第十一話 【怪物】
「はぁ、はぁ……っ! もう少しで追いつけそうなのに!」
布袋を奪っていったゴブリンは、どんどんと森の中へ入っていく。
僕もなんとか追いつこうとして走っていたが、さすがに息が切れてきた。
そこら中に植物の蔓や木の根が蔓延っていて、滅茶苦茶走りにくい。
ゴブリンの走る速度はそこまで速くないはずなのに……。
僕の目の前を走るヤツはこの地形を慣れているのか、足元の障害物を器用に避けながら進んでおり、中々追いつくことができなかった。
そうして、しばらく森の中を走っていると突然ゴブリンの姿が消えた。
いや、見失ったのか。
周囲を見渡すと、既に真っ暗な森の中に足を踏み入れている事に気付く。
「うッ……すごい瘴気だ……」
走っているときはあまり気にならなかったが、辺りに漂う猛烈な瘴気に顔を顰める。
今自分がどこにいるのかもわからない。
もうダンジョンに入ってしまったのだろうか。
孤独感と恐怖心が心を蝕む。
キュクロの森はFランクダンジョンであるはずだが、周辺に漂う瘴気の濃さは尋常ではない。
それとも、僕のダンジョンに対する経験の無さがそう感じさせるのか?
張り付くような恐怖を誤魔化すために、ポケットからギルドで渡された懐中時計を取り出して覗き込んだ。
「なんだ……これ……?」
この懐中時計にはコンパスが付いているのだが、針がグルグルと凄い速さで回転しているだけで、方角が全くわからない。
ここがキュクロの森であれば、北の方角が最深部にたどり着く道しるべなのだが、それを知る術を失ってしまった。
「一体どうすれば――――ッ!?」
森中に轟く咆哮―――
たまらず耳を塞ぐが、塞いだ手をも突き抜けるような衝撃が容赦なく襲う。
体中がビリビリと痺れるような咆哮に、僕は身を屈め必死に耐えた。
その衝撃はしばらく続き、やがて森に静寂が戻る。
恐る恐る耳から手を離して周囲を窺う。
今は木や茂みの中から動物が逃げるような音が聞こえるだけであった。
「今のはなんだ!?」
ようやく体は動くようになったが、頭の中はパニックに陥っていた。
一刻も早く、ここから逃げなきゃ。
しかし、逃げようにもゴブリンに取られた荷物を取り戻さなければ、食料や水が全く無い。
今の状態で町へ帰るのは不可能に近かった。
「ギギッ!」
「……っ!」
僕は反射的に身構える。
前の茂みから聞こえるガサガサとした音。
それに今の鳴き声は……。
「うわッ!」
すると、前方の茂みの中からゴブリンが飛び出してきた。
思わず体ごとのけ反ってしまう。
さっきはあんなに追っかけていたのに、いざ向かってくるとやはり駄目だ。
しかし、ガチガチに固まっている僕を無視し、ゴブリンは慌てたようにそのままどこかへ走り去ってしまった。
「一体、何が起きてるんだ……?」
思わず拍子抜けしてしまい、ペタンと地面に尻もちをつく。
様々な事が起きすぎて、脳内の処理が追い付かない。
そして、ふと先ほどのゴブリンが何も持っていなかったことに思い当たる。
「僕の荷物!」
前方の茂みをかき分けると、少し開けた場所に出た。
この場所だけ、円形に切り取られた広場のようになっており、その中心付近に僕の布袋が横たわっていた。
急いで中身を確認すると、幸いアイテムも無事みたいだ。
とりあえず、アイテムを取り返したことに安堵すると布袋を肩に掛ける。
どうやらあのゴブリンは、荷物を置いてどこかへ逃げたみたいだ。
でも、何から逃げていた?
それにさっきの咆哮があってから周囲が妙に静かなのも気になる。
咆哮が聞こえた方角は――――?
すると、僕の背後から、何かがこちらへ向かってくる足音がはっきりと聞こえてきた。
ゆっくりと近づく足音と、木の枝が折れるような音。
僕はその異様な気配に背筋が凍る。
この魔物はまずい。
人間としての生存本能が頭の中でガンガンと警鐘を鳴らしている。
今すぐここから逃げろ!
しかし、僕は動けなかった。
まるで何かに縛りつけられたように。
「グルルルルゥ……」
低く唸り声をあげるその大きな影は、ゆっくりと広場へと侵入してくる。
僕の前に姿を現したその怪物は、今まで出会ったどの魔物も霞んでしまう程の瘴気を纏っている。
漆黒の毛に覆われた体。
頭には鋭利な二本の角が生えており、岩ですら一瞬で粉砕できる強靭な顎。
僕の倍以上は有るだろう巨大な体躯を揺らしながら、四ツ足で歩く怪物がそこにいた。
悲鳴をあげることすらできなかった。
死ぬ。
殺される。
人間としての本能が、この怪物には勝てないと言っている。
その怪物は僕を舐めるように見つめていた。
口からは粘り気が強い唾液がしたたり落ちている。
僕を丸呑みにする想像でもしているのだろうか。
一秒が何時間にも感じる。
僕は固唾をのんで、どうかこの怪物がここから立ち去ってほしいと願うばかりであった。
だが、その願いは叶わない。
「――――ッ!!!」
突然だった。
怪物は、後ろ足二本で体を起こし、再び咆哮を上げる。
感じられたのは明確な敵意。
それを感じた瞬間、僕は本能的に動き出した。
「うああぁぁぁあぁ!!!!」
僕はそいつに背を向けて一心不乱に逃げ出す。
その悲鳴に呼応する様に、再び地鳴りのような唸り声を上げたソイツは、鋭利な爪を持つ前足で僕を薙いだ。
背中に走る、激烈な衝撃。
僕の体は数メートルほど吹き飛ばされ、木に激突する。
「が……はッ――」
「緊急クエストを発令する! 直ぐに動けるAランク以上の冒険者を全力で探すわよ!」
先輩のその一声からギルド内は慌ただしくなった。
唯一、幸いだったのはダンジョンの地図が複製された後だったこと。
もし、複製前の
まず、するべきことは、この町に滞在している冒険者の確認である。
今回のクエストに限ってはSランクパーティーが理想なのだが、そんなに都合よく動けるパーティーなんているはずもない。
とりあえず、Aランクの冒険者をかき集めて、即席の救助隊を結成するのが現実的だろう。
それでも数が足りない。
王都でもないこの町のAランク冒険者なんて限られてる。
一体どうすれば……。
「先輩……。Aランク冒険者の人数が足りません。今動けそうな方は二人、それも両者とも後衛役の方だそうで……」
緊急クエストを発令して一時間ほどが経ち、未だこの状況である。
事態は一刻を争う。
こうしてる間にも、彼は危険な目にあっているかもしれないのだ。
悩んでいる私を見て先輩が言った。
「なに悩んでるのよ。ここまできたら腹くくりなさい!」
先輩はこんな状況でも何一つ諦めてはいなかった。
そしてこう続ける。
「こうなったら仕方がないわ、Bランク冒険者にも声を掛けるしかないでしょう」
「でも先輩。さすがにBランク冒険者を向かわせるのは危険すぎますよっ!」
下手な冒険者を向かわせると、ミイラ取りがミイラになってしまう。
私が慌ててそう言うと、先輩は首を振った。
「無い袖は振れないわ。今できる最大限の戦力で助けるしかない」
「でも……」
私が言いかけた言葉を制して、先輩が強く言う。
「だ・か・ら。私たちが最大限のサポートをするのよ!」
すると先輩は、私だけではなくギルド職員に次々と支持を飛ばす。
「Bランクの
「「はい!」」
やっぱり先輩は頼りになる。
いつか私もこんな職員になれるのだろうか。
「必ず助けに行くから……どうか無事でいて……」
ヘルシアの呟いた言葉は、ギルドの喧騒に消えていく。
今できる最善を尽くす。
もう彼女の中に迷いは無くなっていた。
「あ、あのっ。すみませ――――」
そして、少しずつ運命の歯車が回りだす。
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