六人の長、九つの罪
第9話 六人の長、九つの罪 #1
◇◇◇
新暦7年。
6月2日。
9時56分。
リディア。官邸。
◇◇◇
リディアは、中国の一部エリアを買収し、その買収した土地を壁で囲うことで、1つの国とした。
国であるが故に、当然ながら首相が存在し、官邸もある。ただその官邸は、ホワイトハウスのようないかにもな建物ではなく、ありふれた、10階建てビルだった。
ビルのガラスは全て防弾。仮に強力な爆弾を貼り付けて爆破したとしても、多少キズが付く程度で破壊はできない。
合金とコンクリートで補強された壁と天井と床は、中に衝撃吸収剤が仕込まれているため、多少の振動であれば簡単に殺してしまう。
指紋認証のオートロック。網膜認証のオートロック。ID端末認証のオートロック。出入口や、ビル内のほぼ全ての部屋に設置された厳重なセキュリティ。
ビル群に紛れる、政府官邸。外面的にはこれといった特徴の無い、強固なビル。何も知らぬ人が見れば、ただのビルと見間違える。
そんな、外面的には一切面白くないこのビルに、リディア軍イグニス部隊の隊長、ヴァンが呼び出された。
―――部下を死なせた挙句、無様にも撤退したから、然るべき処分か……或いは、よく生き延びたと賞賛されるか。いや、賞賛はされない。処分って名目で、最前線に配備ってところが妥当か。
10階建て官邸ビルの最上階の廊下を歩きながら、ヴァンは自らに下るであろう処分について考えていた。
その面持ちは決して深くはない。氷のように冷たい目と、顰めない眉。いつもよりも若干、精悍さをイメージしたような、限りなく無表情に近い寒い顔だった。
その足取りは決して重くはない。ただ足音は立てず、廊下の左端、壁面スレスレを歩いている。さすがのヴァンも、官邸ビル内の廊下の中央を歩けるほど、嫌な性格はしていなかった。
日本への進軍が失敗してから、早くも22時間が経過しようとしていた。
唯一生還し、リディアへ帰投したヴァンは、即座に軍の上層部から報告を迫られた。一応、ヘイズルーンから撤退命令の申請が行われた際、大体の状況については説明が添えられていたのだが、生存者であるヴァンの口から経緯を説明するのが最善だと判断した。
ヴァンは説明の際に、スコルのメインカメラで録画していた内容を提示し、上層部へ渡した。
録画内容としては、バニティ出現から、撤退命令が来るまでの間。つまりは、日本語を用いたアルトとの会話は録音されていない。
ヴァンは帰投前に、ジェット機の中でデータだけ先に抜き取っていた。こうなることが分かっていたからである。
バニティによる奇襲と、その戦闘力。それらを最低限且つ確実に使えるため、事前に映像を編集していた。
その映像は、場面と場面の間に一瞬のノイズが交ざっており、不自然な場面転換が行われている。これは、提出前に編集したということを敢えて示しているのだ。そして、ヴァンが切り離したシーンの中には、バニティに搭乗するアルトと、アルトとの会話が含まれている。
アルトの搭乗シーンと一部の会話シーンを切り離したお陰で、上層部は、途中でバニティにパイロットが乗ったことを認識できていない。勿論、このアルトの存在を隠すような編集は、ヴァンが意図的に行ったものである。
映像を視聴した上層部は、軍ではなく、国の上層部へ即座に報告した。すると国の上層部は、翌日、ヴァンを官邸に呼び出すよう命令した。
そして、今日。
ヴァンは命令に従い、官邸に来た。
―――ここか。
招かれたのは、官邸ビル10階の一番端にある部屋。本来、官邸ビルの5階以上へ入るには、許可されたIDカードを所有し、且つ、身体の情報を事前に登録する必要がある。しかし、ヴァンは招かれた側の者である為か、建物内の監視カメラによる生体認証が優先され、IDカードも何も提示せずに、勝手に全てのドアが開いた。
ヴァンは、10階の一番端。指定された部屋の前にやって来た。
ここまでやって来れる者は限られる為か、その部屋のドアにはセキュリティロックが搭載されていない。つまりは、ドアをノックして名乗る、という、アナログな手法を取るしかない。
ヴァンは、気だるそうに掠れた溜息を吐き、軽く指を曲げた右手で、黒檀製のドアをコンコンとノックした。
「リディア軍イグニス部隊所属、ヴァン・イグニス大尉です」
ノック直後にヴァンが名乗ると、ドアの向こう側から、「入りたまえ」という応えが返ってきた。その声は、渋みのある低い男声で、どことなく、柔らかみのあるような、少々不思議な声だった。
許諾を得た為、ヴァンは「失礼します」と言い、銀のドアノブを回してドアを開けた。
開かれたドアの隙間から、コーヒーの濃く苦い香りが漂ってきたが、構わずヴァンは十分に扉を開き、入室。即座にドアを閉め、コーヒーの香りが漂う室内の空気を吸った。
その部屋には、窓がある。しかしその窓には全てブラインドが掛けられ、陽の光を遮っている。
床には、滑り防止のためか黒いカーペットが敷かれている。模様は一切描かれておらず、高級感はどうにも感じられない。
向かって右側の壁面には、地球儀やら彫刻やらを飾った横長の棚。左側の壁面には、あらゆる言語の本がずらりと並べられた本棚。
正面には、ガラス製のテーブルと、そのテーブルの左右には革製のソファ。
そして、テーブルとソファの向こう側には、木製の大きなテーブルがある。そのテーブルは、映画やドラマなどでよく見る、所謂勉強机のような構造で、いくつかの棚と、椅子を収納する為のスペースが設けられている。
「悪いねぇ、こんな所に呼び出しちゃって」
その男は、正面の木製テーブルに肘をつき、回転椅子に腰掛けていた。
齢50を超えているであろうその男は、右手でコーヒーカップを持ったまま、ヴァンを見て、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
前ボタンを開いた灰色のスーツと、少し緩めた深紅のネクタイ。ワックスで固めた赤毛のオールバック。それが、この男の基本スタイルだった。
「問題ありません。本日はお招き頂きありがとうございます、
「どうせ、僕らの他には誰も居ないんだ、姿勢も話方も楽にしていいし、昔みたいにミンおじさんって呼んでくれてもいいんだよ?」
「いえ、仮にも自分は軍人で、且つ階級は大尉。首相とは立場の違いがあります故……」
「相変わらず硬いねぇ。まあ、父母揃って真面目だから、君がその性格になるのは必然なのかな」
首相。そう呼ばれるこの男は、首相と言うには口調が軽く、飄々としていた。
この男は
リディアは元々、中国の一部だった。当時、命琉の祖父にあたる人物が、リディアの建国に携わった1人であり、その責任者だった。建国後、命琉の祖父は初代首相となり、その後は、首相は代々、
そんな、就任権剥奪と国民の目というプレッシャーに晒されながらも、命琉は無事、首相になった。その飄々とした態度から、国民の支持率は若干分かれるが、それでも、こなす仕事はこなし、且つ若者との交流なども多い為か、支持層からの信頼は厚い。
「まぁまぁ、とりあえずそのソファに座るといい。ヴァン君は……紅茶でいいかな?」
「はい。ありがとうございます」
ヴァンは軽く会釈をした後、目の前のソファに掛けた。その間に命琉は、地球儀を飾った棚の中からティーセットを取り出し、ヴァンの為の紅茶を煎れ始めた。
ヴァンは、コーヒーがあまり好きではない。飲めない訳ではないのだが、飲んだ後に口腔と鼻腔に広がる、コーヒー独特の苦い香りが、どうにも好きになれないのだ。
命琉は、ヴァンがコーヒーが好きではないことを知っている。そして同時に、ヴァンが紅茶好きであることを知っている。故に、命琉は自分から紅茶を出そうと提案した。
命琉は首相。相手の心や感情を察するのも業務の一環であると捉えている。
「さて、ヴァン君に来てもらった理由は……もう何となく分かってると思うけど、昨日の件と、今後についてだ。最初に言っておくけど、我々はヴァン君に処罰を与えるつもりはない。寧ろ、日本の新型デムズと対峙して生還できたという事実の方が大きい。マイク・グリッツ君が撤退命令を申請してくれなければ、リディアはキミを失うところだった」
ティーカップに茶葉を被せ、熱い湯を注ぎながら、命琉はイグニス部隊の働きを評価した。
もしも、ヘイズルーンから撤退命令の申請が無ければ、リディア側は4機のデムズを失い、4人のパイロットを失うところだった。特に、命琉や他の上層部は、数多の軍人の中でもヴァンを高く評価していた為、そのヴァンだけでも無事生還したことは、不幸中の幸いだった。
命琉の話を聞く中で、ヴァンは、無意識に両拳をギチギチと握っていた。上層部的には称えてもいい話なのだろうが、本人的には称えられていいような話ではないと考えているのだ。
「自分は、部下を3人死なせました」
「殺したのは日本のデムズだ。キミじゃない」
「そうなんですが……」
「戦闘用デムズが立つ場所は戦場だ。戦場に立つ以上、誰が死んでもおかしくない。血を流さずに済むことはありえないんだ、そう背負う必要は無いよ」
まるで、子供をあやすかのように、低く、渋みがありつつも、ゆったりとした優しい口調で命琉が言う。
不思議と、ヴァンの拳からは力が抜け、熱くなった手のひらに冷たい空気が触れていた。
「さて、前置きはこれでお終い。本題、今後についての話をしようか」
そういうと命琉は、紅茶の入ったティーカップをヴァンの前に置き、自身はヴァンと対面するようソファに座った。
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