18話ー3 羽廣神社
国蒔市の中心部を経由し、北側に車を走らせる。街灯どころか民家の光も無い田舎道を、月明かりと車のライトだけで走るのは心細く、ハンドルを握る手が強張る。
何より、昼間よりも子供の影がそこら中に溢れているのが恐ろしかった。ライトに照らされる作物の影や用水路の中から、明らかに常軌を逸した子供達が物珍しそうにこちらを見て来る。
これらの子供達は普通の人の目には映らない、この世ならざる存在だろう。田中はこの手の存在を感じ取れる自分の勘の良さを呪った。
「なあ、このガキ共を祓う事はできないのか?」
助手席に座る相棒はかぶりを振る。
「できるけどキリがないわね。時間も無いし、手出ししてこないなら無視してしまいましょう」
佐藤は簡単に無視しろと言うが、それはドライバーである田中には難しい事だった。
「ところで、羽廣神社の周りにはこのガキ共は……いや、それどころか社に神霊すら居なかったが、何か心当たりはあるか?」
「あら、田中も気づいていたの。鈍感だから分からないと思ってたけど」
「そりゃ、佐藤さんには敵わねぇけど、俺だって多少は感じる事ができるんだぜ。でなけりゃ、こんな仕事についていねぇよ」
佐藤は「それもそうね」と相づちを打つ。
「国蒔の西側は霊的な存在の空白地帯になっている。これは田中の見立て通りよ。理由はもちろん、羽廣神社ね」
喋りながら携帯端末で写真を表示し、田中に見せようとする。
「運転の邪魔をするな。こっちは今にも飛び出してきそうなガキ共に囲まれて、緊張の限界なんだよ」
「だから、どうせ霊体なんだから轢いたところで免停にはならないって。せいぜい、後ろの席に乗客が増えるだけよ」
「勘弁してくれよ。幽霊の送迎なんて、死んでもごめんだね」
「あら、田中が警察よりも幽霊を怖がるなんて初耳だわ」
田中は軽口を受け流しつつ、一瞬だけ画面を見て、その画像を脳裏に焼き付ける。円形の中に奇妙な字体で「何彁」と書かれ、その周囲に逆三角をちりばめた不思議な模様だ。
「それは何だ?」
「羽廣神社に祀られている存在の絵らしいわ。真ん中に書かれている文字は名前でしょうね。
「……一体どういう所以のものだ? 類似の神霊や妖怪が思いつかないのは、俺の勉強不足か?」
「いいえ。私だってコレが何なのか判らないわ。少し調べた所だと、『彁』は一切の意味を持たない文字らしいの」
「『無』と同じってことか?」
「それは何もないという意味があるじゃない。じゃなくて、本当に意味の無い文字なの」
「なんだそれ?」
田中は佐藤の話が理解できずに聞き返したのだが、佐藤はその存在の意味を問われたと思い話を進める。
「分からないわ。『何』は不定のものや未定のものを意味するから、『何彁』は未定の何かとしか言いようがない。けれども、これがあの辺り一帯から霊的な存在を排除しているのは間違いない」
「根拠は?」
「私の感」
田中は思わず口元を緩める。女の感ほど怖いものはそうそう無い。
「なるほどな。何よりも信頼できる話じゃねぇか」
皮肉を言いつつ田中はブレーキを踏み込む。道の先に子ども達が居たからだ。それも、一人二人ではなく、数十人の小さな影が道を塞いでいた。
皆がバラバラに遊んでいるのだろうか。駆けっこをするように走り回ったり、顔を隠して
「なぁ、ここまでにしねぇか?」
「何? 子供を轢く事に心理的抵抗があるのなら、私が仕事をするわ」
ここで指す仕事とは、あの子供たちを祓う事だろう。佐藤の厄払いは常軌を逸した強さがあり、並大抵の未練で現世に留まっている霊ならば、睨みつけるだけで祓うことができる。
「いや、それもあるんだが……嫌な予感がする。この先の何とか営業所に今近づくのはマズい」
「男の感ほど怖いものはないわ。だって、そのほとんどが身勝手な思い込みだもの」
「いや、まあそうだけどよ……」
まるで田中こ心の中を覗いたかのような言葉に、思わず萎縮してしまう。
「でも、まあいいわ。確かに私の感も引き返した方がいいって言ってるし。今日の所はこの先に何かあるって分かっただけでも十分としましょう。それに……」
田中は子供の霊に接触しないよう、細心の注意を払いながらバックし、車体の向きを反対にして来た道を戻り始める。
「今回の仕事、自分で調査して行動方針を決めているはずなのに釈然としないのよね」
「……それは俺も感じていた。分からない事はまだ多いんだが、妙に話がトントン拍子に繋がりすぎている。クライアントが情報を渋っているのにだ」
「そうよね。あと、友達の事を助けたいっていうのも怪しいわ。もし本気だったら、私たちに情報を渋る意味が分からない。もし田中がクライアントの立場なら、何を企んでいる時にこういう行動をする?」
「俺たちを騙したいか、クライアント自身に何かの圧力がかかっている場合かだな。ああ、クソ。二人で二百万じゃ割に合わねぇ仕事だ」
「分かっていると思うけど、自分の足で調べた情報は鵜呑みにしてしまうのが人間の心理よ。クライアントは意図的にその構造を作り出そうとしている気がする。もし、保護対象のうち何人かに命の危険が迫ったとしても、慎重に事を進めるわよ」
田中は煙草の煙でひりつく喉の痛みを感じながら、それは難しい事だとため息をついた。
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