第9話
朝目を覚ますと夕夏の顔色もかなり良くなっていて、熱を測ると平熱に戻っていた。
元気になった夕夏は先程、友達の家に遊びに行ってしまった。
兄としては少し…否、かなり心配だが本人が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
まあ、僕も僕で今日は教官との最後の特別講習があった為、助かると言えば助かるのだが…。
特別講習の後は、教官と昼食を食べるのだからまともな格好を準備していかなくてはいけない。
しかし、ここで衝撃的な事実に気付く。
「服が…無い」
そう、服が無いのだ。
講習に行く際は大体中学校のジャージ、もしくは制服だったから服が必要なかったからまったく気にしていなかった。
最後に服を買ったのは小学4年生の時、以前に比べ身長もの伸び、筋肉も付いた僕には着ることが出来なかったのだ。
急いで財布の中身を確認する。
僕の貯金がまだ残っていて、今日、教官が凄まじく格式の高いお店に行かない限りは服も買うことが出来るし、晩御飯の材料を買いに行く余裕がある程度には潤っていた。
己に選択肢などない事を理解し、速攻で覚悟を決めた僕は、スマホで電車の時間を確認し、急いでジャージに着替えて慌ただしく家から出ていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
電車に乗りながら安くて今どきの若者にお勧めの服屋を検索する。
幸いなことにダンジョン駅の一つ前にお店があったので、そこで購入すれば冒険者協会まで歩いていくことが出来て、上手い具合に節約することが出来る。
電力消費を抑える為、スマホの電源を落として周りを見渡すと、高校生らしき集団が居た。
ふと、自分と彼らの格好を比較してしまった。
彼らはおしゃれな格好をしていて、自分はジャージ姿…少しだけ恥ずかしくなった。
けれど、この選択に後悔はないし、特に気にはしていない。
ただ、ちょっとだけ…ちょっとだけ羨ましいと思った。
彼らを見ていると姉さんの事を思い出してしまう。
もし、魔力症なんてものが無ければ今頃…
『まもなく~古宮駅~古宮駅~お出口は右側です。』
考え事をしていたら着いてしまった。
ポケットから財布を出して、改札を通る。
やはり都会、朝でも人がたくさん居て目が回ってしまう。
人と人との間を通り抜け、目的地へと急ぐ。
目的地は何だかおしゃれな人が多く、何だか尻込みをしてしまう。
お店の外側から中を見ていると、店員さんから声をかけられる。
「お客さん何か気になる事とかありましたか?」
声をかけて来たのは爽やかな感じな男性。
「いえ、その…服を買いたくて、どんなのを買えば良いのかよく分からず、少し困っていたんです。」
男性は少し考える素振りを見せた後。
「それじゃあ、自分が幾つか見繕いますよ。試着室で待っていてください。」
僕には願っても無い提案でとてもありがたかった。
試着室に入ると半袖に薄い生地の羽織る物とゆったりとしたズボンが渡された。
少し時間がかかってカーテンを開けると、男性の他に店員さんが何人か居た。
僕の姿を見て、彼らの間で何か話し合う。
1分程経った後、決まったのだろうか別の服を持ってきて渡される。
「それじゃあ、次はこれを着てみてください。」
そう言ってカーテンを閉められる。
―――何?この状況…。
閉め切られた試着室の中、僕は純粋にそう思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
20分ほどかけてこのよく分からない状況は終わった。
彼らは途中から楽しくなってしまった、と言い服の少し値段を安くしてくれた。
どれも良かったものの、流石に全部は買えないので、最初の服と途中で良いと思ったものを何着か買って来た。
今の時間は…10時半か、ゆっくり歩いても時間が余ってしまうな…。
まあ、別に良いか、早く着いたとしても香取さんに専属の為の手続きをやってもらったリ、一人で修練場で何かやっていればいいか。
そう考え、トコトコと協会めがけて歩いていく。
ここら辺は30年前のある事件の影響で人通りがほとんどない。
人の気配は無く、肌を刺すような静寂が辺りを包んでいて、カラスの鳴き声が妙に辺りに響き渡る。
殺風景な風景を見続けること20分、ようやく人が増えて来た。
段々と煌びやかな建物、大きな音を立てるスピーカー、人通りが多すぎて目が回る程の賑やかさ、何時もならあまり好きじゃないが、今は何故だか安心している自分がいる。
そのまま何事も無く協会へと着いた。
中に行くとかなりの人が居て、受付へと向かい、香取さんを呼んでもらう。
相談室の3番で待っていると香取さんが入ってきた。
「こんにちは、星巳君。」
「こんにちは、香取さん。」
互いに挨拶をし、香取さんは席に着く。
「それじゃあ、改めて…星巳君、試験合格おめでとう!」
香取さんは花が咲いたような笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。…それで、今日は専属契約をしに来たんですけど…気持ちとか変わってたりしますか?」
そう恐る恐る聞いてみると香取さんはポカンとした表情をした後、声を出して笑った。
笑いが収まった後、真面目な表情をして言った。
「そんなことないよ、これからも絶対に。だから、星巳君こそ良いの?」
僕は即座に頷いた。
「そっか、それじゃあ、この書類にサインをしてそうすれば後は私がやっておくから。」
念のため書類の内容を確認し、サインをする。
「はい、サインの方、確認しました。…これからよろしくね!星巳君!」
そう言って香取さんは手を差し出して来る。
その手を握って僕は言った。
「こちらこそ、これから長い間よろしくお願いします。」
それを聞いた香取さんは先程よりも綺麗な笑みを浮かべていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
香取さんと専属契約を結んだ後、修練場へとやってきたのだが…
「あれ、教官?早くないですか?」
何と教官が既に修練場に居たのだ。
「そう言う星巳君こそ、待ち時間よりか大分早いですよ?」
教官は驚いた表情を浮かべたまま僕にそう聞いて来た。
「僕は、丁度朝早くに出かける用事があってそのまま…」
「私も朝早くに仕事があったのでそのままここに居ましたね。」
僕たちの間に微妙な空気が流れ、教官がクスリと笑った。
「どちらも早く来てしまったようですし全体的に予定を前倒ししてしまいましょうか、ちょっと待っていてください。少し準備してきます。」
数分後、教官が戻ってきた。
「お待たせしました。それでは、最後の講習を始めます。これまでの講習で星巳君に必要な技術は全て教えましたので、最後に魔法についてお伝えしようと思います。」
魔法か…僕はまだ使えないが使うことが出来たらかなりダンジョン攻略が楽になるはずだ。
「まず、魔法とは基本的に体内の魔力を用いて使う必殺技と言われています。そして、魔法を必殺の威力に高める為にも技術は必要です。」
そう言って教官は腰に差していた修練場用の剣を引き抜く。
「それではその一端をお見せしようと思います…。」
そう言って剣を振り上げた瞬間、下から大きな水の塊が大きな水しぶきを上げながら修練場の的を飲み込んでいった。
少ししか見えなかったが、恐らくサメの形をした水の塊が的にぶつかっていたような気がする。
水飛沫が収まり、大きく上空へと吹き飛ばされた的を見たが、その中心は大きく抉れていて見るも無残な姿へと変化されていた。
あの的はダンジョンから採れる鉱石を使っていたからそう簡単には壊れないはずなのに…そう思っていると違和感に気付いた。
空中にある水飛沫が幾つか空中に留まっていたのだ。
そう思ったのもつかの間、教官が剣を振り下ろした瞬間、水飛沫が針へと変化して的を穴だらけにしていく。
僕がこの光景に呆気に取られていると、教官がいつも通りの口調で言った。
「これが、魔法です。使用者の技術によって大きく変化するものですのでこちらも更なる鍛錬が必要となるでしょう。…もし、これから先、魔法について分からないことがあれば、私に聞きに来てください。私は、星巳君の教官ですから。」
そう言った教官は優しそうに微笑んだ。
「…ありがとうございます。これからもご教授の程よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げて、鍛錬へと戻った。
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「それじゃあ、星巳君行きましょうか。」
私服に着替えた後、昼食へと向かう。
教官の私服はとても仕事が出来る女性、という感じがして格好良かった。
何と、今回の昼食では教官が予約をしたお店で食べるらしい。
今更ながら予定を前倒ししたことはかなり拙いことをしてしまったのではないかと、内心とても焦っている。
「あの…教官。」
「どうかしましたか?星巳君?」
よほど不安そうな顔をしていたのか教官が心配そうな表情をしている。
「その…予約していたお店、前倒しすることになってしまって、本当にすみません…。」
教官は特に怒ったような表情は浮かべておらず、それどころか柔らかい表情をしていた。
「そんな事、気にしなくて大丈夫ですよ。」
そう短く答えた。
申し訳なさが残るが、それでもかなり不安は無くなった。
冒険者協会から離れて、教官の後ろに付いて行く。
「ここの13階です。付いて来てください。」
着いたのはダンジョンデパートだった。
…しかし、少し考えて欲しい。ダンジョンデパートは冒険者としての等級が高い程上の高い商品が取り扱われている階へと行くことが出来る。
そして、10階以降は金級冒険者のみしか入ることが出来ない…。
前々から凄い人だとは思っていたけれども、これ程とは…。
場違いな気がしてならない…。
僕は挙動不審な動きを止めることが出来ず、そのまま教官の後に付いて行くのだった。
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教官に連れられたお店は、和風な感じがするお店だった。
個室に仕切られていて、部屋の中では偉い人達が話をしている気がする…。
席に着くと、目の前におしぼりと冷たい麦茶が置かれた。
近くにあるお品書きを見ると、一番安くて僕の3食分の食費と同じ値段で、思わず目が零れてしまうのではないかと思う程、目を見開いてしまった。
ビクビクしながらお品書きをそっと閉じ、ここは単品で安い物で耐えることを決意していると教官から思いもよらぬ言葉をかけられる。
「それでは、好きなものを頼んでいいですよ。私が払います。」
教官は表情を変えずに、さも当然な事のように言った。
一瞬、脳が働きを止めた。
―――…え?払う?何を?この店の会計を?
「それは駄目ですよ!」
思わず身を乗り出して教官の言葉を否定する。
教官は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「駄目…と言われても君の合格祝いなのですよ?ここは黙って私に奢られてください。」
そうキッパリ言い切る教官に何とか抵抗しようとするがどうしようもない。
諦めた僕に教官から更なる
「そう言えばこれも合格祝いでしたね…。」
そう言って小さなカバンから取り出したのは一振りの剣。
「改めて合格おめでとうございます。君のこれからの活躍を期待していますね。」
そう言って渡されるのは見覚えのある萌黄色の直剣。
そう、この刀剣の銘は夜半嵐、僕が欲しがっていた直剣なのだ。
―――忘れてた…。
正直に言うと完全に頭から抜けていた。
震え続ける両手に何とか力を入れて直剣を受け取る。
丁度いい重さを感じてこの剣の良さに惚れ惚れとしそうになるが、直ぐに思考を切り替える。
流れで受け取ってしまったがこれは非常に良くないことな気がしてきた。
せめて、ここの料金だけは支払わせてもらおうと教官に聞こうとしたが…
教官は満足そうな表情を浮かべていて、ここで僕が何か言うのも悪いのではないかと思ってきた。
結局そのまま押し切られてしまい、教官に奢ってもらうこととなった。
運ばれてきた料理はどれも彩り豊かで、とても美味しそうだった。
「いただきます」
そう言ってから刺身を口に運ぶ。
―――っ!美味しい…!
急いで店員さんを呼んでタッパか何かないか聞く。
持ってきてもらったタッパに半分ほど詰めて妹に持って帰ろうと思う。
はしたないのは理解しているけど折角だから妹にも分けてあげたい。
教官に許可を取ると。
「別に構いませんよ」と優しく笑っていた。
教官にお礼を言いながらタッパに詰めていく。
詰め終わった後は、ゆっくりと味わいながら一品一品食べていく。
直ぐに幸せな時間も終わってしまい、教官と一緒に店を出た。
その後は教官は仕事があるので、解散となった。
今日はダンジョンに潜る気も無かったので、僕はいつも以上に軽い足取りで家へと向かうのであった。
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作者から皆様へ
皆様に謝罪しなくてはいけないことがございます。
夜半嵐の作成者を3話の時点で書いていたつもりが書かれておらず、作成者不明のままここまで来てしまっていました。本当に申し訳ございません。
既に訂正はしており、夜半嵐の作成者は
本当に申し訳ありませんでした。
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補足コーナー
・30年前のとある事件…詳細は後々明かすが、ダンジョンが出来てからの最大最悪の事件。当時の人達はあの事件は一生忘れられない、と言っている。
・魔法…本人の技術とイメージと魔力次第でどこまでも強くなることが出来る可能性の塊。因みに、ダンジョン内の方が威力が高くなる傾向にある。
・夜半嵐…作成者、二ノ宮 雅哲の手によって打たれた直剣、ダンジョン内で採られた鉱石を使用しており、とても高級。
・水無瀬 藍について…主人公の教官、水魔法の使い手で元金級冒険者。
見た目の冷たい感じとは裏腹に性格はとても優しく、主人公の事情も知っているため今話では多少強引にでもご飯を奢ったりしていた。
実は、現役時代には白銀級に成るのでは…と噂される程強かったとか。
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