第18話 諦めました
「それは、出来ないはずだ」
黒猫は言葉に詰まりながらもそう言った。
それに対して答えたのはメメ子で、彼女は底意地の悪い笑みを浮かべて、
「出来ないんじゃなくてやらないだけだよ。品が無いから。でしょ、猫のおじさん」
「どちらにせよ同じことだろう」
すかさず反論した黒猫に、メメ子は地面を指差す。
「かもねぇ。でも今ここは私が買ったところだから品とか別に関係ないし」
メメ子の言う通り、わざわざ共同出資であることを宣言したのはこのためでもあった。
持ち分は圧倒的に勇気の方が多いが、極論メメ子の足の踏み場さえあれば良かったのだ。あえて派手な演出をしたのは、その方があの性格の悪そうな猫を誘えると思ったからだ。
上っ面だけは取り繕っても内心は愉悦のために腐りきっている。だからこちらの思惑が外れたと思うやいなや少し持ち上げて叩き落とす。
思いのほか単純だな、と勇気は思っていた。
「無駄話もそこら辺にしとけよ。俺はまだこのあとも仕事があるんだから早く帰らせてくれ」
「待てっ!」
つれない態度をとる勇気に、黒猫は初めて焦りを声に滲ませていた。
勇気はほくそ笑むのを何とか堪えながら、
「……なんだよ」
「そんな道理が通るか。だいたい手助けはしない約束だろう?」
いつの間にか矛先はメメ子に向いていた。
ただ彼女は首を横に倒し、
「何言ってるの? 早い者勝ちって言っただけでそんな約束してないし」
「くっ……」
その一言に悔しさを顕にした声を出すにとどまった。
一件落着と、軽く息を吐いた勇気は手を挙げ、ひらひらと振る。
「じゃあな。またあったらその時は続きでもするか」
「……その時も突破出来なければ同じように逃げるのか?」
「逃げるなんて失礼だな。ただ日を改めるだけさ」
そもそも続きをする気もないけどな、と心の中で呟く。
リバースギャップの範囲は、個人差があるがだいたい半径五十メートルほどらしい。試練が続いている間は相手がどこにいるかおおよそ検討がつくようだが、その範囲に居ないと因子持ちと言えど影響を及ぼせないとメメ子は言っていた。
つまり近寄らなければ無害なのだ。黒猫は駅の近くに陣取っているため面倒だがそれでも大回りか隣の駅まで行けば回避出来ることである。
「おっと、まだ試練自体は続いているんだ。そこから動いてくれるなよ」
念の為勇気は釘を刺す。死ぬか突破するかでしか試練は終わらないのだから、他にいかなる理由があろうとも条件を変えてはいけないのだ。
「……はぁ」
低く響くため息だ。その分かりやすく諦めを匂わせる音を聞いて勇気は気を抜くことが出来た。
その瞬間、急に景色が目の前に迫ってきて思わずたじろぐ。しかし何かにぶつかるということも無く、ただ間延びしていた空間が元に戻っただけのようだ。
「わかった、僕の負けだ」
黒猫はすぐそこにいた。声がしていたところそのままで、試練前から一歩も動いていないようだった。
どんなトリックを使ったのか、未だに分からないが勇気は猫の首を掴んで持ち上げる。
柔らかく、暖かい。力の加減が分からず握り潰すか落としてしまいそうになる。
足を地に向け、ぶらぶらとさせている黒猫はもうこれ以上抵抗する気はないようだった。目頭から額にかけて二本の白い筋が逆八の字に伸びて、その目は細く何かを訴えていた。
負け犬、いやこの場合は負け猫か。そんなことを考えながら勇気は後ろへと視線を向ける。
「よし、じゃあとりあえず──」
手に力がこもる。それは腕に、肩に、背中にと派生していき、
「──頑張れ」
一瞬高く上がった腕は振り下ろされ、勢いよく猫を放り投げる。
当然のことに反応が遅れたのか、最高点までは静かだった黒猫は弓なりに落ち始めた辺りでにゃあと悲鳴をあげていた。
猫らしい所もあるんだなと感心していた勇気は、黒猫がピンクの物体にぶつかるのを見ていた。見た目では柔らかそうなそれは適度な弾力があったため、衝突した黒猫を弾いていた。
直後、地面を転がる黒猫に対して、肉が上からのしかかるように飲み込んでしまう。そこに悲鳴も何も無く、ただ広がって少し低くなった肉が微動だにせずそこにいた。
どのくらいの時間がたっただろうか。一分は経っていないが何も変化のない時間を勇気はもどかしく感じて、
「……なあ、あれって雑魚なんだよな?」
「雑魚だよ」
メメ子へ尋ねると、彼女はこくこくと頷くだけであった。
にしては動きがないため、
「出て来ないな」
そう呟くと、
「いや、いくら雑魚だからって完全に取り込まれたら出て来れないんじゃない?」
「そういうことは早く言えよ!」
「聞かれてないんだもん、しょうがないじゃん!」
醜い応酬を繰り返した後、勇気はため息を着く。
勇気の内心では少し焦りがあった。まだ報酬も貰っていないのに死なれては骨折り損にしかならない。死ぬにしても報酬だけはくれよ、と思っていた。
とはいえ手出しは出来ない。何とか自力に退治をして出てきてくれと願っていた時の事だった。
ひゅんと言う音を聞いた。それが風切り音だと気付いたときには肉が真ん中から裂けて、急激に水分が失われた様に皺だらけの山を作る。
カツカツと足音がする。肉の山の片方からピンク色の体液で塗れぐったりとした黒猫を掴み、持ち上げる女性がいた。
汚れることを気にせずに猫を抱く彼女の顔は優しく、慈しみの目をしていた。それは正面に立つ勇気にも向けられ、
「はぁ、あまり黒八を虐めないでくれないか? 悪戯好きなだけなんだ」
微笑む彼女に勇気は、目を大きく開いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます