第38話 烏龍茶

 言い終えた勇気はそのまま帰路に向けて足を動かす。

 三歩ほど歩いた時、


「……ちょっと」


 背後からのか細い声に勇気は振り返る。


「なんだ?」


「記憶はもういいの?」


 何故そんなことを聞く、と勇気は困惑していた。

 理由は先程述べたばかりだ。そもそも鈴が丘に来た理由も新規に出店するためなのだ。意図せず過去が追いかけてきただけであってメインの事柄では無い。

 ただ彼女の様子を見て、そのことを直接伝えることを躊躇った勇気は、


「あー、いや優先順位が低いってだけでな。あって困るもんでも無いし」


 言葉を濁して言う。


「そう、なんだ……」


 メメ子は俯きながら答える。

 様子が変だ、とは思うが思い当たる節がなく、勇気は手が空を切るような感じになっていた。


「……なにかあったか?」


「ううん、なんでも……」


 歯切れの悪い返答を聞いて、勇気はそれ以上聞くことを躊躇った。

 随分と傾いた太陽を見て、腕時計を確認する。猶予はそれほどないように思えて、勇気は言葉半分に鈴が丘を後にした。

 後から思えばもう少し彼女とちゃんと話すべきだと、勇気は後悔することとなる。

 それに気づいたのは三日後、メメ子が死んだと言う話を紗希から聞いた後のことであった。





 鈴が丘神社での一件の後、その翌日。時間は

深夜になろうとしていた。

 まだ営業中の店はちらほらと見受けられるがまともな店は殆どが閉まっているか閉店に向けて動いている。終電が近いこともあり、街を闊歩する人の数もまばらになっていた。

 勇気の経営するバーはそんな時間からが商売時だ。しかし今日に限っては店に人の姿はなく、店主の八雲は暇そうにグラスを磨いていた。


「……暇だな」


 勇気はカウンターの席に腰掛け、グラスの氷を音立てながら呟く。

 グラスの周りにはびっしりと結露による水滴が付いていて、下のコースターまで染みている。中に入っている液体はただの烏龍茶でそれを度の強い酒の如く舐めるように飲む。


「そうですね」


 八雲が言う。

 その声には悲観などない。ただの雇われだからという訳ではなくこういう日もたまにあるから慣れているだけのことである。

 オーナーとしての危機感もない。ただ発した言葉通り、何もする必要のない時間を持て余しているだけであった。

 まだ日付も跨いでいないため、これから客が来ることもある。その時他に誰もいないというのもどうかと思い、勇気が客側の席にいるのだがそれ以上することが無い。

 しかしいい加減飽き飽きしていたので、


「なあ」


 勇気は呼びかける。

 八雲は同じ姿勢のまま答える。


「なんですか?」


「……終末思想っていうもんについて何か知ってるか?」


 その言葉を聞いて八雲の手が止まる。

 勇気はそれを見逃さなかった。ただ動揺した様子もなく、八雲はまたグラスを磨き始めると、


「興味無いかと思ってましたよ」


「興味はない。が、たまたま話にあがってな」


 たまたま、そうたまたまだ。

 身近にいる若い奴がたまたま八雲しかいなく、たまたま今日客がいなくて、たまたま勇気もやることがなかった。知らなくても構わないし知っていたら儲けもの程度の認識だった。

 八雲は磨き上げたグラスを仕舞うと、身を乗り出して、


「深追いしないでくださいよ」


 やけに真剣な表情で言うので、勇気は笑いながら答える。


「するわけないだろ。もういい歳なんだ」


「ん? はぁ……」


 八雲はいつもより瞬きを多くした後、ゆっくりと頷く。


「なんだよ、煮え切らない態度だな。俺がそんな繊細な奴に見えるか?」


「そういう意味じゃないんです。ただいい歳っていうのがちょっと分からなくて」


 八雲の返答に勇気も首を傾げる。

 はっきりとしない物言いなのは立場を考えてのことなのは理解していた。それでも八雲の言いたい事はなんとなく伝わっていた。

 まさか、と思い勇気は尋ねる。


「年齢層は?」


「上は八十過ぎから下は小学生まで。特に多いのが三十から四十の間の男性だって話です」


 なるほど、と勇気は頷く。ドンピシャな世代だ、突然そんなことを聞かれたら心配になるのも無理は無い。


「その情報はどこからだ?」


 勇気は聞く。

 すると八雲はズボンのポケットから携帯を取り出すと、


「ネットでもテレビでもよく出てますよ。だいたいは事件になってからの報道ですけど、募集とかもしているみたいです」


「募集?」


「ええ、集会の。まあほとんどはネット上で会話するだけみたいですけど」


 八雲は言い終えると少し減ったグラスに烏龍茶を追加する。


「おいおい、新しいグラスにしないのかよ」


 勇気が笑いながら苦言を呈すと、


「お金払ったことないじゃないですか。グラス磨くのも手間なんですから我慢してください」


 朗らかな表情で言い返され勇気は眉を顰める。

 八雲は布巾を片手にそのままカウンターを出て誰も座っていない机に向かう。何もしていなくても積もる埃を定期的に拭うためだ。

 その後ろ姿を片目に勇気はスマホを取り出して、


『終末思想』


 ブラウザでの検索を始める。

 

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