第6話 邂逅、バニティ #6

 前。後。右。左。上。下。360度、目が動く範囲、首が動く範囲の何処を見ても、真っ白な、何も無い空間だった。床も無ければ天井も無く、壁も柱も何も無い。太陽や照明といった光源は一切見当たらないが、自らの体はハッキリと視認できる。

 アルトは悟った。ここは現実世界ではないのだと。

 この世界に立ち尽くす直前、アルトはバニティに搭乗した。その記憶から察するに、この白い空間は、バニティの中。肉体から抜け出した意識が辿り着く、バニティの心臓の中であろう。

 そんなことを考えていると、自らの後方から声をかけられた。声をかけてきたのは、バニティだった。


『はじめまして、アルト・カザマツリ』

「バニティ……」


 体長15メートルを超えるバニティ。しかし、この白い空間の中で、アルトの前に現れたバニティの体長は、アルトと同じ160センチ台だった。

 バニティと対面し、改めて、アルトはそのデザインに見蕩れた。

 梟を模した頭部。赤く鋭い眼球カメラ。エメラルドグリーンの装甲と翼。マットブラックの羽根。装甲と装甲の隙間や、関節部から覗く、銀色の金属製筋肉。

 仕事で扱っているデムズとは異なるデザイン。カラーリング。装備。

 惹かれる。これまで見てきたデムズの中でも、バニティのデザインはアルト的には天才的且つ魅力的で、見た瞬間からアルトの心を掴んでいた。誰がバニティをデザインしたのかは知らないが、アルトはそのに対して尊敬に限りなく近い感情を抱いた。


『今現在、アルト・カザマツリの意識は私の演算能力と同じスピードで動いています。体感的には、外の時間が停止しているように感じられるはずです』

「なら、あの人狼デムズとの戦闘までに十分に話せるって訳だ。……名乗ってないはずだけど、どうして俺の名を?」

『出撃前、エデンの社員のリストに目を通しました。その中にあなたの名前と情報が記載されていた為、把握しています』

「ってことは、やっぱりエデンが製造したのか。そんな話、全く知らないけど」


 アルトは、バニティの存在を知らないのだと理解し、拗ねたように言った。

 Sシリーズの内容に関しては会社の最高機密であり、社員であっても知る者と知らない者が居る。アルトの場合は知らない者である。


『アルト・カザマツリ。あなたを含めたエデンの社員の中に、私を操縦するに値する者は居ないと判断しました。今回は場合が場合であったためハッチを開けましたが……』

「何で俺は相応しくないんだ? 俺だけじゃない。社員には色んな人間が居るのに」

『確かに、数は居ます。ただ、機密情報込のプロフィールを閲覧した際、私を扱うには、エデンの社員は個性的すぎます』


 出撃前、バニティが言っていた。

 虚飾という言葉が相応しい人物こそが、バニティを操縦するパイロットであるべきだと。虚飾という意味を持つ名で作られた機体には、虚飾という言葉が似合う人物が搭乗するべきであると。

 そこで、社員のリストに目を通した際、バニティは、虚飾に相応しい人物を探した。

 そのリストは、基本情報として登録された、名前や年齢等の個人情報や、趣味や特技を綴った任意のプロフィール。後はこれまでの勤務実績や、面接時の適性検査結果やその評価一覧。諸々が記載されている。

 そんなリストを閲覧すれば、きっと虚飾に相応しい者は居る。そう考えて閲覧したが、どうやらバニティの考えは甘かったらしく、虚飾らしい人物は居なかった。

 個性的な人物を探しているのではない。しかし個性的な人物が社員には多かった。故に、バニティは諦め、パイロットの選出を断念した。


「俺……そんなに個性的?」

『あなたは、普通すぎる。記載された情報全てを閲覧しましたが、あなたの場合は、個性的という言葉さえ相応しくない、寧ろ面白味に欠ける虚空のような人物だと判断しました。趣味はアニメ鑑賞、特技は無し。適性検査の結果は僅かに平均以下。総合評価は5段階中の3。整備や操縦の腕は良いですが、それを誇るでも、謙る訳でも無く、淡々と、ただ手を動かす。秀逸でも個性的でもない、普通すぎるんです』


 出る杭は打たれる。という言葉があるが、職場に於いてアルトは、全く突出する気配の無い、寧ろ地表よりも低い位置に刺さったような杭である。

 普通すぎる。その言葉に、アルトは眉を顰めた。今まで誰にも言われたことがないのだ。

 明るい方と暗い方。人間とは不思議なもので、大抵、暗い方を好んだとしても、明るい方へと向かう習性がある。上司や同僚も同様で、深く暗い地中に沈むアルトという普通の杭よりも、地表に顔を出した大小様々な杭や、或いは叩くこと無く突出した杭に視線を向ける。

 社員の誰も、アルトに興味が無いのだ。ただ1人だけ、アルトの親友とも呼べるような者が居るが、それ以外に友人はおらず、互いに名前さえ知らない場合も多い。

 興味が無ければ、アルトを見ない。評価をしても、ただそれだけ。故に誰もアルトのことを、普通だとか、面白くないとか、揶揄するようなことは無い。


『教えてください、アルト・カザマツリ。なぜあなたのような面白味の欠片も無い方が、私に搭乗する気になったのですか?』


 その問いに答えようとするアルトだが、少し恥ずかしげに、右手で後頭部を掻いた。


「守りたいものがある。そいつらの為に、俺がやれることを考えた。大した特技も無い俺にのかは分からないけど、それでも、何もせずに足踏みするのは嫌だった」

『よく私に乗ろうと思いましたね』

「パイロットが居ないんじゃ、デムズは十二分に性能を発揮できない。だからさっきも、あの人狼デムズに押されてたろ」

『ではあなたなら、私の性能を引き出せると?』

「できる限りやるさ」


 性能を発揮できる根拠など無い。しかしだからとは言え、スコルとの戦闘で劣勢に立たされるバニティの姿を、黙って見ている訳にはいかなかった。


『あなたの守りたいもの、とは?』

「弟達と妹達。それと、妹にとって大切な奴。後は……俺の推しだ」

『あなたには兄弟が居ないと記載されてしましたが』

「血の繋がりが無くたって、アイツらは俺の家族だ。孤児なんだ、全員」


 アルトは、マユと同居している。マユだけではない。幾人かの子供達も居る。

 都内に在る、みもざ園という養護施設。そこには、孤児が複数人住んでおり、アルトとマユも、孤児として住んでいる。

 5年前の新暦2年。戦争が勃発した。今年の戦争はリディアが火種であったが、新暦2年の戦争の火種はリディアではなかった。火種は、当時存在していた独立国である。1年で終結した戦争であったが、その戦火は広範囲且つ高音で、幾人もの人々と建物が焼かれた。

 その戦争の中で、家族を亡くした子供達は数知れず、戦後、みもざ園のような戦争孤児を擁護する施設が幾つも立ち上がった。

 戦後当時、アルトは17歳。父は出征時に死亡し、母は空襲で死亡。孤児となり、炭になった自宅を眺めていた頃、みもざ園の園長に拾われた。

 アルトはみもざ園の孤児の中で最年長だったため、みもざ園の大黒柱的存在となり、今に至る。


『では、妹にとっての大切な人物とは?』

「さあな。詳しくは知らない。出会った時から大事そうに持ってるロケットペンダントがあって、その中に写真がある。銀髪の、日系外国人かハーフの男児ガキだ」


 妹、というのは、みもざ園で共に暮らすマユのことを指している。

 マユが孤児としてみもざ園にやって来たのは、アルトよりも少し後。そんなマユは、来園時、既に記憶を無くしていた。マユは自分の名前さえも覚えていないような状態であったが、ただ一つ、だけは決して肌身離さなかった。

 ロケットの中には、幼少期のヴァンの写真がはめ込んである。しかしマユの記憶の中に、ヴァンは居ない。

 何故、自分がこのペンダントを持っているのかは分からない。記憶という引き出しが空っぽである為、いくら考えても分からない。それでもマユは、何故かペンダントを常備してしまう。心と肌が、何故かペンダントを離そうとしないのだ。

 その様子を近くで見ていたアルトは、ヴァンとマユがただの知人ではないと察し、恋人に相当するのではないかと考えていた。ただその真相は誰も分からないため、考えはすれど、口には出さない。


『何故、あなたは見知らぬ人物さえも守りたいと思うのですか? 人間とは、何事よりも自分自身を優先する生き物だと把握しておりますが……違うのですか?』


 無感情で、機械的で、淡々として、酷く低温なバニティの言葉。その言葉に図星を突かれたと言わんばかりに、アルトはバニティから不意に目を逸らし、息と言葉を詰まらせた。

 バニティの中に生きるAIは、誕生した後、ネット上のあらゆる情報に手を出し、閲覧し、結果、人間をある程度理解したつもりでいる。

 神により形作られたのか。

 1つの細胞が進化していったのか。

 知恵の実を食した先祖から生まれたのか。

 そんな、人間のルーツなどは知らない。

 バニティが理解したのは、今を生きる人類。強いて言えば、20世紀頃からの歴史である。

 技術や文明の発達に伴い、人類は欲という罪を孕み、その罪を糧とし、生き甲斐とし、魂とし、日々未来へ進んできた。

 その結果、世界の半分が進化し、半分が退化した。

 そんな歴史の中でバニティは、人間の本質というものを知った。綺麗事を口達者に語っても、慈善活動に尽力しても、その心の中では、名も知らぬ他人よりも自らを優先的に考えている。他人の為に良いことをしても、結局は「いいことをした」と自己満足しているだけで、真に自己犠牲の精神を持つ者など、世界には数え切れる程度しか存在しない。

 バニティは、人間が如何に欲深いかを、嫌気が差してしまう程に知った。知っているからこそ、名前も知らない少年を守りたいというアルトの言葉が理解できなかった。

 故に、問う。何故、守る気でいるのかと。 

 その答えは、返ってこないかもしれない。しかしそれでも、問いたくなった。

 知りたい。というバニティの欲に気付いたのか否か、口籠ったアルトは口を開き、自らの答えを述べた。


「違うことはない、かな。寧ろ正しいよ。右見ても左見ても自分勝手な奴ばかりで、街を歩いてるだけでも苛々イライラする。欲深くて、気狂イカレてて、視野が狭い。俺だって、俺以外の誰かから見れば、ただの気狂イカレ野郎かもしれない」

『では何故あなたは名も知らぬ誰かを助けたいと願うのですか?』

「……愛、だよ」

『理解できません』

「だろうな。愛は生物の特権。AIになんて理解できない」


 バニティはデムズ。人間ではない。故にその顔面に表情は無い。しかし、もしもバニティが表情を出せるとすれば、きっと今頃、バニティは不服そうに眉を顰めているのだろう。


「兄は妹を愛する。妹は勿論、妹にとっての大事な人を守るのも兄の役目だ。他の弟や妹達を守りたいのも愛、推しを守りたいと思うのも愛。人間、愛があれば、血の繋がりの無い人だって、名前も知らない人だって、守ってやりたいって思うものだ」

『不思議なものですね。あんなにも面白味の無いプロフィールだったあなたが、こんなにも他人のことを考えていたなんて』

他人ひと想いを語る奴はただの善人モドキだ」

『あなたは善人なのですか?』

「善人とヒーローに憧れたただのガキだよ」

『……あなたは21歳。法律上、子供ではないと思いますが?』


 この時代から百数十年前、日本の法律が変わり、成人としての年齢が20歳から18歳に下げられた。

 21歳のアルトは法律上成人という扱いであるが、何故かアルトは、自らをガキと喩えた。


「俺は大人にはならない。大人はいつも、人の夢を一蹴して、叶いもしない理想に人を付き合わせる。……それが姿だってんなら、俺は一生ガキのままでいい」

『……データ上のあなたと現実のあなたには酷い齟齬が生まれています』

「データ上の俺なんてただの仮面だよ。俺だけじゃない。本心は誰かの批判に繋がるから、みんな仮面を被ってる」

『仮面……私の知識ライブラリには無い情報ですね』

「なら記憶しておけ」


 バニティは3秒間ほど黙った。恐らくその間、バニティはアルトの言葉を自らに記憶させていたのだろう。


『私の名前、バニティには虚飾という意味があります。虚飾とは即ち、自らの過信。或いは実質を伴わない外見。アルト・カザマツリ、あなたは後者に値します』

「と言うと?」

『あなたの外見データには、が欠けている。意味も本音も何も無い、自らを覆い隠すだけの仮面……あなたは、私のパイロットとして相応しいのかもしれません』


 相応しいのかもしれない。というバニティの発言に、アルトはと鼻息混じりの笑いで返した。

 アルトの反応に、バニティは訝しげに『何故笑うのですか?』と問う。すると、アルトは息を吐き、口元に笑みを浮かべたまま、何故笑うのかという問いに答えた。


「虚飾が相応しい奴だなんて、そこら中にいる。俺に限った話じゃない」

『……気付かせてくれたのはあなたです。私は答えに至りました。私が求めるべきパイロットは、虚飾である人物ではなく、この私に説教垂れるクソガキです』

「……ぷふ……なら、俺しか居ねえわ」


 先程、アルトは自らをガキと喩えた。その記憶を早速会話に混ぜてきたバニティに、アルトは思わず失笑した。

 バニティの皮肉とアルトの失笑で、パイロット云々についての会話は終わった。そして今度は、2人が始めるべき会話、出撃前に於けるパイロットとデムズの会話を始めた。


『デムズの操縦方法は理解していますね?』

「トーレスの操縦なら慣れてる」


 トーレスとは、エデンが製造、販売している作業用デムズのことである。数ある作業用デムズの中でも特に普及率が高い。

 5年前に起きた戦争に於いて、トーレスは作業用から兵器用に切り替えられた。その際、構造と製造工程に大幅な変更があり、作業用トーレスの製造工程の機材やマニュアルは破棄。

 現在は兵器用トーレスをデチューンさせたものを作業用として販売している。しかし、戦前のトーレスよりはスペックが高いため、戦地への導入も可能である。尤も、優勢に立つことは不可能であろうが。


『ならば問題ありません。16秒間、戦闘を耐えて下さい。その間、あなたの身体能力に合わせて機体わたしのスペックを調整します』

「16秒だな……了解だ!」


 楽しげ、と言うべきか。或いは嬉しげ、と言うべきか。アルトは少し口角を上げ、バニティに向けて右拳を突き出した。


「やるぞ、バニティ!」

『はい、アルト』


 アルト・カザマツリ。ではなく、アルト、と言い、バニティは突き出されたアルトの拳に、自らの金属製の右拳を当てた。


「こっからが……俺達の初陣だ!」

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