第9話 鈴音様というお方

 恐怖は無い。ただ呆れるだけだ。

 それでも一つわかったことがある。少なくとも試練という迂遠な手段を挟まなければ殺されることがないということだ。通り魔的に殺されることがない分気持ちが楽になる。試練を突破出来るかどうかはまた別の話になるのだけれど。


「殺されたくはねぇな」


「私もそう思うよ。誰にも殺されないでね」


「……自分が殺すからか?」


 その問に返答は無い。ただ憎たらしい程の笑顔がはっきりと物語っていた。

 それに対して勇気も笑ってみせる。ろくな死に方はしないだろうと思える人生だが、訳の分からない存在の訳の分からない殺され方を享受できるほど人生諦めている訳ではなかった。

 しかし常勝という訳にも行かないことはわかっていた。ただその一敗が致命的である以上そもそも戦いたくはない。


「お前でも手出しを躊躇うような奴っているのか?」


 仮想敵に聞くことではないが、勇気は尋ねていた。今のところ事情に詳しく、理性的に話せる相手が居ないのだから仕方がない。


「いやー、基本他の物とは関わりがないからね。皆好き勝手やってるし」


 とうとうデザートの杏仁豆腐に手を付け出したメメ子は気楽に答える。

 そして、少し考える仕草の後、


「あ」


 とても短く言葉を零した。


「どうした?」


「いやぁ、すっかり忘れてたこと思い出したんだよね」


 少しバツが悪そうに話すメメ子は、


「でも仕方ないと思わない? 八年も前に一回言われたことなんだよ。思い出しただけ偉いよね?」


「いいから内容を言え」


 せせこましい言い訳を並べていたので勇気は急かすように語尾に力を込める。

 話の流れからまったく関係のないことではないだろうと推測していたが、残念なことに八年前にこの地に立ち寄った履歴はない。だからどんな的外れなことを言うのか楽しみでもあった。

 そのため、予想だにしていない言葉を聞くまで馬鹿みたいに余裕綽々の表情でいることができた。

 言葉を選んでいたメメ子が言うのだ。


「お兄さんの子供が大きくなったっから会いに来なさいってさ」





 ……ん、んぅ?

 勇気はまず自分の耳を疑った。それから記憶を疑い、最後にはメメ子が正気かどうかを疑い心の平穏を保つ。

 ありえない、そう結論づける。確かに記憶に欠落しているところはあるが十年前もそれ以前、それ以降も恋仲になった人などいない。一時的な劣情は金で発散してきたし、何より今までの人生自分のことで精いっぱいだったのだ。そんなことをしている余裕などあるはずもない。

 嘘、冗談、戯言。言葉は何でもよくて、ただメメ子の発言を完全に否定するだけだった。


「子供なんぞ知らん」


「えー、さっちんかわいそう」


「……知り合いなのか?」


 勇気が尋ねると、こくりと首を前に倒すメメ子の姿があった。

 まさか本当なのか、と一瞬気持ちが揺らぎかけたが、心中で全力で頭を振る。

 これは一種の結婚詐欺に違いないのだ。なぜ自分が名指しされているかはさておき、子供が出来たといって様々な要求を飲ませようとしているのだろう。以前にも付き合いのある組の若頭が同じような目にあっていたからよくわかる。もっとも詐欺を働こうとしたその親子は竜宮城に行ったきり帰ってこないらしいが。

 いろいろと気になる点をすべて無視して、勇気はコップに口をつける。

 ずいぶんとぬるくなってしまった水を飲み干すと、


「で、その話がなんだって?」


「いや、そっちが聞いてきたんじゃん。私でも手出しできないような大物の話って」


 糾弾するような目で見つめるメメ子に、勇気は弱弱しくあぁと答えていた。

 ……いや、まさか。

 話を聞いて結びついてしまった発想を振り払う。そんなはずはない、と何度も何度も唱えてみても、積年の油汚れのようにこびりついて取れないものが膨らんでいく。

 他の解釈を試みても最期にはその結論に戻ってくる。自分で否定する材料を消していってしまい、


「……てことは、その手出しできない大物と俺が子供を作ったっていうのか?」


 思考を恐る恐る口に出す。


「そうだよ?」


 残念なことに望んだ答えは帰って来なかった。

 ……ふぅ。

 勇気はため息をついて脱力する。

 脳内では緊急対応に追われていた。内容が内容だけに知らなかったで通る話には思えない。また、メメ子の話しが本当だとすると八年という歳月を待たせていた事になる。これが薄汚い娼婦ならばどうとでもケリを付けられるが相手はかなりの有力者らしい。

 その事実に、明確なほど死期の臭いが近づいている気がして頭痛がするようだった。

 

「一席設けることは出来るか?」


 勇気はそういうしか出来ずにいた。

 何はともあれ会って話さなければ話しが進まない。そう考えていたのだが、メメ子は顔の前で大きくバッテンを作っていた。


「鈴音様に会う為には自分で道を探さないと駄目なの」


「……どうやってだ?」


 そう聞くと、メメ子はにっこりと笑っていた。

 その意図が分からず、しばらく彼女を見つめていた勇気は、あることを思い出して、


「……報酬かぁ」


「そゆこと。まぁ一回じゃ駄目だけどね」


「高嶺の花が過ぎるぞ……」


 そうぼやくのも無理がない。一回の報酬を得るためにあの性根の腐った試練を一度突破しなければならない。それを複数回、どう考えても命の数が足りないのだ。

 今からでもこの街に手を出すことを辞めようかと真剣に考慮したいがそうはいかないことを勇気は知っている。明確な理由も告げずに諦めたとなると、落ちた信用が真綿で首を絞める結果になる。

 結局はどうにかしなければならないようだ。もしかしたらこのしがらみをもっと簡単に解決出来る冴えたやり方があるのかもしれないが、錆びた頭では思いつかないのだから仕方がない。

 それにしても、


「鈴音様、ねぇ」


 その名前にピンとくる物がなく、未だに何処か狂言じみたものを勇気は感じていた。

 壮大なドッキリでも仕掛けられているかのようだが、そんなことをする理由も見当たらず一応は信じて行動するしかないように思われていた。

 全ての原因はその欠落している記憶にある。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、昔の自分は救いようのない馬鹿だったことに改めて気付かされて気分は憂鬱だった。

 というか、


「……十年前、俺は鈴音様とやらに会ってるんだよな? 試練を突破して」


「そうだよー。私ともその時会ってるしね。鈴音様を除けば一番長くいたんじゃないかな」


 メメ子はそう言って思い出に浸るように朗らかな瞳で見つめてくる。

 勇気はそんなことに構っている状況ではなかった。過去の自分に出来たのだからもう一度出来るかと問われれば否としか言いようがない。暗い展望に影を落とす他なかった。

 

 

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