16話 夕暮れ
「本当にここでいいのか? 何なら家の前まで送っていくけど……?」
「いや、大丈夫。ちょっと用事できたからさ」
「あんまり無茶しないで、今日は早く帰るのよ? 体調悪そうだったし」
太一と優子の善意にお礼を言いつつ、車に乗った風ちゃんと健太とも別れを言い、国蒔駅の前で下ろしてもらう。
結局、国蒔郷土資料館を後にした僕らは、昼食を取るためチェーン店のファミリーレストランに入った。
今回の国蒔郷土資料館へ行った目的はハラサシという妖怪について調べることだったが、それを調べて何かレポートにまとめ発表するなどの目標は無かった。ゆえに、ファミレスでのディスカッションでハラサシは山姥の一種であると結論が出ると、太一も興味を失ったのか、今日の残りの時間でどこに遊びに行くのかという話題へと切り替えてしまった。
その後はボウリングとカラオケという黄金ルートで休日を満喫した。やはり健太は歌が上手だったことと、意外にもボウリングでは優子と風ちゃんの女性陣の方がスコアが高く、男性陣を圧倒した事に驚いた。
明日は太一が朝から仕事だというのと、優子も当直との事なので、飲みたがっている健太の意見を却下して、日が陰る頃に解散となった。
家まで送っていくという太一の誘いを断り、僕は再びこの国蒔駅前に戻ってきた。
携帯端末を取り出し、時間とメールを確認する。
『それじゃあ、十九時に駅近くの喫茶黒猫亭で』
美麻ちゃんからの最後のメールは、そんな内容だった。時刻は十八時半を少し過ぎたぐらいだ。
まだ少し早いが、どこかで時間を潰すには時間が足りない。一瞬悩んだが、僕は黒猫亭に向けて足を進める。
黒猫亭は昼は喫茶営業を行っているが、夜は食事とアルコールを提供する小洒落たバーのようなお店だ。店主が大のミステリー好きらしく、店名も何かの小説から取ったものだと、どこかで聞いた事がある。
そんな所に美麻ちゃんは僕を呼び出し、一体何の用なのだろうか。
駅前のロータリーから十分ほど歩いた所に、雑居ビルに挟まれたスペースがあり、そこにツタが絡まったレンガ造りの建物が見える。郊外の自然の中にあれば、かなり趣を感じられそうなものだが、開発が進んだ国蒔駅周辺にこの外観の店舗は、異色を放っており、かなり浮いた存在だった。
店内に入り、アルバイトと思われる店員に待ち合わせである旨を伝える。奥のボックス席に通されて、少しばかり緊張した心持で座る。
何も注文せずに待っているのも気が引けるので、ブレンドコーヒーを頼む。所在なく、始めに運ばれてきたお冷に手を付けていると、向かいのボックス席に座る人物がこちらを凝視している事に気が付いた。
「あっ」
思わず声が漏れる。というのも、その人物は国蒔郷土資料館で出会った謎めいたカップルの男の方だったからだ。
男は僕からの視線に気づき、そっと目を逸らす。なんだか気まずくなって、僕は余計に緊張してしまう。
やがて運ばれてきたコーヒーはすっきりとして飲みやすく、コーヒーの良し悪しなど分からない僕でも美味しいと思える代物だった。
コーヒーの香りと、店内に流れる名前は知らないが聞き覚えのあるクラシック音楽に落ち着きを取り戻した僕は、母親宛に夕食を外で食べて来る連絡を入れ、続けて美麻ちゃんに既にお店に到着した事をメールする。
僕がコーヒーを飲み終えた辺りで、あの奇妙な男が席を立つ。片手に伝票を携えている為、会計に向かうのだろう。
僕がどこか安堵していると、男は何故か僕の座る席の前で足を止め、再び僕を凝視していた。
「ええっと……何か?」
いたたまれなくなり、思わず声をかけてしまう。
「……いや」
男は意を決した様子で、僕の席のナプキンを抜き出し、懐から取り出したボールペンで何かを書いて僕に渡す。
そこには田中実という名前と、電話番号が書かれていた。なんとも語呂合わせで覚えやすそうな番号だ。
「もしもお前が、警察を頼れない事情で身の危険を感じたら連絡してくれ」
「は、はぁ?」
その身の危険とやらを今感じているのですが。そう言いたい気持ちだったが声には出せず、知らぬ人間の奇行を前にただただ恐怖心にとらわれる。
「すまない、邪魔したな」
男はそのまま店の入り口で会計を済ませ、外に出て行った。
残された僕は安心感の中、このナプキンをどうしたものかと考えあぐねる。
いったいあの男は何がしたかったのだろうか? 喫茶店で電話番号を渡すなんて、昭和の映画では男女が出会うお馴染みのシチュエーションだ。最近では男性同士の関係も一般的らしいし、これがナンパである可能性もゼロではない。
しかし、続く言葉の不穏さを考えると、あまり口説き文句とは思えない。
何より、警察に頼れない事情で身の危険を感じるとは、一体どのような状況なのだろうか?
僕が不安な心持で、答えの出るはずのない謎かけの答えを考えていると、入り口が開き美麻ちゃんが店内に姿を現した。時計を見ると、十九時を五分ほど過ぎた時間だった。
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