第55話 でも、大丈夫

「この拘束くらい解いてからにしてくれよ」


 勇気が頼むと、


「手足を千切り取ればいいのか?」


 一番雑な方法を提示され勇気は首を振った。

 それを見届けると紗希は一度大きく跳躍をする。鳥よりも高く空へ舞い上がると、そのまま空気を蹴って飛んでいった。


「すげぇな。どうやってんだ?」


「さっちんの持ってる遺物の効果だよ。靴に仕掛けがあるんだ」


 ぽつりと呟いた言葉にメメ子が反応する。

 便利な物もあるんだなと思っているところに、


「さて、邪魔者も去ったことだしこれからはずっと一緒だね」


「何言ってんだ?」


 勇気は疑問を頭上に浮かべていた。

 感じていたのは純粋な好意だった。それがたまらなく居心地が悪くて咲夜の顔が直視できない。

 

「そんな変なこと言ったつもりはないんだけど。こっちは十年も待たされたんだよ?」


「……正直今回のことは助かった。が、どうしても分からないことがある」


 勇気はそこで一度息を止める。

 聞くのが怖かった。はっきりと言葉にされてしまえば他の解釈が出来なくなるからだ。

 見て見ぬふりをするのは簡単だが、それをしてしまうといつまでたってもこの拘束から逃れられないような気がしていた。

 だから勇気はへそのあたりに力を込めて言葉を吐く。


「十年前に一年面倒を見ただけの男にどうしてそこまで入れ込むんだ?」


 勇気の問いかけにすぐに返事はない。

 正確に言うならば勇気が咲夜を面倒見ていたのはそんなに長くはない。一年というのは鈴音が植え付けた偽の記憶であって、まだそのことを勇気は知らずにいた。

 それでもわからない。まだ二次性徴すら迎えていなかった女児が年の離れた男に懸想する理由がだ。

 咲夜は少し頬を赤らめて、それでも首を傾げながらゆっくりと話す。


「なんでかな、なんでだろうね。確かにお兄さんより性格がよくて顔もいい男性なんて探せばいくらでもいるとは思うんだ」


 そのとおりだ。勇気はそう思う。

 頭も悪く意地汚い。やっていることも人に褒められるようなことではないし、蹴落とす隙があるなら積極的につつくような人間だ。

 もし勇気が女なら、勇気のような男は選ばない。そこに幸せはなく、苦労しか見えないからだ。

 しかし咲夜はしっかりと目を開いて、


「でも、十年前にいたのはお兄さんだけなんだよ。一人でいた私を見てくれて、一緒にリバースギャップに来てくれて。その時どう思っていたかなんて関係ない、小さな私はその時恋をしたんだよ」


「ませた子供だな」


「ふふ、人に求められたいのにいざ求められるとそうやって逃げようとするのは、自分の価値を低く見ているからだよ」


 見透かされた風な口ぶりに勇気は反論しようとしたが、言葉が浮かんでこなかった。

 自分が一番自分を卑下していると、その時初めて気が付いたからだ。

 だせえな……

 親がどういう思いで付けた名前かは知らないが、名前負けしていると納得してしまう。

 英雄にはなれない。それでも英雄のように挑戦することはできる。それをする勇気がなかったと気づいたのが三十を過ぎてから、後悔するにはもう遅すぎる。

 そう思うと不思議と口に笑みが張り付いていた。


「ちょっと待ったっ!」


 と、突然二人の間に割り込む影があった。


「……あ、あぁ。そういえばいたな」


「ひどい、ひどすぎるって。ぽっとでに存在を奪われた私は泣きそうだよ」


 メメ子はそういうと、目元を押さえる演技をしていた。

 茶化す、そんな意図はないようだが、真剣みに欠けた態度に勇気は軽いため息を漏らす。

 それは咲夜も同様だった。


「ちょっと! 今いいところなんだから邪魔しないでよ」


「いやだね。そもそも私のほうが長くいてお兄さんのことはよくわかってるのに無視するなんてありえないと思わない?」


 その言葉に勇気は首を横に振る。

 メメ子は眉間と顎にしわを作り、勇気をにらんでいた。

 そして何か言おうと口を開いたところを咲夜に遮られてしまう。


「あのさ、あんたのその感情は私の恋心がトレースされただけなんだから勘違いしないでよね。そもそもお兄さんにぼろ雑巾よりひどい扱いされて本心は殺意しかなかったじゃん」


「……そうなのか?」


 急な告白に勇気はメメ子を見た。

 彼女は全身を震わせたあと、勢いよく顔を振ると、


「殺したいくらい好きなの! じゃなきゃあんな扱いにいつまでも付き合わないから!」


「その好きが刷り込みでしかないって言ってるの!」


「刷り込みでもそう思っちゃってるんだからいいの!」


 まるで姉妹のように怒号を交わしあう二人に、勇気は口を出す勇気がなかった。

 ただメメ子は勝ち誇った顔で腰に手をやると、


「少なくとも、私ならお兄さんが恥ずかしい思いをするようなことはしないし」


「仕方ないでしょ! 変な横槍入れて台無しになる可能性だってあったんだからさ。マナとオドの調整とかで神経使ってんだよー」


 半ば叫ぶように文句を吐き出した咲夜は手を勢いよく合わせ、音を鳴らす。

 快音が響き渡ると同時に、勇気の背後からピキッとひび割れする音が聞こえていた。それは徐々に回数と大きさを増していき、


「──ふぅ」


 最後には風化したように砂となって風に流れていた。

 勇気がようやく自由になった手足の感触を確かめるために軽く動かしていると、


「お兄さん!」


「お兄さん!」


 ふたつの声が共鳴していた。

 よく似た声色にややうんざりとした表情のまま勇気は外を見る。

 様変わりしてしまった世界は見える範囲では正しくこの世の終わりであった。多くの人が死に、それ以上の人々が今も理解できない恐怖に晒されているだろう。

 もう元には戻らない。この先ずっと隣にはこれを起こすことが出来る存在がいることを認めてしまったのだ。

 でも、大丈夫。

 ただの無鉄砲な若者ですら乗り越え、十年後にまた関わりあっても生きている。

 人類はこんなことでは死なないのだ。


「ぼちぼち、考えていくか」


 勇気は誰に向けてでもなく呟く。

 ……とりあえずよく冷えたビールでも飲みたい気分だった。

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