ったみたいで、今日乗せてもらったけど六人乗りの大型ミニバンだったよ」


 ちょっと気が早い気もするが、つまりは子供が生まれた時の事を考えて車種を選んだに違いない。もちろん今日の様に、僕らが帰ってきた時に遊びに行くための足としての用途もあるのだろうが。


「実家が太いってのに、ちゃんとしてるなぁ。お前も大学卒業が見えてきたんだから、しっかりしてくれよ」


 白髪交じりの頭を掻きながら、お父さんはビールをあおる。つられて僕も自分の缶に口を付ける。苦味が口に広がるが、冷たい炭酸が喉を通る気持ちよさは何となく感じることが出来た。これがよく言うのど越しと言うものだろうか?


「大丈夫だよ。僕なりに色々考えてるからさ」


「ふん、どうだか。俺ももうすぐ定年だから、プー太郎を養う余裕は無いからな。ったく、なんで定年から年金貰えるまで時間が掛かるんだよ」


 僕は自分のアパートの部屋が何部屋も丸々入りそうなぐらいの広いリビングを見渡す。大型のテレビに音響装置、ドイツのメーカーが作ったという仕掛け時計、豪華な額縁に飾られた著名な絵画師による作品。一般家庭にはそぐわない豪華な調度品に囲まれたこの父親から、年金をあてにするような発言が出てくるのは意外だった。


「うち、そんなに家計やばいの?」


「そんなわけあるかよ。ただ、俺が一代で稼いだ金は死ぬまでに全部使い切るからな。遺産は無いものと思っておけ」


 嘘だろうな、と僕は思う。お父さんは投資目的に土地やマンションを多く所有しているし、株式や証券も随分抱えているはずだ。それら全てを整理して死ぬまでに豪遊するような真似は、堅実なお父さんにできるはずが無い。ようは僕が家に頼る事が無いよう、釘を刺しているのだ。


 お父さんは机の上に置いていた煙草を取り、火をつける。お母さんがリビングで煙草を吸うなと度々注意していたが、今日はもう眠ってしまったのだろう。


「もう歳なんだし、煙草止めたら? それに、お母さんに怒られるよ?」


 これは幸いと話題を煙草に移らせる。将来だの何だのと口うるさい話を続けられては、たまったものではない。


「臭いだけ誤魔化せば大丈夫だろ」


 なんだか、まるで中学生の言い分のようだ。会社では多くの部下を引き連れているこの男が、家では妻に隠れて煙草を吸っているなど、きっと会社の人間は思っても居ないだろう。今度太一に教えてやらなくては。


 そういえば、太一が中学時代に煙草を吸っているのがバレて大目玉をくらっていた事があった。ただし、一緒に吸っていたハズの真治と優子はお咎めを受ける事は無かった。やはり、三家の子供は特別扱いされていたのだ。優子のいじめも教師が黙認したからこそ、その八つ当たりに同じ三家の娘である風ちゃんが選ばれたのかもしれない。


「そういえば、今日は朝から出かけてたようだが、何処に行ってたんだ?」


「ああ、国蒔郷土資料館に行ってきたよ。太一が妖怪にハマってるらしくって、ハラサシって山姥の資料を皆で見てきたんだ」


 お父さんは興味なさげに「へぇ」と相槌を打つ。


「俺も昔、先代の羽廣さんに色々国蒔の歴史を教え込まれたなぁ」


「先代っていうと、風ちゃんのお爺ちゃんだっけ?」


「風ちゃん……ああ、羽廣さんのお孫さんか。何か色々あった時、お前が面倒見てくれたって随分感謝されたよ。そう、その風ちゃんの祖父が先代だ。黒士電気と国蒔の有力者との間繋ぎをしてくれてた人でな。あの人が居なければ、今の栄えた国蒔は無かっただろうよ」


「それと、お父さんの出世もでしょ?」


 お父さんは悪そうな笑みを浮かべて、「クク」と低い笑い声を上げる。


「そうだな。おかげで、間宮と俺は甘い蜜を吸わせてもらったよ」


「間宮さんって、美麻ちゃんのお父さんだよね。さっきまで美麻ちゃんと一緒だったよ」


「おう、そりゃいい。間宮のヤツ、娘が何考えてるか分からねぇってよくボヤいてるんだ。昔の友達と今でも仲がいいって知れば、色々安心するだろうよ」


 今まであまり父親の会社での関係を考えた事は無かったが、今の話を聞く限り美麻ちゃんのお父さんとうちのお父さんは仲が良いのだろう。僕はちょっとした期待を込めて、思いついた質問をする。


「ねえ、その間宮さんの娘さんがよく山に行くって言うんだけど、なんか心当たりない?」

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