第34話 無限回廊

 口から不満が出そうになるが何とかこらえる。目途が立っている以上余計なことは言わないほうがいい。

 にしても立派な庭だ、とわざとらしく話題を避けて勇気は辺りを見渡す。

 正月には遠方からも人が押し寄せる、知名度の高い神社だ。木々に挟まれた参道は夏でもうっすらと寒気がするほどで、ここには何かあるなという趣のある雰囲気を醸している。

 ただそれは表の話、今勇気がいるのは裏口であった。

 神主、その他関係者のみが利用するそこは地元タクシーの運転手ですら知らない私道を抜けた先にあるため観光客の姿もない。そのせいか一層暗く、何か出て来そうな予感すらさせる。

 躊躇する勇気とは別に紗希は道をためらいもなく進んでいく。考慮のかけらもない速度で歩くせいで、いまだ体中から不調の合図が送られている勇気は、


「なぁ、もう少しゆっくり歩かないか?」


「一本道だ。グダグダいうなら先に行くぞ」


 振り返り一瞬眉をひそめた紗希はすぐに翻って進んでしまう。

 そんな面倒そうな顔しなくてもさぁ……

 前に出した足が地面につく度に不快な信号を脳に送り続ける足に活をいれ、悲しみの中勇気は彼女の後姿を追っていた。

 それから五分ほど歩いた先でようやく人工物の気配を感じられるようになってきた。

 前々から思っていたが広すぎる。一般人が立ち寄れる表部分ですら本堂までたどり着くのに五分十分とかかるが裏口まで同じにしなくてもいいだろう、と浅い呼吸を繰り返しながら勇気は愚痴を思い浮かべていた。

 見えてきたのは何かしらの建物であった。ただその大きさに感嘆すら湧いてこない。

 木々より少し低いくらいの平屋は朱塗りの太い柱が等間隔で並んでいる。軒下なのか廊下なのか、時代劇で見たことのあるそこは視界の端から端まででもまだ足りない。見える範囲すべてが襖になっており、中を伺い知ることはできないようになっていた。

 何部屋あるのか数えるのも億劫になる家屋を眺めていると急に屋根から落ちてくる黒い塊が目に入ってきた。

 毬のようなものであった。それは地面に衝突する寸前に開き、反動もなく静かに着地する。よく見ればただの黒猫で、その特徴的な眉間から伸びる白い筋を見せつけるように近づいてきていた。


「やぁ黒八。出迎えかな」


 喜色を浮かばせた声をあげながら紗希は黒猫をそっと抱き上げる。以前にあった時とは違い、猫らしい鳴き声を披露するばかりで人語を語ったりはしない。


「言葉を話したりしないんだな」


 つい、疑問が口に出る。

 

「猫が話したりするわけないだろう」


「……あ、あぁ」


 さも当然のように、いやさも当然なことを紗希は言う。

 その態度に気持ちが穏やかではいられない部分もある反面、そりゃそうだとも納得する。

 ただ失言だったと思ったのか、彼女はあわただしく空いている手を振り、


「あ、いや、表の世界だとこいつは本当に普通の猫なんだ。私もメメ子もそうなんだがちゃんと物理法則にも従っているし肉体の限界を簡単に超えたりなんてしない」


「はぁ、なるほど……じゃあ俺にもリバースギャップの中ならそんなことが出来るのかね」


 ほんの冗談、ただの戯言を勇気は口にする。そうなりたいとも本気にしている訳でもない話に乗っただけである。

 しかし紗希はゆっくり頷くと、


「出来るぞ」


「まじで?」


 あぁ、と紗希は頷く。


「出来ると信じて行動すればな。垂直跳びで十メートル飛べる筋力を想像し踏み込み、必要なエネルギーを足に回して地面を蹴るだけだ」


「……いや、無理じゃね?」


「はっはっは、確かに最初からそれが出来たら相当な夢想家だな。まぁ手甲でも着けて壁を殴ることから始めれば、そのうち感覚を覚えて素手でも同じことが出来るかもな」


 具体的な方法を提示されたが勇気は目を瞑り首を振る。そんなことをしても手首を痛めるだけで終わる。幼い頃ならいざ知れず、三十を過ぎてからやるもんでも無い。

 その態度に紗希は一言、つまらんとため息を吐く。幾分か態度は軟化したが、未だに当たりが厳しいのは彼女の性分なのだろう。

 それ以上会話をするのは蛇足と思ったのか、紗希は履物を丁寧に脱いで軒先に上がる。勇気もそれに習って後ろからついて行く。

 右手側に障子を見ながら歩く。柱、襖、柱と、見える景色に変化はなく、既にどこを歩いているのか分からない。無限回廊にでも迷い込んだ気持ち悪さを感じながら勇気は何も言わずに歩き続けていた。


「──すこし待て」


 紗希が立ち止まる。手を開いて勇気に静止するよう指示をしていた。


「母さん、入ってもよろしいですか?」


 片膝をつき尋ねる紗希の声には緊張感があった。肉親に向ける言葉にしては態度が硬すぎるような気もしたが、

 よそのうちの事に首を突っ込むのはなぁ……

 そんな言い訳を思い浮かべながら、勇気は紗希を見下ろしていた。言い換えればただ面倒くさかった。

 

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