第19話 暫定娘

 ……咲夜、か?

 面影があるでは済まされないほどに似ていた。しかし彼女は既に死んでいるはずで──

 勇気はそれ以上考えるのを辞めた。脳裏に浮かんだのは十年前まだ幼かった童女の姿。

 記憶の中では死んでいると認識している。死体を抱きかかえた自分の姿も覚えている。が、その前後の記憶が霧より深いもので覆われていて見ることが出来ない。

 それが記憶喪失と密接に関係していることは容易に想像できた。

 だから今じゃない。必要ない。

 勇気は前を見る。視線を向けている、過去の亡霊に対して。

 彼女は片手に角材を持って、ただ立っていた。二十歳程の女性にしては長身で痩せ型、髪は首元までの長さに揃えられて特有の光沢を放っていた。シワひとつないスーツを身に纏い、凛とした雰囲気を醸し出している。

 先端が地面をこするほどの長さの角材は、当然ながら握りはなく、また先端には肉の破片がこびりついている。見た目はなんの変哲もないただの木だというのに数メートルの高さの塊を両断出来るとはとても思えない。


「あ、さっちん。久しぶりぃ」


 メメ子が手を振って彼女に声をかける。

 さっちん、って言ったよな……

 聞き捨てならない言葉が聞こえたが、勇気は微動だにせずにいた。

 対してあだ名で呼ばれた女性も、手に持っていた角材を放り投げて、手を振り返す。


「ああ、首狩りの。今日も元気そうで何よりだ」


 女性の目線が一瞬だけメメ子に向くが直ぐに勇気に戻る。

 そして、


「ところでそこの御仁はどなたかな?」


「ふふふ、聞いて驚くなかれ。この人はさっちんの──」


「ただの巻き込まれた人間だ」


 勇気はメメ子の前に立った。

 その行動に正面の女性は唇をへの字に曲げて首を傾げる。

 また背後から突き刺さる視線を感じるが意に介さずにいると服の裾が引っ張られていた。仕方なく振り返ると、メメ子は上目遣いで眉を顰めていた。 


「……なんで隠すのさ」


 勇気にだけ聞こえるような小声で囁く。それに勇気は背中を丸め、目の高さを合わせると、


「急に父親だって言われても困るだろ。というか本当に俺の子供なのか?」


 メメ子が先日言っていたことが正しいとするならば彼女が勇気の子供ということになる。が、そうなると十年前に産ませた子供にしては発育が良すぎるのだ。

 疑いの眼差しをメメ子に向けると彼女は一度首を縦に振り、


「鈴音様はそういってたよ?」


「年齢合わないだろ」


「あー、そこはどうにかしたんじゃない?」


 いや、どうやってだよ。

 無茶苦茶なことをさも自然なことのように受け入れている姿に、勇気は思わず声が出そうになる。

 それを、慣れねぇな、と自制する。自分の抱えている常識では測りきれないことしかないのにまだ常識を頼りにしてしまう。無理もないとは思うのだが切り替えていかねばいけないのだ。

 そんな二人の会話を見て、女性は怪訝そうな顔をしながら、


「何かあったのか?」


「あぁいや、何も無い何も無い。気にしないでくれ」


「そ、そうか……」


 上手く取り繕えていない言葉に女性は渋々といった感じで頷いていた。


「で、さっちんはなんの用なの?」


 このままでは話が止まってしまうな、と考えていたところでメメ子が助け舟を出していた。

 それに女性は思い出したように目を大きくすると、未だにぐったりとした様子の黒猫にこびりつく肉片を撫で落としながら、


「ああ、母にここに行くように言われてな。何やら大事な人がいるとの事で伝言を頼まれているんだ」


「大事な人ねぇ……」


 含みのある声に勇気は目を向ける。

 そこには憎たらしく笑うメメ子が居て、


「……なんだよ」


「べっつにぃ」


 煮え切らない態度に勇気はメメ子の頭に手を置いて髪の毛を乱暴に乱す。

 驚いたのか不快に思ったのか猫のような悲鳴をあげて腕を振り回す少女に、勇気は笑いながら距離を空ける。しばらく暴れた後むくれ顔をしていた少女は、不機嫌さを吐息と共に吐き出してから女性の方を向いた。 


「その大事な人ってどんな人なの?」


「うむ、男性で首狩りのと一緒にいるだろうとの事だ。つまり──」


 女性と勇気の目線が交差する。


「──まぁ俺の事か」


 状況的にそれ以外がありえない。

 実感は無い。だからか勇気は表に出す表情に困っていた。

 だがそんなことはお構い無しといった感じで女性が語りかける。


「初めて見る顔だが母とどんな関係か聞いても良いか?」


 その質問は当然のことだった。

 誰だって自分の知らないところで親が異性を大事な人と呼称していたら気になるものだろう。

 勇気も女性の気持ちは理解出来たが、すぐには返答出来ずにいた。

 なんて言えばいいのか、ようやく絞り出した答えが、


「……腐れ縁かもな」


「随分と曖昧な答えをするんだな」


 疑問の中に確かな警戒が覗いている。

 ……そりゃそうだわな。

 女性の態度に仕方ないと納得するも、勇気としては誠実に事実のみを答えているに過ぎない。

 下手に情報を出すと余計なことまで話してしまいそうなので、言葉を選びながら勇気は事情を伝える。


「怪しむのも仕方ないとは思うが、原因不明の記憶喪失でな。それに関してはあんたの母親の方が詳しいんじゃないか?」


「ふむ……名前は?」


「勇気」


「紗希だ。よろしく」


 女性は勇気の前に手を出していた。細く白い指は所々肉片で汚れていて、思わず難色を顔に滲ませる。

 それに気がついた女性はすまんすまん、と軽い謝罪を述べながら自身のスラックスに擦り付けて拭っていた。


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