第28話 乱入してきました

「なっ、なっ……」


 目の前の光景に唯一残ったマネキンは言葉を上手く発することが出来ずにいた。

 今更ながら何処から声が出ているのか気になるが、勇気は何も言わずにいた。

 まだ終わっていないからな……

 カツカツと靴を鳴らす音がする。メメ子が返答を待つように立っていた。

 その様子は以前から勇気が体験しているものと同じだ。先払いの試練が始まっているのだ。

 だからメメ子からは先に何かをしたりはしない。それがわかってきたのか、慌てた様子のマネキンは小さく、深く息を吐いて、


「……私に試練をしても意味が無いはずよ」


 掠れるような声で問う。

 メメ子はそれにゆっくりと頷き、


「そうだね。でもしちゃいけない理由もないし──」


 一旦そこで言葉を区切り、


「──ま、メリットが全くない訳でもないしねー」


 酷く軽い口調でそう答えた。

 短い沈黙の後、マネキンは首を傾げる。


「そんなはずないわ」


「普通はね。でも相手の経験値を幾らか分捕ることが出来るんだよね」


 効率悪いけど、とメメ子はぼやく。

 調律前に勇気が聞いたことはそれだった。

 何をしても三体の要求から逃れる術が見つからない。口八丁ではぐらかしても実力行使されてしまえば不利なのは勇気自身である。それがわかっていたからの保険だった。

 三体の意見が合わないのであれば一体にすればいい。誰を残すか、それは簡単に答えが出た。

 無論、そのためにはメメ子の協力が必要だ。代償として鈴ヶ丘を離れられない彼女の代わりにお高いスイーツの詰め合わせを献上することになっている。

 なんにせよ、試練はもう終わっていた。これ以上追い込むとヤケになったマネキンが何をしだすか分からないため、勇気は声をかける。


「これ以上余計なことを言ってメメ子に揚げ足取られるより諦めた方がいいぞ」


「……そう、ね」


 苦渋の決断だ、そういうようにか細い声でマネキンは答える。

 それを聞いて勇気はゆっくりと息を吐く。最終的にどうにかはなったのはこの歪な世界に慣れてきたのもあるが、

 なんかなぁ……

 心の中で引っかかりがあった。まるで誘導されているかのような、駄目なことだけではなくこれが効果的であるという保証のない確信が時々生まれるのだ。昔から致命的な状況の時には虫の知らせではないが嫌な気配を察することはあったが逆はなかった。あったらもう少し楽に生きていたはずである。

 餓鬼が親に軌道修正されているような不快感に眉間に皺が寄る。

 が、今はそれについて悩む時間では無い。約束の期限まで猶予もあまりないため、早いところ報酬を得る必要があった。


「ほう、ただの人間が二度も試練を突破するとは。流石に母が目をかけているだけあるみたいだな」


 一歩歩き出したとき、ハリのある声が響いて勇気は足を止める。

 声には聞き覚えがあった。軽いため息とともに後ろを振り返ると、予想通りの人物がドアの奥に仁王立ちをしていた。


「……夕方とはいえこんなところに来るとは。社会人としてどうなんだ?」


「私の仕事なんでどうでもいいだろう。それより同じことはそちらにも言えるのでは?」


「夜メインの飲食業のオーナーが早起きしてやることなんてねぇよ。昼行灯しているくらいでちょうどいいんだよ」 


「減らず口だな」


 悪態をつきながら足を鳴らして露骨に不機嫌さを顕にする。前回とは違い、余裕のない仕草に勇気は首を傾げながら思い出したことを尋ねていた。


「あぁ、前に連れていった猫にも用があるんだ。場所、知っているんだろ?」


「まあ、うん」


 煮え切らない返答に疑問よりも苛立ちが強くなる。軽口を叩いたのは自覚していたがそこまで気分を害することは言っていない。遅れてやってきた反抗期かと冗談のひとつでも言ってやろうかと思っていると、


「──ひとつ、答えて欲しい」


 その目つきは射殺すほどに真剣で、


「……いいぞ。質問にもよるけどな」


 慣れ親しんだ感じに勇気は気軽に答える。

 紗希は腰に佩いていた木の枝を構えていた。流水のような滑らかな動きで正中線上に枝が重なる。

 主枝の半ばから側枝が生え、その先端にぷっくりとした葉っぱが一枚、主張激しくゆらゆらと目線を誘う。今の今まで木から栄養を貰っていたと言われても納得するほど青々としていたが、付いている枝の方は乾燥しているのか木肌に深い皺を作り、主枝の欠けた先端から生気を感じない木目が見えていた。

 歴戦の武士のように枝に両手で握り、弛緩した身体とは裏腹に眼光だけは鋭く光っていた。

 なんの真似だ、勇気はそう思いながらも動けない。四方を灼熱の炎に囲まれているようにピリピリと皮膚が粟立つ。過去経験したことがない緊迫感に瞬きをすることすら許されていなかった。

 ……冗談じゃねぇよ。

 虚勢だけで崩れそうになる膝に活を入れる。異様に乾く喉が今は恨めしい。

 紗希はその姿勢のまま、ゆっくりと歩き出していた。すり足で、一歩、また一歩と勇気への距離を縮めていく。

 目を奪われるような優雅な所作であった。演劇の一部分を切り取ったような、気迫だけで観客を飲みこむ動作は、枝の切っ先を勇気の喉元に当てたところで終わっていた。


「貴様は、何者だ?」


 紗希がにらむ。

 答えようにも喉が動かない。勇気は空いている手を振ることしかできずにいた。

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