第7話 邂逅、バニティ #7

 どこかから駆け出してきたアルトが、バニティの方へ向かっている。その様子を確認したスコル(に搭乗したヴァン)は、「バニティにパイロットが搭乗してしまう」と焦った。しかしその焦りが偶然にも機体の角度をいい方向へ変え、スコルは、いつでも立ち上がれるような態勢になった。

 スコルは地面に手をつき、腕を立て、起き上がった。

 バニティのハッチ付近を見てみると、走ってきたアルトの姿が無く、開かれたハッチは既に閉じている。ヴァンは理解した。アルトは既に、バニティに搭乗している、と。

 立ち上がったスコルは、早々にバニティの頭を掴んだ。スコルは仰向けであったが、バニティは横向きに転倒していた為、掴んだのは側頭部。少々掴みにくかったが、それでも、スコルは手を離さず、頭を掴んだままバニティを持ち上げた。


 ―――あと12秒。


『バニティのパイロットに告ぐ。我々リディアは、世界の平和を前提として武力を誇示している。もし、お前も平和に至る未来を望むのであれば、俺達と共に戦わないか? その機体があれば、パイロットであるお前も評価される』


 ヴァンは、敵対の動きを見せたバニティと対峙した。しかしパイロットが搭乗した今、目の前に居るのはバニティではなく、実質的に人間のアルトとなった。デムズ相手では勧誘は不可能であると判断したが、人間相手であれば、好条件を提示するか適当にほだせば自分側の力になる。

 バニティがリディア側に寝返れば、抵抗する日本側から戦力が1つ減る。しかもその1つの戦力は、ヘイズルーンを一撃で仕留めるスペック。日本を降伏へと導く要因になるかもしれない。

 故にヴァンは、バニティの心臓部に納まったアルトを勧誘した。


『評価? ……生憎俺は、他人ひとの評価なんてものに価値を感じてない』


 口を開いたと思えば、寝返るか否かではなく、持論を垂れ流した。その様子にヴァンは少し警戒。再びバニティの翼から羽根を1枚捥ぎ取り、脅迫するように鋭い羽根のナイフをバニティの首元に突き立てた。


『ではこうしよう。協力してくれるならば、返礼として今よりも良い生活を与えてやる。望むものは可能な限り与えよう』

『……悪いな。誰かのペットになるつもりなんて無い。それに、誰かに与えられた幸せよりも、今近くにある日常の方が大事なんだわ!』


 バニティとスコル、アルトとヴァンの会話の中で、既に、予定していた時間は終わっていた。


《調整は完了しました》


 デムズを操縦している間は、視界にターゲットマーカーや、体温や心拍数などの身体情報が表示される。そして、デムズ間や他機器からメッセージを受け取った際には、視界の右下にメッセージ内容と送信者の名が表示される。

 アルトの視界の右下に、バニティからのメッセージが届いていた。調整は完了、それは即ち、戦闘準備の完了を意味する。

 刹那、アルトは右脚ふくらはぎの推進器を稼働させ、右脚のみを前方へ加速。推進方向を微妙に調節し、眼前の敵を蹴り上げるように脚を動かした。

 狙いは、スコルの股間である。


『せい!』


 推進器により加速したアルトの蹴りは、狙い通りスコルの股間を捉え、金属同士が強くぶつかる際の鈍い音を響かせながら、スコルの股に全力の蹴りを叩き込んだ。

 デムズには痛覚が無い。しかし、意識を機体と共有しているため、股間部の装甲と金属製筋肉が音を立てて損傷していく際の衝撃は感じていた。

 デムズに於いて股間は、人間同様に弱点として扱われている。脚の稼働に必要なパーツが諸々詰まっている為、損傷を受ければ歩行に支障が出るのだ。


『ぐっ!』


 蹴りを喰らったスコルは、思わず羽根のナイフを手放し、バニティの頭からも手を離してしまった。

 間髪置かず、バニティはスコルの腹部に右ストレートパンチを叩き込み、僅かながら距離を取った。

 そして、バニティは自らの翼に生えた羽根を1枚掴み、雄叫びを轟かせながら強く引き抜いた。その際、羽根と本体を繋ぐコードがと大きな音を立て、ちぎれてしまった。


『うおおおおお!!』


 羽根のナイフを構え、バニティは前進。羽根の先端はスコルの腹部を捉えている。

 戦闘用デムズの腹部には、腹筋を模した装甲が6枚ある。その装甲と装甲の間には、稼働域を広げる為の僅かな隙間が存在する。隙間が無ければ、胴体を曲げることが困難になる為である。ただ、その隙間は本当に僅かで、デムズの手指を差し込むことはできない。故に6枚の腹部装甲の隙間は弱点として認識されていない。

 しかしバニティが突き立てた羽根のナイフは、なんとその僅かな隙間に刺さり、装甲の内側にある金属製筋肉をブチブチと抉った。手指は入らぬが、鋭利且つ薄いバニティの羽根であれば、突き刺すことは可能。

 とは言え、1発で、それも互いに体全体を動かしている状態で、バニティの羽根を装甲の隙間に刺すのは、極めて困難である。何故なら、装甲間の隙間は常時晒されている訳では無く、体を一定以上の角度曲げなければ晒されないのだ。その角度とタイミングを見極めることすら難しい。

 どの程度困難であるかを例えるならば、一定速でランニングをしながら、裁縫針の穴に1発で糸を通すようなものである。

 タイミングと角度。全ての条件が揃わなければ、バニティの一撃は確実に防がれていた。しかし偶然にも、全ての条件が揃ってしまった為、バニティの羽根が刺さった。


『ハラキリのサービスだ!』


 バニティが刺したのは、スコルから見て比較的左側。中心では無い、という状況から、アルトは即興で次の攻撃に移った。

 左脇腹に突き刺したナイフを横へ動かしていく。装甲下の筋肉をブチブチと裂いていく音が響き、バニティの腕にも、金属を裂く感覚が伝わってくる。

 筋肉を構成する金属ワイヤーの束の奥には、潤滑剤や冷却水を循環させる血管のようなパーツがある。腹部にも血管は通っており、且つその本数が多い為、腹部を裂けば血管が損傷し、潤滑剤やら冷却水やらが噴出してしまう。

 腹部を裂き、噴き出す液。アルトが言った通り、その様は切腹に酷似している。ただ、人間のようにはらわたは出てこない。


『クソッ! っ、…………!!』


 バニティの攻撃に苦戦を強いられている。そう自覚し始めた頃、ヴァンの視界隅に、メッセージが届いた。ヴァンは一瞬でメッセージの内容を把握し、その内容を実行した。


『……バニティとそのパイロット。お前達は強い。このまま戦えば、間違いなく俺は敗北して死ぬ。だが俺は、ここで死ぬ訳にはいかない。例え耐え難い屈辱を味わったとしても、俺は生きる道を選ぶ』

『屈辱? 何だ? 逃げるつもりか?』

『ああ、逃げる』


 耐え難い屈辱。ヴァンのその発言から、アルトは「逃げるのか」と考えた。ただ、逃げるのか、と問うだけでは面白く無いため、敢えて声に抑揚をつけて、煽るように言った。しかしその煽りにヴァンは乗らず、寧ろ、逃げることを前提に発言したことを認めた。

 逃げる。そう発言し、ヴァンはバニティに背を向けた。戦場に於いて敵に背を向ける行為は、愚行と言う他無い。

 ヴァンは軍人である。背を向けることが愚行極まりないことは、勿論心得ている。しかし、そのような愚行に走ってでも、或いは路上の塵が如く身をやつしたとしても、ヴァンは自らが生き残ることを強く考えている。


『そもそも死ぬ気は無かったが、撤退命令が出た。俺は命令に従い、この場から……お前から逃げる』


 バニティに背を向けたまま、スコルは前へ進んでいたが、暫く歩いたところで足を止めた。停止したスコルの前には、バニティの飛び蹴りにより戦闘不能に陥ったヘイズルーンがある。

 スコルは、アスファルトの上で力無く転がるヘイズルーンを掴み、抱えた。持ち上げる際、バニティとの戦闘の中で損傷した腹部と股間部に違和感を感じたが、それでもスコルは、どうにかヘイズルーンを持ち上げられた。


『バニティ、見逃せ。でなければ、俺達を迎えに来る貨物用ジェット機がお前とこの街を焼く』

『安心しろ。逃げる奴を追う気なんて無い。俺は軍人じゃないから、敵を逃がしたところで咎められないよ』

『軍人じゃない? 一般人がパイロットとして戦っているのか?』

『成り行きだけどな』


 軍人ではない一般人が戦闘用デムズに乗り、戦場で殺し合いを行う。そんな現実に、スコルに搭乗したヴァンは呆れた。


『バニティのパイロット、警告しておく』

『っ!』


 ヴァンの発言に、アルトは驚きを見せた。

 新暦という時代を迎える前に、地球上では、言語の統一化が計画されていた。しかし計画は実行されず、代わりに、英語が世界共通語として扱われるようになった。

 各国で英語の学習が強化され、今では、小学生の時点でネイティブ並の英会話ができるようになった。しかし基本的には母国語を優先して用いる為、街を見回しても、母国語の看板が多い。

 さて、ここで話を戻し、アルトはヴァンの発言に驚いた。何故驚いたのか、というのが、ヴァンの用いた言語である。

 実は、リディアが東京の地に立ち、今に至るまで、リディア側の会話は全て英語で、バニティとの会話も英語だった。アルトもマユも英会話はできる為、これまでの会話を全て理解できる。

 しかし、たった今、ヴァンが用いたのは、英語ではなく、日本語だった。警告しておく、と、日本語で言ったのだ。

 日本語は、世界共通語ではないため、日本人や、日本語を学習した外国人しか理解できない。ヴァンの場合は、純日本人と遜色の無い流暢な日本語で、決してカタコトではなかった。

 今まで英語で話していたヴァンが突然日本語を用いた。その意味はアルトには分からなかったが、意味無くして言語を切り替えるなど有り得ないとアルトは考える。そう考えたが為、敢えて指摘はせず、黙ってヴァンの発言に耳を貸した。


『……リディアは今、狂っている。平和の為に戦いを起こす……そんな矛盾に気付かないくらいにな。近いうち、恐らくリディアはバラバラになる。そうなれば、リディアの黒点は顕著になり、今以上の被害がでるかもしれない。だからバニティ……宝は宝箱に隠し、箱を守る兵を量産しておけ』

『なんで、俺に警告を? お前は俺達の敵じゃないのか?』

『俺は正義の味方だ。リディア軍に居ると言っても、リディアの味方だなんて一言も言ってない。勿論、今はお前達の敵だ。その証拠に、俺は人を大量に潰した』


 そう言うと、スコルは推進器を稼働させ、逃走の準備を整えた。

 思いもよらない発言に、アルトは少し呆然としたが、推進器の稼働する音に意識を取り戻し、去ろうとするヴァンに声をかけた。


『日本語、上手いな』

『俺はリディア人だが、故郷は日本だ』

『なるほどね。人狼のパイロットさんよ』

『イグニスだ』

『ならイグニス、また会おうな。俺はアルト。次に会う時は、お互い正義について語り合おうか』

『アルト……覚えておく。しかし、名乗ってよかったのか?』

『それはお互い様だ。それに、わざわざ日本語を使い始めたのはそっちだろ?』


 様々な国籍の人間が集まるリディア国内では、共通語である英語が用いられている。部隊内での会話も全て英語で、デムズに届くメッセージも英語。

 リディア人が、英語以外の言語で会話をする際は、大抵、同じ国の者同士で秘密の会話をする時に限られる。つまりは、ヴァンがこの場で日本語を用いたのは、自身の所属するリディア軍にさえも聞かれたくない話題であるということ。


『さっきも言ったが、俺は正義の味方だ。お前達の正義次第で、俺は敵にも中立にもなる。話はこれで終わりだ。だがもう一つだけ警告しておこう。戦争とはいえ人を簡単に殺すような奴の言葉は信用するな』

『……ああ、覚えておくよ』

『それでいい。じゃあな、アルト』


 スコルはヘイズルーンを抱えたまま、地表から足を離し、上空へ進んだ。今現在、秋葉原の上空には、リディア国籍の貨物用ジェットが滞空している。そのジェット機に搭乗し、ヴァン達はリディアへ帰る。

 本来ならばジェット機は、日本に進軍した4機全てを回収する予定であったのだが、既にヘイズルーンが2機潰れた為、回収するのはスコルと、1機のヘイズルーンのみ。


 ―――信用するな、か。


 雲の上へ消えていくスコルを見上げながら、アルトは、脳内でヴァンの言葉をリピートしていた。

 人を簡単に殺すような奴の言葉は信用するな。それはつまり、ビルを壊し、あっさりと通行人達を殺したヴァンにも言えることである。

 信用するに値しないヴァン。そんな男からの信用するなという警告。リディアのことを矛盾していると言い放つヴァンもまた、矛盾していた。


 ―――バニティ、俺はこれからどうすればいい?

 ―――エデンへ向かってください。正規のパイロットとして手続きを進めます。

 ―――分かった。けどその前に……。


『マユ、居るか?』


 マユが何処に逃げたのか、或いはどこに隠れたのかは知らない。ただ、話すべきことを話そう。そう考え、アルトはバニティのスピーカーを用いてマユを呼んだ。

 名前を呼んでみると、搭乗前に隠れていたビルの隙間からマユが姿を現した。どうやら逃げてはいなかったようである。


『これから職場に行ってくる。だからマユ、悪いけど先に帰っててくれ』

「……帰って、これるの?」

『帰るよ。だから先に帰って待ってな』


 ―――バニティの製造……なんで秘密にしてた? 職場行ったら問い詰めてやる。


 アルトは、バニティに関して一切会社から知らされていなかったことに苛つきながら、推進器を稼働。職場に向けて飛翔した。

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