第31話 締まらない終わり
「にぎゃっ!」
くぐもった汚い悲鳴が木霊する。
……まじかよ。
勇気はそう悪態をつく。
無理な駆動を行ったせいか、満身創痍が邪魔をしたのか、普段の不摂生がたたったのか。思い当たる節はいくつもあったが、結果として上がりきらなかった足がメメ子の顔面を膝で叩くことになっていた。
そのためそこを中心に頭は弧を描き、気持ちとは裏腹にみっともなく落ちていく。
十センチも無い、その隙間を埋められない。
待て、待ってくれ。
足掻く、足掻く、足掻く。けれども落下している短すぎる時間ではできることは何一つない。
こんな、結果はないだろっ!
勇気は歯を噛み締める。
そして素敵な奇跡が起きるはずもなく、ただ頭を強打して意識を手放した。
酷く強い雨が降っていた。
夏の盛り、長引いた夕立は暗くなってからも降り続いている。激しく叩きつける雨は水煙を立て、視界をより一層不鮮明にさせていた。
その中で、塀に囲われた道に一人の男性がいた。濡れることを厭わず地面に尻をつき、腹に一人の少女を抱いていた。
「──」
男性は少女の頭に手を置いて何かを話していた。それは雨の音にかき消されて誰にも届かない。
しばらくそのままの光景が流れていたが、不意に男性の体が右に傾き、それを戻そうと左に振ると止まることなくそのまま肩から倒れ込む。
衝撃で派手に水が飛び散る。男性はそのまま動かない。
背中からは無力さが赤い色となって流れていた。それは少女から流れきった赤と混じり、雨によって薄まっていく。
「──そこの」
鈴の音が不自然なほど長く反響していた。
夢心地の中、勇気はまだ脳裏に残る光景を思い返していた。
理由は分からないがあれは過去の光景だった。
手にはあの髪を撫でた感触が残っている。ヤクザの下っ端をやっていた頃、一番年齢が近いため組長の一人娘の世話係をさせられていた。
名前は咲夜。非常に大人しく、いるのか居ないのか分からない子供だった。
組長は本妻の間に子供がなく、水商売のオキニに産ませたのがその子だった。そのせいか本妻からは酷く疎まれ、また組長も可愛がるようなことはしなかった。本妻に気を使ったのか、そもそも子供が好きでは無かったのか、今では確かめることも出来ないが、組の中では居ない子扱いであったのは間違いない。
それは組員の意識にも伝播していて、直接手を出すことはないものの腫れ物扱いされていた。それでも放置で死なせる訳にもいかないということで、若く立場のない勇気にお鉢が回ってきたというわけであった。
目に見えて優遇してしまえば本妻の怒りを買う。かといって冷遇していいものか、その答えは誰も知らない。だから手探りながら必要最低限の世話だけ行っていた。
それでも周りから無視され続けていた咲夜にとって唯一と言っていい味方であったことには違いなく、また勇気も接していくうちに次第に心を許すようになっていた。
まだ若造で金もない頃だったこともあり、何かを買い与えることも出来ず咲夜の学校終わり、夕食の時間まで人目のない公園で遊ぶくらいしかしていなかった。傍から見ても人相の良くない勇気と咲夜が一緒にいる所を善良な市民に見つかると厄介者が事情聴取に来てしまうため、そういう所を選ばざるを得なかったからだ。
そこで何をしていたかと言えば、大したことではなくもっぱら遊具で遊んだり、いちばん多かったのはにわか知識の武道の稽古だった。
弱いことは罪だ。しかしそれを打開する術を授けたかった訳では無い。ただそれくらいしか思いつかなかっただけで、ましてや女の子らしい遊びなど検討もつかなかったからだ。
それに対して弱音も愚痴も吐かずに咲夜はついてきていた。帰る頃には服はいつも泥と砂まみれになり、本妻にグチグチと文句を言われることを避けるため勇気の借りている部屋で二人で風呂に入ることも多かった。
もちろんそれだけが仕事では無いため、勇気がいつも一緒に入れた訳では無い。かといって組の中に居場所のない咲夜をそのままにしておくのも忍びなく、いつしか合鍵を渡すようになっていた。
それも一年足らずのことだった。あの日、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれ、逃がそうとしていた咲夜は運悪く凶弾の餌食となり、勇気も腹に二発くらっていた。信頼していた直感も他人にまでは影響がなかった。
そのあとの記憶は無い。気がついたら金を持って逃げるように鈴が丘から出ていたからだ。
勇気はゆっくりと目を開く。西日が顔にかかって少し眩しく、顔を逸らす。
「……起きたか?」
声が降ってきていた。女性のものの声だ。
「……咲夜」
「なんだ、寝惚けているのか。女性の名前を間違えるとは酷い奴だな」
光の中で、嘆息する音が響く。まだ目が明かりに慣れていないため、ぼんやりとしか認識できない。
なんで……
状況が上手く飲み込めない。読み込みの遅いパソコンのように思考がフリーズしていた。
ゆっくり、ゆっくりと思考を回す。試練があり、負け、そしてまだ生きている。
後頭部には打ち付けた時の痛みと柔らかい感触がある。両脇から押されている感じから膝枕をされていると勇気は理解する。
そうして状況を噛み砕いていると疑問が次々と生まれてくる。それは最早多すぎて何から手をつけていいか分からなくなるほどであった。
まだ俎上にいることは理解している。下手なことは言えない。
そんな小賢しい考えを巡らせていた時、
「首狩りの、メメ子から聞いた。私の父親らしいな」
「……らしいな」
勇気の返答に続くものはない。
だからそのまま思いついたことを話続ける。
「十年前、鈴が丘でチンピラやってた頃組長の娘の世話係だった。結局抗争に巻き込まれて死なせちまったが多分その時鈴音様とやらにあったんだろう。理由は分からんがそこから鈴が丘を離れるまでの記憶が一切ないせいで鈴音様との間に何があったか、どうして呼ばれているかも検討がつかん」
「……はぁ」
わざとらしく大仰なため息の後、
「初めからそういえばいいだろう」
呆れた様子で紗希が言う。
「言って聞かなかったのがお前だろ」
「そんなことは無い」
勇気が非難するも首を振って紗希が否定する。
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