15話 稀人


 亀ノ山の山道には老舗の蕎麦屋が営業していた。


 趣のある建屋に車が二台しか停められない駐車場。先々代の親父が健在の頃は遠方からわざわざ訪れる人が居たほどの繁盛ぶりだったが、代を重ねる毎に質は低下し、今では閑古鳥が鳴く寂れた店だった。


 それでも営業が続けられるのには理由が有り、店主が亀ノ山を越えた先に土地を所有しており、その不労所得だけで店一つと自身の生活を賄える為だ。


 そんな蕎麦屋に珍しく、一台の乗用車が止まっていた。四桁のナンバーの横には「わ」の平仮名が割り振られている事から、それがレンタカーである事が読み取れる。


 店の中から一組の男女が出てきて、その乗用車へと乗り込む。


「やっぱり高い蕎麦は旨いな」


 柄のシャツを着てサングラスをした男がエンジンを掛けながら言う。


「……本気で言ってる?」


 もう一人の女性が応じる。男と違い清楚な雰囲気を纏う女は、男に侮蔑の視線を向けながら携帯端末を開く。


「ここはハズレだったわね。店主が地主だって聞いてたから期待したけど、国蒔じゃなくて隣町の名家で、この店や土地は指原家から借りてるものだなんて。ダメ元で色々聞いてみたけど、あのボンクラ国蒔の歴史や謂れについて何も知らないじゃない」


 女は端末で飲食店のレビューサイトを開き、先ほどの蕎麦屋に最低点数を付ける。


「それで、次はどこを見に行きます?」


「羽廣神社に向かってちょうだい。神主にはアポ取ってあるから、無碍に扱われる事はないはずよ。でも、田中が居ると警戒されてしまうかしら? どこか離れた場所で待っていてちょうだい。話が終わったら連絡するわ」


「ッチ、人使いの荒い奴だ」


「田中が自分の手に余るってアタシに泣きついたんでしょ? ほら、食後の一服忘れてるわよ」


 田中と呼ばれた男は、苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべ、片手で懐から煙草とライターを取り出し火をつけた。


 紫煙が窓を閉め切った車内に充満する。レンタカーであること考えると、シートに吸い込まれた煙のせいで後々違約金を請求されてしまいそうだ。


「けほけほ……前から思ってたんだけど、その煙草臭い強すぎない?」


「……佐藤さんがタールの強い煙草は霊的な存在を退けるって言うから、無理して吸ってんだけどな」


「後で消臭剤買いましょう。霧状のものなら幽霊に効果があるってネットで書いてあったわ。今回の現場には随分と厄介なのが居るみたいだし、色々と試してみたいの。あっ、窓開けちゃダメよ」


 田中は自身に降りかかる不条理を嘆きながら、どうしてこんなイカれ女と組まなければならないのかと不幸を呪う。本来であれば別の同業者に支援を依頼する予定だったのだが、急な仕事という事もありスケジュールが合わず、結局この佐藤幸子といういけ好かない女しか都合がつかなかったのだ。


 もっとも、田中が不満なのは彼女の性格であり、その腕前は信頼が置けることを長い付き合いで知っていた。佐藤幸子という偽名は、一般的がゆえに他人に名前を握られても呪術的な攻撃が行いにくいという理由で名乗っているそうだ。田中もそのアイデアに感化され、日本で最も多い男性の名前をネットで調べて自身の偽名にした。


 佐藤のそういった警戒心の強さと発想の柔軟さは、田中が彼女を信頼する大きな要素だ。


「それにしても、早速ターゲットと接触しちゃうなんて、幸先良いわね」


「……一番手っ取り早いのは、連中を攫って安全な場所に幽閉する事なんだけどな」


 それが出来れば苦労はしないと、田中は自分で言った言葉に心の中でツッコミを入れる。例え依頼主の要望通り命を助ける為の行動だったとしても、犯罪行為をすればお縄に掛けられてしまう。そうでなくとも、除霊だの霊媒だのといった仕事は誤解を受けやすいのだ。現に田中は詐欺罪で前科があるうえ、佐藤も執行猶予中ではなかっただろうか。


「まあ、最後の最後は実力行使しかないと思ってるわ。その前に、クライアントが恐れてるっていう国蒔の怪については一通り調べなくちゃね。もし国蒔の外に連れ出しても被害が出るようなら、最悪の場合、誘拐殺人で絞首刑よ」


 佐藤の憂慮はまったくもってその通りだと思う。もしも荒事専門の連中を呼び寄せて、トラックにあの学生たちを詰め込んで外に逃がしたとしよう。いざ解放しようと開けたら全員が呪いで死んでいましたでは、どう考えても田中と佐藤が殺したと思われてしまうだろう。


「それで、佐藤さんは今回の件をどう見ます?」


「うーん……実家嫌いの大学生が抱いた誇大妄想かな。確かに国蒔には厄介そうなのが幾つか居る……特に子供の霊が多いのが気になる所だけど、口減らししてた寒村なんてどこも似たようなものだし。それに、神社で祀ったり祭りで慰めたり、きちんと管理されていそうなのよね。だから町にあんなに霊が溢れていても、何か大きな悪さをする事も無く共存できている。何か起こるとするなら、禁忌タブーを犯した時ぐらいじゃないかしら?」


「……禁忌か」


 古い土地にはその土地のルールが敷かれている事が多い。この場所に立ち入ってはいけないという禁足地や、特定の日に外に出てはいけないという言い伝え、この道を通るときに振り返ってはいけないというルールなど、その形は様々だ。


 そんな禁忌を犯した時には、必ず何かしら災いが降り注ぐ。佐藤はどうやら、クライアントの友人たちが禁忌を犯したと考えているらしい。


「分かっていると思うけど、こういう古い土地ではその土地のルールを必ず守りなさい。私たちみたいな部外者……いわゆる稀人まれびとは、知らず知らずのうちにルールを踏み外してしまうものよ。依頼は依頼で最善を尽くすけど、もしクライアントの友人を助けられないと判断したら、深追いせずに依頼料をがめてトンズラする事。禁忌を犯した連中を助けるために、こっちも禁忌を犯す事になったら本末転倒だもの」


「……禁忌を犯したヤツを助ける方法ってのはあるのか?」


「さあね。場合によっては救済処置を用意している事もあるけど、一般的にどうすれば禁忌を無かったことにできるかっていうのは無いわ」


 田中が運転する車の前に、突然茂みから子供が飛び出してくる。慌ててブレーキを踏み、何とか子供の手前で停車することが出来る。


「田中は優しいのね。私と一緒の時なら、それ轢いちゃっても良かったのに」


「……」


 子供はけらけらと笑いながら、反対側の茂みへと姿を消す。


「なあ、佐藤さんはこの子供達とハラサシとかいう妖怪、どっちが危険だと思う?」


「そりゃあ、断然……」


 田中は周囲の安全を確認し、再びアクセルを踏み込んだ。


「子供の方でしょうね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る