第3話 邂逅、バニティ #3
◇◇◇
新暦7年。
6月1日。
11時46分。
東京都千代田区。秋葉原。
◇◇◇
今から30分ほど前に、都内全体、及び隣接する県の一部地域に、避難命令が出た。
各々の持つ携帯端末と、県内にあるモニターや拡声器。とにかく、アラートを鳴らせる機器全てから、警告音が鳴り響いた。警告音は空襲警報よりも不気味で、且つ、不安を煽るような嫌な不協和音だった。
国民全員が慌てた。また戦争が始まってしまうと理解してしまい、手で持てる荷物を持てるだけ持ち、避難を始めた。
ただし、今日は日曜日。在宅中の人間よりも、外出中の人間の方が多い。故に大抵の人物は、最低限、今現在持ち歩いている物しか持たず、避難場所である地下鉄の駅などに向かっていた。
「また戦争が始まっちまう……!」
逃げ惑う人々の群れの中で、青年アルトは呟いた。その声を聞き取れる者など居るはずもなく、アルトの声は雑踏に掻き消された。
アルトは、文京区に住む青年で、本名はアルト・カザマツリという。年齢はヴァンと同じ21歳で、身長もヴァンに似て低い。髪型は偶然にも、幼少期のヴァンと酷似したショートカットである。が、しかし、アルトとヴァンに面識は無く、接点も無い。とは言え、目つき以外は、2人はよく似ていた。
そんなアルトは今、1人の少女の手を握っている。その少女こそ、共に秋葉原にやって来ていた同居人である。
「もう嫌……なんで戦争なんて……」
その少女の名は、マユ。本名はマユ・アサマという。年齢はアルトの3つ下で、高校3年生になったばかりである。背は低く、150センチ前後といったところであり、さらに丸顔な童顔が作用し、高校3年生ながらも若さ(というよりは、幼さ、と言うべきか)を感じられる。
アルトに手を掴まれ、逃げ惑う人々の群れに揉まれた挙句、自慢の黒髪セミロングヘアは乱れてしまった。加えて、避難命令が出てからの30分間、秋葉原から出ることさえ出来ていないストレスで、髪どころか心まで乱れ始めている。
本来ならば、全国に線路を張り巡らせているリニアモーターカーに搭乗し、最速の避難を完了させるはずだった。しかし、リニアモーターカーや他の公共交通機関には、荷重制限がある。東京都内の人間を
地下鉄の駅構内も、一応避難場所ではある。しかし、駅構内も人で埋まっており、中に入ることは不可能に等しい。
アルトとマユは、憔悴し始めていた。
「マユ、一旦あそこに入ろう!」
アルトが手を引き、マユと共にビルとビルの隙間に入った。隙間には他の人は居ない。手足を伸ばしてゆったりとできるような広さではないが、それでも、人の波から解放されたからか、倦怠感が表れていた体は、少し楽になった。
「大丈夫?」
若干息を荒くしたアルトが問う。
「大丈夫……ではないかも」
避難命令が出た時からずっとなのだが、マユの心臓が尋常ではないほどに脈打っていた。鼓動は強く、早くなり、頭痛もするし、軽く吐き気もする。理由は明白。怖いのだ。
話は少し変わるが、今から5年前の新暦2年に、戦争が起こった。それは世界全体を巻き込んだ戦争で、終戦間際であったが日本も参戦していた。つまりは、マユも、アルトも、戦争を体験しているのだ。
2人は、否、国民は、戦後の恐怖を知っている。そしてまた、戦争が始まる。マユでなくとも、恐怖を抱いてしまうのは、最早当然のことであった。
「来たぞぉおおお!!」
人の波の中、1人の男が、野太くも通りの良い声を響かせた。その声は、容易く人の群れの中を駆け巡り、人の波は、動きを止めて慌てた。そして、叫んだ男の視線を、近くの人間が辿り、その視線をさらに近くの人間が辿り、やがてほぼ全員が、叫んだ男と共に上空を見つめた。
陽の光を隠せるほどの雲が無い、よく晴れた青空。青いキャンバスの中にぽつんと、1つの異物が描かれた。
黒く、大きな、リディア国籍の貨物用ジェット機である。
「降りてきた!」
「早く逃げろよ!」
ジェット機のコンテナが開き、デムズに搭乗したリディア軍の部隊が飛び降りた。落下途中に推進器を起動させ、落下速度を低下。着地時の衝撃に備えるため、デムズ達は膝を軽く曲げ、低速落下を継続。
パッと降りてくるのではなく、ジワジワと降りてくるデムズ達。ただ不思議なことに、即座に降りてこられるよりも、焦らすようにゆっくりと降りてくる様子に怯え、人々の恐怖は高まっていく。
恐怖という海に溺れ、人々はまともに呼吸もできていない。また、人という波に体は自由を奪われ、思い通りにさえ動けない。
ただ、2人だけ。波に飲まれていない者が居る。人波から逸れ、ビルとビルの隙間に逃げた、アルトとマユの2人である。
「なんだ、あのデムズ……見たことない」
上空から落下してくる2種2機のデムズ。そのデムズを見て、アルトが呟いた。少し眉を顰め、訝しげに。
アルトはエデンで働いている。社員として、整備士として、普段からデムズの整備やら修理やらを行っている。つまりは、デムズに関する知識は人並み以上。故に、リディア軍が搭乗している機体が、エデンが製造販売しているものではないことはすぐに理解できた。
リディア軍のデムズは、リディア軍が独自に企画、開発、製造した機体ばかりで、その性能は、関係者しか知らない。しかし、これだけは誰もが分かる。
この2種2機のデムズは、国を制圧するには十分な戦力であると。
「あの緑の機体……狼か?」
緑の狼、改めスコル。首から下は人型であるが、頭部は狼。その様は正に人狼。しかしこの人狼は、銀の弾丸などでは殺せない。何せ機体そのものが金属。それも、戦争を生き残れるだけの強固な装甲持ち。銀の弾丸程度では、装甲の表面に多少の傷を与えられる程度である。
リディアが独自(勝手)に決めた、デムズのランクがある。ランクは、AからDまでの4段階に分けられ、ランクと性能は比例する。このスコルは、ランクBに相当していることから、抜群とは言えぬものの、それなりに優秀な機体と言える。
特に、アルト達の前に現れたこのスコルは、パイロットのヴァンに合わせて標準以上の性能で調整を行っている。スコルという機体ランク自体はBであるが、ヴァンの操るこのスコルに限れば、ランクAに相当すると言っても過言では無い。
―――これも……正義の為だ。
スコルのコックピットに体を固定し、意識を機体に移した状態のヴァンは、これから自分達が繰り広げていく戦いに嫌悪感を抱いた。
何せ、ヴァン達がこれから行うのは戦争。もっと分かりやすく言えば、殺し合いである。戦争に嫌悪感を抱けなくなった同業者は幾人も見てきたが、ヴァンは、やはり戦いを良い方向に受け入れられないらしい。
部下の前では、上官として然るべき態度を見せる。しかし実際には、その態度や表情はただの仮面で、その言葉はただの詭弁。自分自身の本心を覆い隠せる程度の、ただのつまらない嘘である。
そして今、ヴァンは自らの嫌悪感に幕を掛けた。
戦いなどしたくない。そんな本心を隠し、これは正義の為の戦いだと、自らに言い聞かせた。
―――俺を許さないでくれ。
そう、言葉に出したのか、或いは脳内で語っただけなのか、それはヴァン本人にさえ分からなかった。しかしいずれにせよ、誰もヴァンの言葉に耳を傾けるはずもなく、民衆は群れた蝿が如く騒ぎ続けた。
「……っ! まさか……」
ヴァンの操るスコルは、腕を肩の高さまで上げ、胴体を少しだけ捻った。
冷静にその様子を観察していたアルトは、これからスコルが行う行為を察し、マユの手を引き、覆うように抱きしめた。
『ふんっ!』
スコルは、自らの右側にあるビルに対し、手を開き、且つ指を少しだけ曲げた状態で、抉るようにビルに手を突き刺した。さらに、ビルに刺した手をそのまま前方へ動かし、ビルの柱と窓と壁を抉り続けた。
破損したビルの一部は、重力に引かれ、人の群れた路上へ落ちていく。大きなコンクリートの瓦礫や、ガラス、さらにはビル内にあった文房具や家具などが落下し、群れた人達は一斉に悲鳴を上げた。
瓦礫や家具は、幾人もの頭や脚、或いは体全体を潰す。潰れた後は、まるでトマトでも潰したかのように、果汁のような血と、果肉のような筋肉と、種のような脳や腸が飛び出した。
ガラスは、幾人もの体に突き刺ささる。大きな破片は、頭や肩の肉を裂く。小さな破片は、雨のようにパラパラと降り注ぎ、やがて
『せいっ!!』
スコルがビルを破壊した直後、待機していたヘイズルーンも行動に移した。ヘイズルーンはビルを破壊するのではなく、路駐していた乗用車を強く蹴り飛ばした。乗用車は人々の群れに突っ込み、何人かの体を潰した。
新暦を迎えたこの時代、ガソリン車は街中を走らなくなり、電気自動車ばかりとなっている。ヘイズルーンが蹴り飛ばしたのも電気自動車で、ガソリンへの引火による爆発などは起きなかった。
スコルもヘイズルーンも、街の破壊を続ける。やがて、群れていた人々の声は少なくなり、遠く、消えていった。
アルトは、マユを抱えたまま、リディア軍の動向を伺っていた。幸いにも、アルトが隠れているビル間の隙間には被害が殆ど無く、多少、砂埃を被った程度で済んでいる。
心臓を刺すような轟音。鼓膜を破るような叫び声。胃を抉るような恐怖。アルトに抱えられたマユの体は、酷く震えていた。
―――逃げられるか? いや、無理か。
アルトは、この場から逃げることを考えていた。何せ、背後には2機のデムズ。一刻も早く逃げなければ、アルトもマユも、死体の仲間入りとなる。
しかし、マユの体の震えは尋常ではなく、走ることはおろか、1本歩むことさえできないのではないかと思える。
―――どうする……どうするアルト!
「っ!!」
逃げられもせず、考えるだけ考えるアルト。そして、アルトに抱えられ、止まらぬ震えに襲われるマユ。そんな2人の耳に、遠くの方から鳴り響いた爆音が流れ込んだ。
明らかに何かが爆発したような轟音。デムズの攻撃か、とも思えた。しかし、スコルとヘイズルーンも、その音に驚いていた。驚き、音の発生源であろう方角を見た。
『隊長、まさか……』
『……やられた、のか?』
その方向には、都庁がある。
リディア軍は、2つの班に分かれ、人の密集する秋葉原と、都庁のある新宿、2つの街へ降り立った。
その新宿側から、予期していない爆音が響いた。今回の作戦は牽制という意味もあったため、爆発物は所持せず、最低限の装備でやって来ている。故に、今回の進軍では、爆発することは本来ありえない。
《ヘイズルーンA、ヘイズルーンB、応答せよ》
スコルから、新宿に向かった2機にメッセージを送信。しかし、メッセージの送信は承諾されなかった。
スコルのコックピットに固定されたヴァンの額に、汗が滲んだ。
スコルと一体化したヴァンの中で、何か嫌な予感がした。
『隊長!』
『……応答が無い。対抗武力かもしれない』
リディア側は、十分に余裕を持って制圧できる程度のプランを練っていた。さらに、日本側に潜む内通者からの情報も受け取っているため、練ったプランに揺らぎは無いはずだった。
内通者によれば、日本は戦争に備え、戦闘用デムズを何機か用意している。しかしどの機体もスペックは低く、ヘイズルーンにさえ劣るらしい。数はあっても性能が低ければ、ヘイズルーンとスコルの前では、ただのハリボテに過ぎない。
しかし、その言葉を過信してしまったが故に、リディア側は今、困惑している。
『っ、あれは?』
ヘイズルーンの
『ヘイズルーンC、警戒しろ。あれが対抗武力なのかもしれない』
スコルを操るヴァンが警戒を促す間に、近付いてくる影は猛スピードで距離を詰め、警戒を促し終える頃には、その影の容姿をある程度確認できた。
『翼……?』
翼を羽ばたかせ、空中を飛行する鳥。のように見えたが、それは違っていた。
翼はあれど、それは機械の翼。血も肉も羽毛も無い、無機物の体。
大きな翼を広げた、人型デムズ、バニティだった。
『来るぞ!』
真っ直ぐ、何の迷いも無く向かってくるバニティ。眼前にスコルとヘイズルーンを確認しているが、一切減速する様子を見せない。
バニティは敵である。そう、瞬時に判断したヴァンは、バニティの軌道から逸れた。しかし、減速せず猛スピードで直進してくる正体不明のデムズを恐れ、隣に居るヘイズルーンは判断が遅れた。
戦場に於いて、判断の遅れは、生死の境。ヘイズルーンが、回避する気も、対抗する気も見せず、ただ無様に怯えている。その様子に気付いたヴァンは、呆れ、諦めた。
『ひいっ!!』
ヘイズルーンのスピーカーから、1人の軍人とは思えないような、弱々しく、間抜けな悲鳴が響いた。
その瞬間、バニティは標的をヘイズルーンにのみ絞り、さらに加速。
そして、ヘイズルーンに接近した直後、バニティは背中の推進器を停止させ、ふくらはぎの推進器だけを稼働。脚だけが加速すれば、自然と体勢は変わり、顔を前に向けていたバニティの体勢は、一瞬で180度回転。足裏を前に向けた。
体勢が変わると同時に、バニティは脚の推進器を停止。しかし、一度乗ったスピードは消えず、猛スピードを維持したまま、足裏をヘイズルーンに向けて突き出した。
ぐしゃ。
バニティは、突き出した右足で、ヘイズルーンの胸部へ飛び蹴りを喰らわせた。
ヘイズルーンに限らず、戦闘用人型デムズのコックピットは、胸部にある。機体全体に干渉し、且つ人の体を収めるには、胸部が最適なのだ。
コックピットは、言わばデムズの心臓。コックピットが潰されれば、パイロットは死亡し、そのデムズは
だが、そんな常識は、今この場を以て覆された。
バニティの、猛スピード飛び蹴りにより、ヘイズルーンの胸部は「ぐしゃ」と音を立て、あっさりと破損してしまった。さらに、飛び蹴りの勢いがヘイズルーンに及び、そのまま後方へ飛ばされた。
蹴り飛ばされたヘイズルーンは、衝撃に浮き、やがて地面に落下。落下の衝撃で、機体に多少の損傷が及んだが、それ以上に、胸部に及んだ損傷が目立った。
本来あってはならない凹み方。あってはならない損傷。故に、パイロットが無事であるはずも無い。きっとコックピットのハッチを開ければ、中から損傷の激しいパイロットの死体が出てくる。
「何が、起こった……?」
マユを抱えたまま動けなかったアルトは、ビルの隙間から見える景色を眺めていた。ここで死ぬのだろうか。こんな所で死ぬのだろうか。そんなことを考えながら。
しかし突如、ヘイズルーンが蹴り飛ばされた。アルトの居る位置と角度の都合上、アルトは、何がヘイズを蹴り飛ばしたのかを確認できなかった。
ただ事では無い。そう察したアルトは、マユを抱えたまま、ジリジリと前に歩み、ビルの影からバニティの姿を見た。
「あれは……エデンの機体、か?」
アルトは、エデンの社員であり、デムズの製造や修理に携わっている。
バニティは、正真正銘エデンが製造した機体である。
しかしアルトは、バニティのことを知らない。
何故ならバニティの製造に関しては極秘事項であり、エデンの社員のうち限られた人間しか知らない。
知らないのはアルトだけではない。事前に内通者から情報を受け取っていたヴァンも、バニティの存在は知らなかった。
『おいおい、話が違うぞ……こんな機体があるなんて知らねえぞ!』
ヘイズルーンを一撃で戦闘不能にさせる程の機体。そんな情報は無かった。
焦り、というよりは、怒り。もしもバニティの情報さえあれば、ヴァン達はもっといい機体に乗り、もっと人員を増やして作戦に踏み出していた。
しかし情報が無かったから、部下を死なせた。
『おいお前! 一体何者だ! その機体は何だ!』
飛び蹴りを喰らわせ、着地したバニティに、ヴァンが問う。
『私はデムズ。名はバニティ。生憎、パイロットは存在しません』
怒りを乗せたヴァンの声に応えたのは、感情が一切感じられないバニティの声だった。
「バニティ……パイロットが、居ない?」
バニティの発言を聞いて、ヴァンは勿論、アルトは理解に苦しんだ。
デムズは、パイロットが居て初めて機能する。つまりはパイロットが居なければ、デムズは十分にスペックを発揮できない。というか、動くことさえできない。
しかし、バニティは違うらしい。実際、コックピットには誰も居ない。
デムズの常識をまたも覆したバニティ。そんなバニティに、
『ふざけんな……んなこと信じられるか!』
ヴァンは苛つき、
「それが本当なら……あのデムズ、歴史を変えるぞ」
アルトは惹かれた。
リディアも知らない。
国民の9割以上も知らない。
アルトでさえ知らない。
Sシリーズ、バニティの初陣である。
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