第20話 決着

「で、伝言ってなんなの?」


「あぁ」


 まだ粘着の残る手を握らせた紗希は、思い出すように天を見上げた後、


「一週間は無理だろうからひと月あげる。それまでにちゃんと顔を見せに来なさいとの事だ。それまでは秘密にしておくのだと。いやぁ母から興味を持たれるとはなかなかの人物だな!」


 本人としては褒め言葉のつもりなのだろうがそれとは別に明確な期限を設けられてしまったことに勇気はげんなりといった表情を返す。

 それにしても行動が読まれていると感じることに強く不快感を覚えてしまう。メメ子が密告している可能性も否定できないが知り合いである紗希が知らないのも変に思えて結論が出ない。

 まるで掌の上で踊らされているかのような感覚に、抱くのは不満だった。毎度必ず現れるメメ子もそうだが十年の間立ち寄ることもなかった男がたまたま現れた翌日に自分の娘を使いに出すのは偶然とはいえない。それなら今の今まで監視されていたという方が自然なまである。

 とんだストーカー女に目をつけられたのでは無いかという恐怖と鬱憤に勇気は、


「……ちなみにだが、それを破った場合どうなる?」


「安心しろ、破った奴は居ないと聞いている」


 そりゃ生きていないって意味じゃないのか?

 紗希は裏のない笑みを浮かべていたが、勇気は勘ぐるような目線を向けていた。

 と、その時、


「あ、そろそろ帰らねば。勇気さんに首狩りの、失礼する」


 それだけ言い残し紗希は手を振りながらおぞましい速度で去っていく。

 その後ろ姿を見送っていると、勇気は、 


「あ」


「どしたの?」


 短く呟いたあと深くうなだれていた。

 その様子にメメ子が声をかけるが反応はなく、ようやく絞り出した言葉は、


「……報酬貰い忘れたぁ」


 それを聞いてメメ子は小さくあぁと零すだけだった。





 

 青い畳が一面に敷かれた和室で女性が一人、煙管をくゆらせていた。

 四面を襖に囲われたそこは外へと繋がる一面だけ開かれていて、夕闇の中に輝く月影が池の水に映っている。

 女性は気だるげにその様子を見ていた。幾重に重ねられた着衣は乱れなく、佇まいも凛と気品を感じるようだ。

 彼女の前には漆塗りの座卓が置かれ、その上は書類で満ちていた。いくつもの山の中から一際高い山の一番上の紙を摘むと中身を一瞥してから横にある火鉢に投げ入れる。

 ぼうっと一瞬音を立て炎が立ち上る。頬を紅く照らされた女性はそれに見向きもしない。

 紙が完全に燃え尽きると、特有の匂いとぱちりぱちりと炭の吐く音だけが部屋を満たしていた。

 冬が近づいている、と女性は外を眺めながらそう思う。今は十月の下旬だ。時期に冬の気配を感じることも多くなっていくだろう。

 ぴちゃん。

 時折池の中の鯉が尾を覗かせて水面を叩く真似をする。その微かな音が緩い冷気と共に部屋に入ってくる。

 優美な風景画のような庭を眺めながら、ふう、と女性はため息をつく。

 無聊や倦怠といった感情は彼女の中にはない。ただ在りし日の思い出を反芻し、待ち人の姿を思い出していた。今どこで何をしているのだろうか。探す気になれば指先一本すら動かす必要は無い。ただあの日と同じ光景を見るためには荷物が重くなりすぎていることに気付いてまたため息を漏らす。

 一枚、また一枚と紙を火鉢に放り込む。それが十を超えた辺りで女性は異音を察して手を止める。

 とんとんと軽い足音が響く。徐々に近づいてくるそれは部屋のすぐ手前で一旦止まると、


「母さん」


 うら若い女性の声が鳴る。

 そして返事を待たずに襖が開かれ、片膝をついた女性が現れていた。

 紗希だった。湯上りだろう、和室にはそぐわないクリーム色のパジャマを身にまとい、纏めた髪は純白のタオルが包んでいる。少し赤らめた顔からは薄い湯気が立ち込め、腕の中には眉間から白い筋を伸ばした黒猫が身体にタオルを巻かれて丸くなっていた。

 部屋の主は突然の乱入者に目を向けず、月夜の風を感じていた。紗希は慣れた様子で火鉢の元へと歩みを進めると、


「伝言、伝えてきたよ」


「……そう」


 大した興味もない振りをして女性はそう答える。

 正座をした紗希は腿に黒猫を置くと、ゆっくりと撫でながら母親へと目を向けていた。

 それ以上の会話は生まれない。紗希が言葉を待っているという訳でもなく、ただ自然にそうであるようにしているだけであった。

 それを女性は内心でむず痒く思っていた。歳を重ねる毎に益々あの人に似てきている。多くを語らないところも、他人の領域の一歩外で待つ姿勢も。それが嬉しくもあり、憎々しくもある。

 それでも感情を顔に出さず、女性は小さく足を崩す。


「……どうでした、彼は?」


 女性が尋ねると紗希は撫でる手を止め、


「そうだな……母さんが懸想するほどの人物とは思えないな」


 表情は柔らかくも言葉には棘があった。直後に目を開いて口元を押さえる仕草をするが、対面している女性は微動だにしない。

 それでも言い過ぎたと軽く頭を下げる紗希に女性は初めて振り返り、その顔を見せた。喜怒哀楽全てを隠すその表情からは感情を読み取ることは出来ない。事実怒ってなどいなかった。質問をしたのは女性からで紗希はそれに対して素直に答えただけだからだ。

 

 

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