第十二話 【出会い】
「が……はっ――――!」
全身を木に激突させた衝撃で、体のあちこちに鈍く激しい痛みが走る。
受け身もとれない状態で頭を打ったせいか、視界がぼやけ、意識は朦朧としていた。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。
朦朧とする意識の中で、なんとか体を動かそうと脳から命令を発する。
しかし、痛覚から発信される痛みだけしか脳には返ってこなかった。
このまま死んでしまうのだろうか。
あんな怪物に意識があるまま食われるなんて嫌だし。
いっそ、意識を手放してしまおうか。
いつ死ぬかもしれない、絶望という名の闇が頭の中を覆っていた。
刻一刻と時間だけが過ぎていく。
しかし、予感とは裏腹に、しばらくたっても怪物がこちらに近づいてくる気配はしなかった。
――――何が起こってるんだ?
薄れゆく意識の中で、なんとか目を凝らしてヤツを見る。
「グルアアアアア――――ッ!!」
そこには、何かに苦しみ、もがいている怪物の姿があった。
「えっ」と思わず言葉が漏れ出る。
どうなってる?
よく見ると、怪物は地面に体を擦り付けているようであった。
そして、怪物の前に真っ二つに裂けた布袋が無残な姿を晒している。
布袋に入っていたアイテムが周囲に散乱しており、ヤツの目の前には、一本の割れた瓶が転がっていた。
それは、あの時の――――
『前も言ったけど、アンタみたいな奴でも死んじゃったらお母さんが悲しむの! それだけよっ!』
キーカから貰った魔物除けの薬であった。
それは、いくつも折り重ねられた偶然の産物。
僕は彼女に助けられたのだ。
割れた瓶からは、魔物が苦手とする匂いを放つ液体がばらまかれている。
その魔物除けの薬は、少量を手に垂らし全身につければ、三十分程度は魔物が寄り付かない効果が持続するという代物だ。
それをヤツは体に浴びてしまった。
このチャンスを逃す手は無い。
動け! 動け!
僕は全身に走る痛みを堪え、気合を入れる。
ここで逃げなければ命は無い。
それは、絶望という暗闇の中に現れた一筋の光。
キーカが照らしてくれた、生きるための道筋であった。
「うおおおおおおっ!」
切れかけた意識が研ぎ澄まされていく。
今なら走れる!
ヤツの意識はまだ僕に向いていない。
僕は意を決し、どす黒い瘴気が立ち込めた、森の奥へと一心不乱に駆けていくのであった――――
「はぁ……はぁ。……クソっ!」
どのくらい走っただろうか。
一時間?
三十分?
いや、実際は数分の出来事かもしれない。
時間の感覚なんてとうに分からなくなっていた。
最早、限界は超えている。
目は霞み、抑えきれない吐き気がこみ上げてきた。
「ゲホッ……ガホッ……。うっぷ……」
その足がついに止まった。
足の筋肉は痙攣し、心臓は早鐘のように鼓動している。
限りなく近づく死の足音。
心が絶望に犯されていく。
自分の何がいけなかったのだろう。
父さんや母さんみたいな、立派な冒険者になりたかった……。
あの勇者のように――――
セレスはその場に崩れ落ちる。
「ごめんよ……。父さん。母さん……。みんな……」
僕はついに意識を手放した。
「セ……レ……おき…………」
声が聞こえる。
暖かな、そして心を包み込んでくれるような、どこか懐かしい声。
「まだ眠いんだ。母さん……」
酷く疲れた。
このまま、ゆっくり寝てしまおう。
この暖かい声に包まれながら――――
『セレス、起きなさい』
ハッと目が覚めると、視界は暗く生い茂った木々に覆いつくされていた。
ツンと鼻をつく緑の匂いと、目に染みるような濃い瘴気が辺りを漂っている。
僕はまだ生きている。そのどこか現実味の薄い言葉が、足元からじわじわと這い登ってくるような感覚であった。
「キュイ」
突如、耳元で聞こえた鳴き声。
鳴き声と共に、僕の顔に湿っぽい何かが這った感触がする。
倒れていた僕は、思わず「ふぁっ!?」と驚いて飛び起きた。
そこにいたのは、黄緑色の小動物。
長い耳と長いしっぽが特徴的で、全身が柔らかそうなもふもふした毛で包まれている。
そして、クリクリした目をこちらに向けている、その愛くるしい顔の額部分には赤色の石が輝いていた。
その小動物は、「キュ」と鳴き声を上げると、トトトと僕に近づいてきた。
「く……っ!」
いくら可愛くても、魔物は魔物だ。
僕は腰の短剣に手をやる。
しかし、足は震えているし、木に激突した時のダメージがまだ残っている。
この小動物に襲われても、ひとたまりもない。
「キュ!」
「うわっ――――」
小動物がその場で飛び上がると、その瞬間に額の石が強い光を放つ。
その眩さに思わず目を瞑った。
「攻撃された!?」と思ったが、体に異常はない。
それどころか、体の異常が治っている?
先ほどまでに感じていた、体中の痛みやアザが何事も無かったかのように消えていた。
「一体どういうことだ?」とそいつを見るが、その小動物は首を傾けるだけで、意思の疎通などできるはずもなかった。
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