第8話 邂逅、バニティ #8
◇◇◇
新暦7年。
6月1日。
12時33分。
日本上空。貨物用ジェット機内。
◇◇◇
東京からリディアへ戻るジェット機の中で、スコルから降りたヴァンは、回収したヘイズルーンの中に居たパイロットの隣に座っていた。
そのパイロットの名はマイク・グリッツ。ヴァンの率いるイグニス部隊に所属する、リディア軍の上等兵である。マイクは進軍開始後に、コックピットを狙ったバニティの飛び蹴りを受け、重症を負った。
ヘイズルーンが動かなくなってから、ヴァンもバニティも、パイロットのマイクは既に死んだものだと思っていた。しかし実際には生きていた。
奇跡的に生きていたマイクは、バニティの戦闘力を警戒し、メッセージで軍に最低限の現状を報告。さらに、撤退命令を出すよう申請をした。
撤退命令の申請は受諾。これにより、イグニス部隊は撤退の許可が下り、結果、こうして戦場から退けた。
ヴァンは、突然の撤退命令に困惑した。しかし、メッセージ内に「マイク・グリッツ上等兵の申請」という文を見つけ、動揺した。死んでしまったと思い込んでいた部下が生きていたのが嬉しかった、というのもあるのだが、嬉しさを超えるくらいに、驚愕した。
ジェット機に乗ってすぐに、ヴァンはスコルから下り、ヘイズルーンからマイクを下ろした。
生きていた、とは言え、マイクは酷い有様だった。
コックピット内のパーツが破損し、ベルトに固定されたマイクの体に突き刺さっていた。コックピット内は血の香りが漂う、酷く嫌な空気だった。
コックピットから下ろしたマイクは、ひとまず、休憩用に積んでいたマットレスに寝かせ、状態を見守った。しかし、マイクは息をするものの、目は覚まさなかった。
ヴァンはひたすら無表情で、何も言わず、マットも敷いていない金属の床に座り、呼吸だけをするマイクを見ていた。
ただ、10分と少し経過した頃。
マイクは、死亡した。
ヴァンは、涙は流さなかった。部下故に、悲しみはすれど、その悲しみは明らかに浅く、
死んだのはマイクだけではない。
ミゲル・ブラウン曹長。
アダム・ウィルソン伍長。
2人は東京で、パイロット不在の状態であったバニティに敗れ、誰かに看取られることなく死んだ。今頃、死体は火に焼かれ、真っ黒焦げになっているのだろう。
「俺だけが生き残るなんて……。マユ、どうやら俺は、隊長には向いてないらしい」
その場にはヴァン以外、生きた人間は居ない。故にヴァンが何を言おうと、誰も聞いていない。仮に聞いていたとしても、誰もヴァンとマユの関係など知らぬ為、きっと、聞き流していた。
「マユ……俺、どうすればいいのかな?」
普段、軍の中に居る間は、常に毅然とした態度で、上司部下問わず冷静さを保ち接している。決して弱音など吐かず、リディア軍の中にある一部隊の隊長として然るべき人物を演じている。
しかし誰も居ないこの場に於いて、無理に気取る必要は無い。そう判断したのか否か、ヴァンは、普段よりも少し弱々しい声で、この場に居ないマユに問う。
答えは返ってこない。返ってくるはずがない。しかしそれでも、ヴァンは声を漏らさずにはいられなかった。マユに甘えずにはいられなかった。
追憶の中に居るマユは小学生。仮にヴァンの声が届いたとしても、返ってくる言葉に期待はできない。そんなことは分かっているのだが、どうにも、マユに甘えてしまう自分が居る。
「マユ……会いたいよ……マユ……」
マユに会いたい。そう願い、呟くその姿は、まるで、拠り所を求め彷徨う子供のようだった。
イグニス部隊の隊長として保ってきた威厳等は微塵も感じない、ただの子供のようだった。
◇◇◇
新暦7年。
6月1日。
12時24分。
練馬区。エデン本社。地下ピット。
◇◇◇
社員達は、出撃したバニティの帰りを待っていた。
パイロット不在のまま出撃した為、正直、不安であった。リディア軍がどのような性能を誇るデムズを用いてくるのかが分からなかったのだ。
出撃後に入ってきた速報で、新宿に現れた2機のヘイズルーンに勝利したことは分かっていた。その時点で、不安は少し収まっていたが、それでもやはり、不安自体は心の中に渦巻いていた。
しかし、少し前に入ってきた速報で、リディア軍の撤退を知った。その時点で、社員達の心の中で渦巻いていた不安は溶け、代わりにリディアを撃退したことによる安心が身体中を駆け巡った。
『報告します。バニティの帰投を確認しました』
地下ピット内には、アナウンス用AIを搭載したモニターが設備されている。モニターの真横にはスピーカーがあり、そこからアナウンス用AIの声が流れる。
このAIはその役柄からアナウンサーと呼ばれている。声はバニティやスコルのものとは異なる。女性の声で、且つ無機質、という共通点はあるものの、声は異なる。
実はデムズ等に搭載されるAIの声にはいくつか種類がある。声優を雇い、ベースとなる声を
バニティの声には、ミク・トミザワという声優を起用した。TVアニメやゲーム、吹き替えなど、幅広く活躍する、人気の女性声優である。高めの可愛らしい声から、低めの可愛らしい声。少女らしさを捨てたボーイッシュな声。あらゆる声を使い分け、若手ながらも、凄腕や天才とあらゆる方面から呼ばれている。
アナウンサーの声には、ユナ・エザキという声優を起用した。彼女も前者同様に人気者だが、声質は全く異なる。彼女の声は前者よりも少し低めで、少女のようでありながら大人びた、不思議な魅力を持っている。
作業が始まれば酷く騒がしいエデンの地下ピットに於いて、アナウンサーの声は、よく響く声でなければならない。そう企画され、結果、今の声になった。実際、高過ぎず低過ぎなず、それでいてハキハキとした声は、騒がしいピット内でもよく聞こえる。
そんなアナウンサーの発言に、ピット内に居た社員達は、また騒ぎ始めた。
英雄の凱旋だ。そんな臭いセリフでも吐くのではないかと思うほど、ピット内は妙に昂った空気に包まれている。常人であれば「鬱陶しい」と吐き捨ててしまう程に騒がしい。
「天井を開放しろ!」
バニティの帰投を知らされたタイガは、低く、それでいて力強い声を響かせた。
このピットはエデンの地下にある。その為、デムズの出撃時や帰投時には、天井、つまり地上で言うところの地表を開放しなければならない。
天井は、ダンボールの蓋のように2層構造になっており、開放時にはまず、地表側の層が北側と南側に開く。次に、ピット側の層が東側と西側に開く。最終的に、本当に開かれたダンボールのような見た目になる。
滑走路は無い。将来的には、地下から地上へ活動の場を移すつもりであるが、現時点では、地下から真上に上昇するしか術が無い。
「来たぞ!」
蓋が開き現れた四角い空。その中心に、バニティが現れた。バニティは直立の状態で、四肢を真っ直ぐ伸ばし、最低限、首を下の方へ傾けている。バニティは足裏の推進器のパワーバランスを調節し、ゆっくりと、空から地下ピットへ降りてくる。
この操作はアルトの意思ではなく、バニティに任せている。何せアルトは、ピットの場所も、構造も知らない。バニティに任せておけば、問題無くピットに収まる。
オーライ、オーライ、と叫ぶ者は居ない。デムズの中にあるAIは誘導など必要としないのだ。寧ろ新暦を迎えたこの時代、オーライと叫ぶ人はそうそう居ない。
自動車も、自動運転の技術が採用され始めているため、バック駐車も、停車位置の確認も、殆ど車体に任せてしまっているのだ。仮に、オーライと叫ぶ者が居たとすれば、それは余程の変人か、或いは博識を気取る歴史マニアくらいであろう。
「着地確認! 天井閉めて!」
内側へ閉まっていく天井。その様子を真下から見れば、箱詰めされる荷物の視界を疑似体験できる気がした。
「お疲れ、バニティ」
安心したように肩の力を抜いたタイガが、いつもより少し優しめに、息を吐きながらバニティに言った。
『…………』
「……バニティ?」
返事が無い。ただの屍のようだ。
そんな言葉で片付けられたなら、どれほど楽なのだろうか。
バニティに限らず、デムズは基本的にAIを搭載している為、何かを問いかけたり、話しかけたりすると、決まってデムズは返答を投げてくる。それが例え如何に下卑た話題でも、デムズは決して無視をしない。仮に無視をしたならば、それは恐らく、AIがスリープ状態の時のみ。
バニティの場合は違う。デムズのAIがスリープ状態になるには、最低1分間の情報処理時間を費やす。それに、デムズがスリープになれば、ハッチが自動で開く。
バニティがピットに着陸し、タイガが声をかけるまで、1分も経過していない。加えて、ハッチも開いていない。
明らかに何かがおかしい。たった数秒前まで嬉々としていた社員達の顔が一斉に固まり、騒がしかったピット内には、緊張と困惑が漂い始めた。
「おい、バニティ?」
『……1週間ぶり、ですね。キシタニ部長』
バニティのスピーカーから流れた声は、バニティではなく、アルトの声だった。ただ、いくらデムズのスピーカーが高性能であっても、機器を通した人間の声を瞬時に判別するのは難しい。加えて、エデンの社員数は多い為、突然名前を呼ばれても、それが誰かは分からない。
「お前……誰だ?」
無人のまま襲撃したバニティが、コックピットにパイロットを座らせて帰ってきた。その現実を察し、タイガは、強ばった顔と声で尋ねた。
すると、バニティの胸のハッチが開き、中から、アルトが姿を現した。
「エデン本社所属、アルト・カザマツリ」
「っ! カザマツリ……!?」
見知った顔。聞き慣れた名前。
タイガは、予想もしなかったパイロットの素性に、動揺した。
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