8話 依頼


 ある土曜日のこと。指原真治はその日、都内の喫茶店を訪れていた。


 チェーン店の喫茶店ではあるのだが、小洒落た調度品に囲まれた店内は過ごしやすく、コーヒーの香りが緊張した心を落ち着かせてくれる。


 隣の席の会話を盗み聞くと、どうやらマルチ商法の勧誘らしい。大半の人間は損をする儲け話によくもまあ騙されるものだと、心の中で軽蔑しつつ紫煙をくゆらせる。


 しかし、今日の自分はマルチ商法や宗教勧誘よりも、もっと質の悪い話をしに来ているのだ。人の事は笑えないと自信を戒めて気を引き締めなければ。


 やがて、約束の時間になると店内に強面の男が入店する。


 ガラのシャツにサングラス、ワックスで撫でつけた髪。どう見ても堅気の人間ではなさそうな風貌の男。そいつは店員には一言も声を掛けず、真っ直ぐに真治の座る席へと歩いてきた。


「指原真治本人だな?」


 真治は額に汗を滲ませながら、こくりと頷く。男は満足そうにほくそ笑み、真治の向かいに腰掛ける。


「あの、本日は……」


「前置きはいい。相談料は一時間で十万だ。前払いで払え」


 そう言って男は煙草を取り出し火をつける。白いパッケージに錨のイラストが描かれた、随分と香りの強い煙草だ。


 本当にこの男で大丈夫なのだろうか。そんな不安を感じながらも、真治は鞄から封筒を取り出し、男に渡す。


「検めてください」


 真治の言葉を無視して、男は封筒をそのまま内ポケットへと仕舞う。


「冷やかしじゃ無いらしいな。話を聞いてやる。依頼を受けるかは、内容次第だ」


「……国蒔という土地に友人が居ます。これから一週間のうちに、彼らの命が脅かされます。貴方達には、このの命を守って欲しいんです」


 鞄から別の封筒を取り出して、中に入っていた五枚の写真を取り出す。そこには、一枚につき一人ずつ写真が写っていた。うち四枚は拡大写真である事とその背景から、卒業アルバムから取ったものだとすぐに分かるだろう。


 男は写真を一瞥して鼻を鳴らす。


「こいつらを殺す存在に心当たりは?」


「土着信仰の対象です」


「神か?」


「いえ……説明が難しいのですが、神として崇められるような存在ではありません」


「分かった。詳細は文章にまとめてメールで送れ」


 そう言って、男は懐から名刺入れを取り出し、乱暴な手つきで抜き出した名刺を真治に渡す。そこには連絡先と田中実たなかみのるという名前、そして霊媒師という肩書が印字されていた。


「それで、お前はどうしてコイツ等が殺されると思っている?」


 真治はその問に口を閉じる。なぜ殺されると確信したのか、その理由は決して口外してはならない。例え相手が誰であろうと、の秘密を口外する訳にはいかない。


「……まあいい。うちの業界じゃあ、他人に話せない事の一つや二つ抱えたクライアントの方が一般的だ。その代わり、情報が足らずに救える命が救えなくなる可能性は理解しておけよ」


「すいません」


 真治が頭を下げると、田中は煙草を灰皿に押し付け、すぐさま次の煙草を取り出して火をつける。チェインスモーカーなのだろうか。


「じゃあ、依頼を受ける前に幾つか質問をする。回答次第で今回の報酬を決めるから、正直に答えろよ」


「……はい」


「まず、この五枚の写真の内、四枚は卒業写真から取ったもんだな? こいつらとの関係性は?」


「同級生です」


「ふん、面白くない答えだな。それで、一枚だけ他所で取られた写真だな。この女はお前の恋人か何かか?」


「いえ……ただの後輩です。一人だけ学年が違うので卒業写真が手に入らなかっただけです。画像は彼女のSNSのアイコンから引っ張ってきました」


「今時だな。それで……お前がこの五人に優先順位をつけるなら、どの順番になる?」


 中々酷な質問だと真治は一瞬黙り込む。


「……優先順位をつける事はできません」


「なるほどな。じゃあ、お前はこいつらの為に命を賭ける事はできるか?」


「……無理ですね。もしも田中さんが今回の報酬に私の命をご所望なら、今回の話は無かったことにさせてください」


「んな要求するかよ。悪魔じゃあるまいし」


 田中は真治の答えが気に召したのか、ここに来て初めて笑顔を浮かべた。


「よし、じゃあ最後の質問だ。今日、俺様へ仕事の依頼をするにあたり幾ら用意してきた?」


 真治は鞄から布袋に包んだ札束を机の上に置く。数日かけて定期預金や奨学金をかき集めて用意できたのが、この額だった。

 

「二百万あります」


「……分かった。その額で引き受けよう。明日から現地で調査を開始する。一人二人助けられん奴は居るかもしれんから、一応覚悟はしとけよ」


 田中は布袋を回収して立ち上がる。真治がほっと胸をなで下ろしていると、田中は去り際に「あ、そうだ」と言葉を残す。


「最後に……これは興味本位で聞くが、お前は人を殺したことがあるか?」


「……ありません」


 問いの意図を理解しないままに、真治は落ち着いて答えた。


「そうか。まあ、普通はそうだよな」


 何やら意味ありげな事を言いつつ、男は喫茶店の外へと出て行った。


 真治はまだ高鳴っている心臓を抑えつけ、携帯端末を取り出しメールを打つ。


『バックアップは用意した。田中実という、金髪で強面の詐欺師の男だ。明日からそっちに向かうから……』


 真治は画面をタップする手を止める。今ならまだ計画を止めることが出来る。この先の一線を超えれば、自分はまた罪を犯すことになる。


 しかし、踏みとどまった所でどうなる? 失ったものを取り戻す事もできず、今までと同じ日常の中で、ゆっくりと人生を消費する事に何の意味がある?


 例えリスクを負ってでも、計画は実行させなければ。


『そっちのタイミングで構わない。殺してくれ』


 送信ボタンをタップして、画面を閉じる。


 罪悪感と達成感の余韻に浸りながら、新しい煙草に火をつける。テーブルの上に置いたままの携帯端末が震える。


 もう返事が来たのかと驚いて画面を付けると、真治の予想に反してSNSのメッセージ通知だった。


『ハラサシって知ってるか?』


 藍川英司からの個人メッセージは、そんな内容だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る