17話 黒猫亭


「ごめんね、遅れて。待った?」


「ううん。今来たところだよ」


「わぁ、嘘つきさんだ!」


 美麻ちゃんは向かいに座り、日除けの帽子を取ると早速メニューを物色し始めた。ウェイトレスが水を運んで来ると、さっそく注文を始める。


「すいません。ビーフシチューとソーセージの盛り合わせとナポリタンと……あと生ビール下さい。エイジ君はどうする?」


「ええっと……ハンバーグとカシスソーダで」


 その細い身体からは想像できない量の注文に若干引きながらも、僕は狙いを定めていたハンバーグを注文する。ソーセージの盛り合わせも気になっていたので、後で摘まませてもらおう。


「それで、一体今日はどういう風の吹き回しなの? 美麻ちゃんから誘ってくれるなんて、珍しいよね」


「うーん……別に理由なんてないけど。エイジ君は友達と会うのに理由をご所望な人かな?」


「いや……別にそういう訳じゃないけど」


 美麻ちゃんに言われ、確かにと納得する。昔……それこそ小学生の頃なんかは、学校の帰りに約束を取り付け、何か目的があるわけでもなく皆で集まっていた。いや、そもそも皆で集まる事が目的になっていたのかもしれない。


 対して今はどうだろうか。この前の新宿で集まった時は期末テストの打ち上げだったし、今日の集まりもハラサシという妖怪を調べる目的があった。一体僕らはいつから理由が無ければ集まらなくなったのだろう。


 そういえば、健太が似たような事を言っていなかっただろうか。集まって何をやるかよりも、誰と集まるかの方が大切だって。案外、美麻ちゃんと健太は似たような考え方なのかもしれない。


「ねえ、それ何?」


 美麻ちゃんはテーブルに置かれたナプキンを指さして言った。謎の男が名前と連絡先を書き残した、あのナプキンだ。


「ああ、これ? 変な格好の男の人が、急に渡してきたんだよね」


「何それ、ミステリー? 日常の謎物でありそうなシチュエーションなんだけど」


 彼女はナプキンを手元に引き寄せ、書かれた文字をまじまじと凝視する。その様子はまるで、ドラマに登場する名探偵気取りだと思い、思わず苦笑する。


「何か分かりそう?」


「うーん……分からないね」


 そう言いつつ、テーブルに置かれた灰皿とマッチを引き寄せる。店内でたばこの吸えるお店が随分減ったと真治が嘆いていた事があったかが、どうやらこのお店は違うらしい。都内と地方で条例が違うからだろうか?


「でも、あんまり良くない物だってのは分かるわ。十中八九、ナンパか詐欺だと思う。気になるからこの番号に掛けたい気持ちはあるけど、関わらない方がいいわね」


 美麻ちゃんはマッチを一本取り出して、火を起こす。リンの燃える独特な臭いが僕の鼻孔を刺激する。


 そして、ナプキンの隅に火を移らせて、灰皿の上に置いた。火は勢いよくナプキンを燃え上がらせ、男の書いた文字を浸食する。


「……丸めて捨てれば良かったじゃん」


「ちょっと火遊びしたかっただけ」


「火遊びするとおねしょするよ?」


「ずいぶん古い迷信知ってるのね」


 火遊びするとおねしょをする。恐らく、火という危険なものを子供だけで扱わないように教えるため作られた迷信だろう。それとも、炎と利尿作用には何か関係があり、昔の人はそれを知っていたりしたのだろうか?


 ウェイトレスが僕らの席に近づき、飲み物とソーセージの盛り合わせを運んできた。お皿に敷かれたレタスの上に、粗挽き胡椒で黒い斑点が浮き出たものと、シンプルなものの二種が規則的に盛り付けられ、隅にはケチャップとマスタードが添えられている。


「ちょっと貰ってもいい?」


「もちろん。豚さんに感謝して食べなさい」


 ソーセージって豚肉で作るんだったっけ? 僕は取り皿に数本移し、美麻ちゃんとグラスをぶつけ合ってから食する。昼食から時間が経っていた事もあり、肉汁の甘味に舌鼓を打つが、よくよく味わってみると市販品のソーセージと大差ない無難なものだった。


「そういえば、迷信で思い出したんだけど……美麻ちゃん、ハラサシって知ってる?」


「……山姥の話だっけ? 昔、国蒔郷土資料館の授業で習ったよね」


「よく覚えてるね……」


 あの退屈で、誰一人として話を聞いていないと思っていた授業で、美麻ちゃんだけは内容を覚えていたという事か。


「それで、何でそんな話を?」


「ああ、今日は太一たちと郷土資料館に行ってきたんだ」


「はぁ? 何でまたあんな面白みのない所に……」


 美麻ちゃんは驚いた顔で言う。あんなところ、若者が集まっていくところでは無いので、その言葉はもっともだろう。


「この前の飲み会の時に、風ちゃんがハラサシの話をしたら太一が興味を持ったんだ。それで、国蒔郷土資料館ならハラサシに関する資料が有るから見に行くことになってね」


「ふぅん。でも、国蒔の歴史って三家の人たちがそれぞれ秘密にしてるから、あの郷土資料館に展示されてるものって眉唾な物が多いんだよね」


「えっ、そうなの? というか、なんで美麻ちゃんがそんな事を知ってるの?」


 僕の家庭と美麻ちゃんの家庭はよく似ている。共に父親が黒士電気の社員で、家族を伴って国蒔へとやって来た。ゆえに国蒔に関わる人間の血が一切混じっていない、完全な外様というわけだ。そんな外様である美麻ちゃんが、なぜそんな事を知っているのか。


「フウちゃんがそう言ってたから」


「風ちゃんが?」


 納得といえば納得だが、なんだか釈然としないものを感じる。ということは、風ちゃんは資料館の情報がデタラメな事を知った上で、僕らを資料館に誘ったという事だろうか。


 注文していた料理が運ばれてきて、僕らの会話は途絶える。料理に手を付けながら、先に口を開いたのは美麻ちゃんだった。


「そういえば、フウちゃんは元気そうだった?」


「え、ああ、元気そうだったよ。毎日じゃないらしいけど、学校にも行ける様になってきたみたいだし」


「そう。良かった」


 それから僕らの会話は近況報告や最近会った他の仲間の話、優子と太一の結婚の話などが続いた。やがて美麻ちゃんがビールの杯が進んでゆくと、何かを伝えたいが為の会話ではなく会話する事が目的となった、取り留めのない話題が続く。


 結局、僕らは終電まで黒猫亭で語らい合っていた。

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