第14話 クロネコ
歯に衣着せぬ物言いだが、否定することは出来ない。
その冒涜的な姿を見ていると徐々に進路が自分の方向へと向かってきているような気がして、
「……こっち来てるよな?」
「来てるね。多分お兄さんを食べようとしているんじゃない?」
距離が縮まるにつれてその圧も強くなる。まだ遠く、二十メートル程空いているが、
……で、デカイな。
肉は全長五メートル程に見える。周囲がモノクロのためはっきりと比較するのが難しいが見上げるほどの高さであることは間違いなかった。
動きは非常にゆっくりでたとえ至近距離まで近寄られたとしても逃げ切ることは容易いだろう。ただそれも今のままの動きをずっとしてくれるという前提だ。
肉は進行方向、駅までの道を塞ぐようにいる。雑居ビルが立ち並ぶ路地なので迂回路が多数あることが救いだった。
「逃げるか」
「戦わないの?」
メメ子がからかうように尋ねてくるが片手を振って答える。
巨体はそれだけで凶器になる。あのパンパンに詰まった体を相手などできるわけも無い。
「雑魚なのになぁ」
「試練でもないんだ。倒してなにになる」
勇気はそう言い放つと、踵を返して駆け足になる。
ダサいと言われるかもしれないが構わない。メメ子は雑魚と言っていたが勇気にとっては適うはずも無い相手だ。武器となるものも特にはないし得にもならない。
一応解決策はあった。メメ子を使って倒してもらう方法だ。だがそれは出来ない。先程あいつはなんだど聞いた時しれっと一歩近寄ってきていたからだ。
おおよそ二歩。抜け目なく距離を詰めてくるメメ子の方があの肉達磨よりも怖く感じていた。
ある程度走った後、勇気は後ろを振り返る。
付かず離れずの距離にいるのはメメ子だけで、あのでかい化け物の姿は無くなっていた。
対処が楽で助かる、と一息着いて足を止める。ここのところまともな運動をしていないせいか、早くも足に痛みを覚えていた。
このまま後は大回りで帰れば、と考えていた勇気は、いつまでも景色が変わらないことに気づいて、
「なあ」
余裕そうな表情を浮かべるメメ子に声をかけていた。
「何?」
「景色が戻らないんだが」
「そりゃそうでしょ」
つまらなそうに答えるメメ子は、
「だって何もしてないじゃん」
「……一応あの肉からは離れてみたんだが」
漠然とそれで何とかなると思っていたが、そうでは無いらしい。
勇気の言い訳を聞くと、メメ子は軽く吹き出すように笑っていた。
「ははっ、肉に調律なんて出来ないよ」
「調律、ねぇ。あぁ、あの鈴の音のことか」
「そうそう。お兄さんみたいに因子がある人をこっちに連れてくるに必要な事だよ。慣れると簡単だけどあいつにそんな脳はないしね」
何処までも馬鹿にした物言いをする彼女を横目に勇気は思考を巡らせていた。
連れてくると言ったメメ子の言葉通りなら、あの肉以外に原因となるものがいるということだろう。思えばリバースギャップへの出入りはいつも自分の意志とは関係なく、メメ子の裁量であった。
それにしても面倒くさいな、と思いながら勇気は周囲を見渡す。今の状況もそうだが、メメ子との会話が特に面倒くさい。
質問という形式をとってしまうと死が近くなってしまうため感想や実況を述べて、それにメメ子が相槌を打つというようにしなければならない。いちいち言葉を選ぶということにストレスを感じていた。
そんな楽観的なことを考えていると、視界の隅に黒い影が映った。
モノクロの中で光沢のある黒というのは存外目立つものである。
「あれか」
「え、どれ?」
勇気とは違う方向を見ていたメメ子が尋ねてくる。その頭を持って、目的の方向に固定する。
そこにいたのは猫であった。家の塀の上で丸まっている黒猫だ。平日のうららかな午後であったならほっこりとでもしそうな様子だが今は夜の始まり、街灯の白の中で甲虫のような毛並みが気持ち悪い。
「あ、いたいた」
「んじゃ、貸し一な」
「はぁ? それあり!?」
抗議の声とともにメメ子は振り返ろうとするが、頭を押さえられていてそれは叶わなかった。
ありかなしかでいうならばありだろう。というかこれくらいしないといつか自分の首が飛ぶことになるため妥協する気はなかった。
それよりも、
「さて、あれをどうにかするしかないか」
見た目はただの猫だ。捕まえて逆さ吊りにでもすればこちらの要望を飲ませることもたやすいだろう。が、それは本当に見た目通りだったらの時だけである。
勇気は両手を離す。手の中にあった温かさはなくなり、かすかな残り香だけが残っている。
「むぅ……」
いまだ機嫌の直らないメメ子は見上げるように見つめてきていた。それでも先ほどより一歩分遠くから近寄る気がない様子から内心の業腹具合は別として道理は通ったらしい。
先入観が恐ろしい勘違いを引き起こすことは先程のことで理解している。だから勇気は慎重にその足を前へと向けていた。
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