第16話 返してください

 それがわかったからといってどうにかできるというわけではない。何か試すにしても時間が残されていないのだ。

 最後の手段を取るしかないのかな、と勇気はメメ子を見る。相変わらず他人事の雰囲気で娯楽小説を見ているかのような表情を浮かべている彼女をみて、考えを改める。少なくとも味方ではないものを信頼するなんて脆弱な選択はできなかった。


「さて……」


 気持ちを整理する意味も込めて勇気は声を出す。何か出来そうではあるが何かが足りない。そんなもどかしく、そして逸る気持ちを抑える意味を込めて。


「どう? いけそう?」


「……今のところは無理だな」


 虚勢を張る必要もないか、と考えた勇気は飛んできた質問に素直に答える。

 それを聞いて、メメ子は含みのある笑みを浮かべていた。


「いいよぉ、手伝っても。直接手出しはできないけど助言くらいなら契約のうちって言えるから」


「でも無料タダじゃないんだろ?」


「そりゃねぇ」


 メメ子は中指を立て自分の首を突っついてみせる。

 食えない奴だな、と勇気は思う。確かに彼女に頼れば糸口は見つかることだろう。しかし、それは一度の助言で達成出来るものでは無いはずだ。二度、いや三度使ってようやくどうにかなるものだという確信があった。

 それは奇しくも先程彼女に教えたことと同じで、


「──あぁ、なるほど」


 突如として舞い降りた迷案に、勇気はぽつりと呟いていた。

 可能かどうかは別として道理は通っている、と思いたい。というか多分無理やり通す他ない。

 そのためにと、勇気は持っていた鞄を漁り、目的のものに手をかけると、


「なぁ」


「何?」


「渡した金、まだ残ってるか?」


 メメ子は笑っていた。勇気も笑みを返す。

 お互いが次の行動を起こすまで少し時間があった。

 バッグの紐を強く握り直す彼女。それににじり寄る勇気の姿は正しく変態だった。





 黒猫はただただ飽きていた。

 齢を数えることはとうに止めていた。時代の移り変わりにも興味はなく、時折因子持ちと遊ぶ以外はただ眠ることに時間を費やしていた。

 そんな彼にも宝物と呼べるものがあった。それは近くの神社の中に隠してある、彼だけの戦利品だ。

 干からびた人間の皮にくるまり眠る。それが史上の喜びであった。

 ただここ数年新しい皮を得る機会には恵まれていない。長年愛用している皮も味わい深く良いものなのだが、たまには新鮮味のある若い皮にも惹かれてしまう。

 だからたまたま迷い子に出会った時、久しぶりに心躍る感情が呼び起こされると共に、深い落胆に襲われていた。

 少し年はいっているがまだまだ張り艶のある素材。それが目の前にあるというのにそれは既に売却済みだったからだ。これを逃すと次はいつになるか分からない。

 だから隣に立つ少女の言葉を聞いた時、思わず歓喜の声を押し殺すのに苦労した。一瞬罠かと疑うほどそれは魅力的だった。

 それにしても、と黒猫は素材と少女を見る。

 何やら二人でバッグを奪い合っているようで、何をしているか全く検討もつかない。

 その様子に悠長であるな、と黒猫は思う。

 空間の誤認識、それが黒猫の能力であった。

 実際、素材と黒猫の距離はまだ手の届く範囲にいる。それでも触れることが出来ていないのは彼が黒猫はもっと遠くにいると認識してしまっているからだった。

 冷静になり違和感を見つけ、自分の認識が間違っていると心から信じることが出来れば簡単に突破できる。その程度の能力だった。

 そう考えると初動の彼の動きは完璧であった。まだ誤認識が甘いうちに目標を達成する。仮にそれなりの武道をしっかりと修めているほどの人物ならばあの時触れることが出来ていただろう。

 最初で最後のチャンスを逃したのだ。欲深そうな顔をした彼ではもう突破は叶わないだろう。

 唯一の気がかりは少女の存在であった。下手に助言でもされたらそれでおしまいなのだ。が、見たところそんな様子がないことに黒猫は安堵する。

 もう全てが遅いのだ。後は近づいてくる肉に獲物をかっさらわれないように気をつけるだけで新しいコレクションが増える。

 笑いが止まらない。そう内心で思っていた時のことだった。


「おい」


 急に声がかけられ、黒猫は平常心を表に出す。


「あぁ、どうしたんだい? もう諦めるのかな。まだ時間はあるのだからよく考えてよく物を見た方がいいと思うけれどね」


 気持ちのこもった言葉だ。実際によく見てよく考えるほど誤認識は強まっていく。そうなればもう解決する術などなくなってしまう。

 これから彼ははどうするのだろう。喚き散らして体力を浪費し、飢えと渇きの恐怖で全身から全ての体液を垂れ流すかもしれない。怨嗟の声がかすれていく様も風情があって良いものだ。

 どんな楽しみ方をさせてくれるのか、期待のこもった目で黒猫は彼を見る。すると、彼は手に持ったものを掲げて見せて、


「これがなんだか分かるか?」


「なんだかって……人間の金だろう?」


 扇状に広げられた紙幣を見て、黒猫はそう答える。

 その行為に買収でもするつもりかと思っていたが、


「なんだ、知っていたのか。じゃあちょうど良かった──」


 直後、天へ腕が伸びたかと思うと、その先へと紙幣が飛んでいた。

 それでもただの紙だ、それほど高く飛ぶこともなく、またひらひらと広く舞い散っていた。

 気でも狂ったかと思うような行為に興味が湧いて、黒猫は首をあげる。

 いまだ一部の紙が宙に浮く中で、中心に立つ彼は言う。


「この土地、俺とメメ子で買い取らせてもらう」

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