第35話 終末思想

「入りなさい」


 部屋の中から寒気を含んだ声がする。

 聞き覚えのない声だった。そんなはずは無いのに記憶の片隅にも引っかからない。だと言うのにそれを聞いただけで皮膚が裂けるほど張り詰め毛が浮き立つ。

 入るな。第六感が告げる。

 会話をするな。警告が頭を揺らす。

 逃げろ。反射的に足が動きそうになる。

 ……ビビってんなぁ。

 本能とは別の場所で、嫌になるほど冷静な自分がいた。もがく様子を俯瞰で見ているような、自身のことなのにどこか他人事に感じてしまう。

 それが笑えるほど可笑しくても、体の主導権は精神状態が酷い方にあって一ミリたりとも動こうとはしない。

 そんな勇気を他所に、紗希はゆっくりと障子を開ける。


「お連れしました」


「そう……」


 短い返答に、それだけかと疑問が湧く。

 部屋の中は想像通りの和室で、四方を襖で囲われている。床の畳はまだ青く、周りの白がより強調されて見える。

 あれが……

 勇気の視線の先には女性が一人座っていた。左手奥に机を出し、隣には火鉢を置いて煙管をはんでいる。

 驚いたのはその小ささだ。幾重にも重ねられた着物は裾が広がっているが、その本体である女性は紗希よりも小さく平均的に見える。

 筆を持つ手は華奢そのもので全体を通して普通の美女と言っていいだろう。結わえた髪に下品にならない程度の装飾が施された簪を二本刺し、白磁のようにきめの細かい肌に朱を差した唇が映える。

 美女は美女だが驚くほどというわけでもない。期待外れという言葉を勇気は思い浮かべていた。

 女性は机の上に視線を投げたまま動かない。そのせいでこの後の行動に迷っていると、紗希が座れというように畳を叩く。


「……あなたはもう少し頭がいいと思っていたわ」


 勇気が腰を下ろしているとき、女性が口を開いていた。その言葉は誰に向けられたものなのか、悩む前に、


「すみません」


 紗希が頭を下げていた。


「いずれ、近いうちに彼が父親であること、十年前に何があったか気づくだろうとは思っていたわ。この街にはあの時の残滓がまだ多く残っているから。というのに……誰に似たのかしらね」


 言い終わり、女性は初めて勇気を見る。

 かすかに熱を帯びた瞳は少し潤んでいるように見える。もっと恐ろしいものを想像していただけに拍子抜けしそうになる。


「遺伝より環境のせいかと思うけどな」


 返答を求められている気がして勇気は答えると、隣に座る紗希が刀の切っ先を思わせる目つきでにらんでいた。

 負けじとなんだよ、という気持ちを込めて返すと、


「ふふっ」


 小さな笑い声の後、


「やっぱり似ているじゃない」


「似ていません!」


 目を弓なりにして笑う女性に対して、紗希は体を前に乗り出して反論する。


「おいおい、そういう話は夕飯時にでもやっててくれ。それより俺を呼んだ理由があるんだろ、そっちを話してくれ」


 気の長い方では無い性格が災いして、勇気は話を遮るように口を出す。


「お前はっ!」


「紗希、黙りなさい」


 掴みかかるかと思うほど気炎を吐き散らし立ち上がろうとする紗希を女性は一言で制する。

 紗希は納得していないのか一度より強く睨むと、何事も無かったかのように居住まいを正した。


「あなたも。あまりこの子をからかわないでください」


「ふん」


「……変わらないのね」


「人間、そう簡単には変わらんもんだ」


 軽口を叩く勇気に女性が気を悪くした様子はない。むしろ会話を楽しむように表情はより一層柔らかくなる。

 が、それに反比例するように勇気は寒気を感じていた。臓腑を握られてるような気持ち悪さに背筋が凍る。


「ふふっ、もう少し懐かしい話でもしていたいけれど今日はまだそういう日では無いという事ね。では手短に要件を話すわ」


 引き攣りそうな顔を堪えていると女性は小さく目を細めて、


「終末思想をどうにかしなさい」


「終末思想?」


「えぇ、最近流行っているのか、今生きている世界に不満があるのかこの世なんて無くなってしまえばいいというだけの思想よ」


 知らない言葉だ。が、理解出来る言葉だった。

 麻疹みたいなもんだ、若い連中にありがちな全てが敵に見える、そんな感じ。


「んなもん、どうにもならんだろ」


 勇気は一蹴する。

 一人二人の考えを変えることは容易い。ましてやただの厭生観など最悪金でどうにかなる。が、流行りとなるとそうはいかない。同じくらい魅力のある何かを立ち上げる必要があり、その術を勇気は知らないからだ。


「でもどうにかしなさい」


「なんでだ? そんなことあんたらには関係ないだろ?」


「そうね、ないと言えばないしあると言えばあるの」


 曖昧な答えを聞いて勇気は顔を顰める。

 なんかなぁ……

 苛立つよりも困る、そんなことを感じる。言葉にするのは容易いが言っていいものか悩ましい。

 居たたまれず勇気は思わず左隣に座る紗希を見ていた。わざとなのか視線を合わせようとしない彼女は自分からなにか言うことは無いという意思表示にも見える。

 そんな勇気を他所に話は進む。


「肉塊のようなものにあったでしょう? 終末思想という本質のない考えが蔓延っているせいで、新たに力のある者がああいう不定の存在でしか生まれなくなっているのよ。時代時代に応じた不安や災難が、伝承や噂という形によって形作られているから迷惑しているというわけ」


「それで?」


「このままだと影響が表にも出かねないわ。初めは体調不良や倦怠感で済むでしょうけど、そのうち異形のものが見えたりするんじゃないかしら」

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