7話 ハラサシ


「ハラサシ知ってるって……何で?」


 優子が不思議そうに尋ねる。もしかすると、同じ三家の娘である自分が知らない秘密を風ちゃんが知っている事が悔しいのかもしれない。


「ハラサシって亀ノ山に住んでるって言われてる妖怪です。山姥みたいな老婆の姿で、飢饉になって山に食べ物が無くなると人里に降りてきて、食べ物を寄こせと大人に詰め寄り断るとその家の子供の腹を刺して殺すんです」


「へぇ~、地元の妖怪なんだ。怖いね」


 僕が感心したように月並みの感想を述べる。大して太一がビールをタッチパネルで追加のビールを注文しながら、柄に無い事を言い始める。


「面白いな。妖怪って何かしらの自然災害の擬人化が多いし、そのハラサシってのも飢饉の擬人化なんだろうけど、因果関係が逆なんだな。妖怪が来ると飢饉になるんじゃなくて、飢饉になると妖怪が来る」


「そうなんです。そもそも飢饉にならなければ、ハラサシが山から下りて来る事が無いんです。だから、飢饉が起こらないよう祈願する為に、羽廣神社が出来たってお父さんが言ってました」


「ああ、神社絡みで知ってたのね。納得だわ」


 優子は納得したように頷く。やはり、三家絡みの秘密で自分が知らない事があるとプライドが許さないのだろう。


 しかし、今の話を聞く限りだと美麻ちゃんの語る山とハラサシを結びつけるものは無い。飢饉なんて現代社会とは無縁の言葉だし、無理につなげるとすれば被害者が子供という点だが、ハラサシは子供を誘拐するのではなく刺して殺すらしい。もしも美麻ちゃんが腹を刺されて死体で見つかったのなら話は変わって来るが、彼女は今でも元気なのだ。


「ハラサシについて知りたかったら、国蒔郷土資料館に行ってください。ちょっとだけですけど、ハラサシについての展示があったはずです。詳しい事はうちのお父さんに聞くのが一番ですけど、そんなに興味ないですよね?」


「郷土資料館って、亀ノ山の麓辺りにあるヤツか? 今度行ってみようかな」


「なんだよ、太一って妖怪とか好きなのか?」


 僕が聞くと、優子がげらげら笑いながら太一を小突く。


「ほんとに柄じゃないわよね。コイツ、前になんかのテレビ見てから妖怪にどっぷりなのよ。この前のゴールデンウィークなんて、岩手の遠野に行きたいとか言い出しちゃって、勘弁してほしいわ。そんなに河童を釣りたいなら、一人で行ってこいって言ったのよ」


「それで、本当に一人で行ってきたんだ。デンデラ野とか柳田邦夫の資料館とか、面白かったぜ。ほれ、これが河童の捕獲許可証」


 太一は財布からカードを取り出して見せる。そこには確かに捕獲許可証と印字されており、丁寧にも有効期限付まで設定されていた。体格が良い強面の男が、こんな可愛らしいお土産を財布に入れて持ち歩いている様がおかしくて、驚きと笑いが込み上げる。


「結婚したんだから奥さん大切にしてあげなよ」


「まったくだわ。結婚直後の長期休みに一人旅とか、あり得ないでしょ。もっと言ってやって頂戴!」


「おいおい、埋め合わせに箱根連れて行ったじゃないかじゃないか。勘弁してくれよ」


 埋め合わせが箱根というのもなんだか渋い気がするが、確か優子が好きなロボットアニメの舞台が箱根だったか。


「そういえば、遠野には人を山に攫う妖怪が居るぜ。山人ってそのまんまの名前だけど、超怖いから気になるなら調べてみてくれ」


「だれもアンタの妖怪トークなんて興味ないわよ……」


 優子が肩をすくめるつつ太一をたしなめる。旦那の趣味に理解の無い嫁という構図も、当人たちがどう思っているかは知らないが傍から見ると微笑ましく思えてしまう。


「それにしても、遠野程ではないけど国蒔も不思議な所だよな。ハラサシは初めて知ったけど、土疼鬼とか他の場所には無いだろ」


「元々国蒔って流刑地だったらしいわよ。国蒔って漢字も、獄地ごくち国蒔こくじに変えたらしいし。指原家の刺腹もそうだけど、不穏な言葉に別の漢字を当てはめて残す文化だったのかしらね」


「へぇ。そういえば、指原とハラサシって呼び方似てるけどなんか関係あるのかな?」


「えっと、どうなんですかね? 今度お父さんに聞いてみます」


 風ちゃんは困ったように首を傾げる。


「その前に郷土資料館行ってみようぜ」


「はぁ? なんであんな所に行かなきゃならないのよ。中学校の課外授業でもなきゃ、近寄りすらしないわよ」


「いいじゃねえか。真治が実は妖怪の末裔だったみたいな事が分かったら面白れえだろ」


「そんなに行きたいなら一人で行ってきなさい」


「ッチ。この前の河童淵と同じ流れじゃねえか。だれか付き合えよ、なあ藍川」


 僕に話を振られ、思わず苦笑してしまう。確かに優子の言う通り、郷土資料館は中学時代の授業で訪れた事があった。当時の僕らは地元の歴史なんて興味があるわけもなく、講師の話も聞かずに雑談していた記憶しかない。もちろん、ハラサシなんて妖怪の話を覚えている訳が無い。


「いいよ。お盆明けまでならこっち居るし」


「お、じゃあ決まりだな。健太も戻ってきたら、誘ってやろうぜ」


「ちょっと! あんまりコイツが調子乗るような事はやめて頂戴!」


「へっ、別にいいじゃねぇか。野郎は幾つになっても、妖怪や幽霊みたいな超常現象には目がねえんだよ」


 オカルト好きの女子も多いとは思うけれど、僕は「うんうん」と太一の言葉に同意して見せた。あまりオカルトには縁の無い僕だが、地元にまつわる妖怪の話には興味が無いわけでもない。


「あの、良かったら私も行きましょうか?」


 名乗りを上げたのは風ちゃんだった。


「ダメよ! こんなケダモノの群れに風ちゃんみたいな子を放り込んだら、何されるか分かったもんじゃないわ!」


「そのケダモノと結婚したヤツが何を言ってんだよ!」


 優子と太一の夫婦漫才を無視して、風ちゃんは言葉を続ける。


「たぶんですけど、あそこの展示だけじゃ太一さん満足しないと思うんです。それに自分の家のルーツにも関わる事だし、ちょっと私なりに調べてみようかなって。ガイドって訳じゃないですけど、お父さんから聞いた話とかも、その時出来そうですし」


「いいの? 風ちゃん、陰祭とかで忙しいんじゃ……」


「確かに陰祭は忙しいですけど、明日の土曜登校終わったら夏休みですから。それでなくても学校あんまり行ってなくて時間もありますし、ハラサシについて調べるぐらいちょちょいのチョイです」


「うんうん。風ちゃん偉いわ! 自分から家の事に興味持って調べようだなんて」


「お前も三家の娘だろ。少しは興味持ちやがれ」


「家弓家は男系の家よ。頼れる婿が来てくれて、私も安心だわ」


 また二人の小突き合いが始まり、傍目で見ている僕と風ちゃんは呆れてしまうが、もしかすると太一がハラサシについて知ろうとしているのは婿としてゆくゆく家弓の家を継ぐ覚悟の一環なのかもしれない。友人が本気で何かに取り組むというのなら、僕も何か手伝いたい。


「それじゃあ、僕は真治に色々聞いてみるよ。指原家とハラサシが無関係とは思えないから、きっとアイツなら何か知ってると思うし」


 まあ、本音を言えば真治のお姉ちゃんについて興味があるのだが。美麻ちゃんと顔見知りで、妖怪の名前で呼ばれ、山からやって来るという彼の姉は一体何者なのだろう。


「確かに、アイツなら絶対に何か知ってるはずだもんな。俺はあいつと仲良くないから、そっちは任せたぜ。ほら、外様の藍川まで協力してくれるんだから、お前も何か手伝えよ」


「しょうがないわね。ネット検索ぐらいならしてあげますよ」


 優子の言葉に皆が呆れながらも皆で一つの事を調べようというのは、なんだか結束を感じて楽しい。やっている事は中学生の夏休みのレポートのような内容だが大人に片足を突っ込んだ今でも、そんな事で盛り上がれる仲間というのは、きっと一生の宝だろう。


 それからも山やハラサシについての話題が続き、久々に会った仲間との飲み会は二十二時を少し過ぎた辺りで店員に退店を促されるまで続いた。

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