第47話 物悲し気に泣いていた
勇気が異変を感じたのは早朝のことだった。
どんよりと暗い雲が空を満たしていた。トイレットペーパーが途中で切れた。歩いていたら靴ひもが二回解けた。取るに足らない小さなことだが、積み重なれば今日は何かあるなと思わせるには十分であった。
そしてその予感は正しく、最悪の形で当たることになる。
たまたま虫の居所が悪かった兄貴分に怒鳴られた後、勇気はいつも通り咲夜の学校近くの公園で時間を潰していた。昼を少し回った辺り、夏休みは終わっていたが厳しい残暑は濃い夏の香りを残していた。
勇気は木陰のベンチに横になり、ジャケットを顔にかけて目を閉じていた。学校で用事のない咲夜は放課後すぐに校舎から出てくる。その少し前から勇気はこうして一人でいる時間を作っていた。
理由なんてない。強いて言うならば考える時間が欲しかったから。
田舎の山奥で生まれ育った勇気にとって都会に対して思ったのが人が多すぎるということだった。初めはその事に感動すら覚えたが今となっては人の目が気になって息苦しいと感じるようになっていた。
その点鈴が丘は気に入っていた。未だ開発途中の伏魔殿は少し路地を行けば人の姿は無くなり、死んだように静かになる。人恋しくなれば駅前に行けばことが足りる。
一人になって考えることはつまらないことばかりだ。漠然とした将来の不安が胸を焦がす。なんのために都会へ出てきたのか、今のままでいいのかと、事情も知らない自分が問いかけてくるようだった。
ヤクザにも慣れず小間使いでどうにか生活できる程度の生活に、飽き飽きしていたのは事実だった。かと言って本当にヤクザになるほど引き返せない道を行くつもりもない。
そんな中途半端が今の地位を作っている。
……どうしろって言うんだよ。
勇気が独りごちると同時に空から返答が帰ってくる。
雷鳴だった。
それはまだ遠く、しかし間隔を狭めて近づいてきていた。
勇気はジャケットを退かして空を見上げる。一際黒い影が空に浮かんでいるのを見て、降るのかと悪態を着く。
その時だった。
「お兄さん」
近くから声が掛けられ、勇気は振り返る。
そこには体に合わない大きな赤いランドセルを背負った咲夜が立っていた。
くるりとした大きな目で、最近ようやく浮かべるようになった年相応の無知な笑顔で勇気を見ている。
忌々しい。その顔を見る度にそう思う。
彼女のせいでは無い。だが彼女のせいで自分は子供のお守りなどという端役をさせられていることに自尊心が傷つくのを止められない。
「今日は夕立になりそうだから家に帰るぞ」
勇気は端的にそう告げる。途端に曇る昨夜の表情を見て、憎らしさが膨れ上がる。
ここで一発引っ張たければこのモヤモヤも消えるだろうか。お前が親の前で繕うことも出来ないせいで他人を不幸にしているのだと罵れれば気分よく今夜は眠れるかもしれない。
実際には出来ないことを夢想しながら勇気は手を前に差し出す。大人と子供、歩幅が違うため引っ張りながらでないと帰るまでに時間がかかりすぎる。
子供特有の小さく柔らかい手が指を掴む。温かさが、熱が不快だった。
降ってくれるなよと願いながら勇気は公園の出口に急いでいた。傘はないし、買うなんて余計な出費はしたくない。
その途中、あと少しで出口というところで勇気は見る。道路を挟んで向こう側、黒塗りの高級車が一台、いや三台並んでいた。
迎えでも来たのか、と思って勇気は進む。直後、市街地でありえない音と共に勇気の身に衝撃が走る。
嘘だろっ──
理解するより早く、勇気は咲夜を抱きかかえていた。轟音に硬直した体は重く、それでも抵抗がないことが喜ばしい。
「っ!?」
背後から怒号に似た声と共に空を裂く銃声が響く。
体が熱い。理由は言わずもがな。流れ出る体液は体を赤く塗り、体に開く蛇口は時間を置く事に増えていく。
狙いが咲夜であることは容易に分かる。しかし理由は分からない。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
ただの広い広場ではどうすることも出来ない。勇気は言うことを聞かなくなる前に体に鞭を打って──
はっ……?
見えていたのは半分が黒く塗りつぶされた地面だった。
大量の血と共に命が抜けていくのが分かる。
銃声はもう聞こえない。あれだけうるさく騒いでいた心臓の音もない。
そうか。そういう事か。
勇気は力の入らない手を握る。視界の端には咲夜が同じように横たわっていた。
助けることはできなかったがもういい。自分ももう助からない。
死に際にほんの少し目が覚めただけ。そういうことはよくあると聞く。
死んで終わりに出来るのであれば上等だ。後のことはすべて関係のないことなのだから。
勇気はそうして意識を手放した。
ちりん。
ちりん。
鈴の音が物悲し気に泣いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます