第30話 逆転劇

「ぐぅ……」


 醜い声と苦悶の表情を浮かべる勇気とは対称的に紗希は少し落ち着いた様子で前へと進んでいた。

 構えを解き、両腕をだらりと伸ばしている。右手には枝を、そしてもう片方には安物の使い捨てライターを指の間に挟んでいた。

 それを一瞥してから、興味無さげに勇気の顔の前に放り投げる。からからと音を立てて転がるライターは勇気の頬に軽く当たり、止まる。


「吹き飛ばされる寸前に投げつけるとは。何かと思って払いのけてもよかったが破裂してたらもしもがあったかもしれないな」


「……ちっ」


 勇気はわざとらしい舌打ちをする。

 ライターを投げたのは故意ではあったがほとんど無意識に近かった。ポケットの中に常備してあるとはいえ、理解外の状況から咄嗟に反応出来るほど応用の聞く頭はもっていない。ただ昔から意表を突くために物を投げつける癖が抜けていなかっただけだ。

 あの一発で決まるとは思ってはいなかった。だから相手の慢心を誘うために悔しさを表現する。諦めるという発想はないが今のままでは糸口がない。

 紗希はその態度に目もくれず胸元に手を置く形で構えを取る。

 突き。最速で必要最低限の必殺。それを成すための構えだった。


「……最期に一つ。母さんに何をした?」


「し、らねぇ……」


「馬鹿なのか? あぁ馬鹿だったな」


 握る手に力がこもる。重心を低く取り、目を薄く閉じる。

 ──詰みだ。この状況になって初めて勇気はあきらめた。

 手心はない。それはわかっている。後何秒の命となったが不思議と落ち着いている自分がいることに、勇気はおかしくなって笑みを浮かべていた。

 人に誇れる良い人生ではなかった。それでも日陰者としては精いっぱいやったほうだろう。


「母さんには良く言っておく」


「……あぁ」


 そして勇気は目をゆっくりと閉じた。





 ぴしゃり。

 温かいものが頬を伝う。

 なんだこれは?

 数秒がたっても答えは無い。

 代わりと言っていいのか、刺すような痛みが徐々に強く、全身から感じられていた。

 酷い緊張で他所に追いやっていた感覚が、緩んだことにより正しく肉体の状況を伝えるために躍起になっている為であった。

 そしてそれが未だに意地汚く生きていることの証左であった。

 ──何故だ?

 ありえない。ありえるはずがない。そんな都合のいい希望だけの話など、存在していない。

 しかし現実はそうなってしまっている。

 理由は思いつかない。

 ──本当に?

 勇気は閉じていた目を開く。

 視界の先には想定通り床が伸びていて壁へと続いている。

 ……異常はない。それを確認した時、視野の隅に動くものがあった。

 液体が、粘性が強いのか、盛り上がりゆっくりと広がっていく。赤く、紅く、黒く、勇気は急ぎ顔をあげた。


「──何故、だ」


 紗希の声が震えていた。しかしその姿を見ることは出来ない。

 何故なら彼女との間に一人、視線を遮るように立つ少女がいたからだ。


「……駄目だって言ったじゃん」


 腹部から生えた枝をがっしりと握り締めながらメメ子は呟く。

 先端から伝う命がとめどなく床に滴る。

 その経験がなくとも一目で分かる。明らかに致命傷だった。

 それでもメメ子は笑みを崩さない。


「資格の無いものが試練の真似事なんて鈴音様は絶対に許さないよ。たとえさっちんでもね」


「だが──」


「だからさ……」


 メメ子は勇気を見つめていた。青白い肌がより一層白く見える。

 枝を持つ手が片方離れていた。掲げられた手は拇と中指だけが合わさり、


「……勝ってよ。勝って無かったことにして」


 パチン。

 指が鳴る。同時にガラスの砕く音が鳴り響いた。

 その直前に、勇気は地面から起き上がっていた。跳ねるように、痛みも忘れて無理な体勢で短距離走の選手さながらに突っ込む。

 目の前ではメメ子が盾になってしまっている。このままでは衝突は免れない。

 それでも勇気は横を見る余裕など無かった。既に体は前に動いてしまっているし、何より遠回りしている時間が無い。

 ──すまん。

 心の中で謝罪して手を伸ばす。膝立ちしているメメ子の肩に両手を置き体重を乗せる。

 跳び箱の要領で勇気は宙に浮いていた。飛び越せればいいとだけ思っていたが、負荷をかけてもメメ子は体を折らずに耐えていた。

 景色が変わる。色がメメ子を中心に瞬時に広がっていく。

 ──いた。メメ子の後ろ、枝では無いものに両手を添え、半開きになっている口を閉じようともしない紗希と目が合う。


「なっ!?」


 咄嗟に手を離し迎撃のための握り拳を作る。

 が、間に合わない。虚をつかれた上に目前まで迫った勇気を排除するには時間が足りない。

 そして、勇気も間に合わないでいた。足も手も体より後ろにある。飛び出すことしか頭になかったため、使える武器が何もない、いやひとつしかなかった。

 頭突きと言えるものでは到底なく、ただ頭からぶつかる。それしかできない。


「……あっ」


 衝突を覚悟した。一秒もない。このまま行けばそうなるのは自明であった。

 ──ただそうはならなかった。

 不自然に勇気の体が止まる。勢いが急に落ちて、メメ子の背中をなぞるように落ちていく。

 何が、と考える前に勇気は膝に違和感を感じていた。

 

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