第7話 美味しいチャーハン
心臓が破裂するのでは無いかというほど強く脈打つ。全身から冷たい汗が吹き出し震えを止めることが出来ない。
メメ子に見つめられてから、明確に死神の姿を感じていた。
どうやってかは分からないが、いとも簡単に死ぬ、それだけが明確だった。
だから勇気はゆっくりと息を吸い、
良かった……
気を許してはいけない存在であると訴えかけていた感性が正しいことに安堵していた。
この直感が鈍ればその時が死ぬ時。今までの人生がずっとそうだった、これからもそうだろう。
今回もただの死線に身を置いているだけ。そう考えると、自然と震えも落ち着いてくる、訳では無いが変に混乱することは無くなっていた。
元が小心だからしょうがないよな、と自分に言い訳をした勇気は、
「それで? 俺も殺すのか?」
精一杯の虚勢を張っていた。
今殺すことは無いだろうと半ば確信めいた想像はしていた。しかしそれはチャンスはいくらでもあったはずなのにそれを実行していないのだからと言う薄い根拠だけだった。
それにメメ子が殺人に対して理解し難いこだわりがあるように思えていた。頭がおかしいのは変わりないがより強い快楽の為、また平常と異常を区別するためそのような枷を自身に設ける事は珍しくない。本当に脈絡もなく殺人を犯す奴なんてクスリでラリってる奴くらいしか知らない。
全てが推測でしかないが、それでも勇気は不敵に見えるように笑う。狂った奴を前にして弱気になったら食い物にしてくださいと言っているに等しい。力も頭も足りない以上出来ることはまやかしを見せて煙に巻く以外ない。
勇気が反応をうかがっていると、メメ子はしばらく品定めをするように余すところなく勇気の全身を見つめていた。そして、大きく唾を飲み込むと、
「……あっ」
急に気の抜けた声を発したかと思うと、そそくさと席に戻る。
そして軽く指を鳴らすと、相変わらずのガラスの破砕音と共に世界に色が戻る。
一連の動作を終えたメメ子はわざとらしく大仰なため息を吐いて、
「危なかったー」
「……何が?」
拍子抜けするほど緊張感が薄れてしまい、勇気は呆れたように尋ねる。
その答えを聞く前に、テーブル脇に立つ人の姿があった。
「お待たせ致しました」
それは配膳してきた店員だった。
つい先程床に生首を転がしていたとは思えない、溌剌とした様子でテーブルに料理を並べていく。
一礼の後、女性店員はそそくさとその場を離れる。あまりに淀みない動きに、あの惨劇を知っているせいか違和感しか覚えない。
その後ろ姿を目で追っていると、
「いただきます」
視線とは違う方向から声がして、勇気は思わずそちらに目を向けた。
レンゲを手に持ち、その上に小籠包を乗せ割り箸でつつくメメ子の姿は年相応の女子高生に見える。おおよそその膂力だけで人の頭と身体を分離させることができるようには思えない。
上手く擬態してるな、という感想と共に勇気もレンゲを持つ。目の前の料理から立ち上る誘惑に逆らうことが出来ないでいたからだ。
米の山にレンゲを差し込むと、ある程度の塊が形を保ったまま掬いあげられる。流行りのパラパラとしたチャーハンではなく昔ながらの懐かしいしっとり系だ。
黄と茶、そして白。その間に大ぶりの緑が混じる。立ち上る湯気からして既に美味い。
口に運べばレンゲから零れ落ちた食材が舌の上で踊り出す。シャクシャクとしたレタスの食感が楽しくて、口の動きが止まらない。
強めに効いた黒胡椒がピリッと電流を流す。
あぁ、相変わらずだな……
決して上品な味では無いが、美味そうなものがちゃんと美味いと言うだけで口福だ。
正直食べる直前まで美味かった以外の詳細な味を忘れていたが、咀嚼するうちに味覚の記憶と共に懐かしさが溢れてくる。思いだされるのはいい事の方が少ないことは難点だが。
大きいお玉の形そのままに盛り付けされたチャーハンはみるみるうちにその姿を消していく。ものの五分も経たずに勇気は皿を空にして一息ついていた。
そのままなんとなく目線を泳がせていると、目の前で慎重に小籠包を食べようとするメメ子がいた。火傷でもしたのだろうか、中を割ってふうふうと熱を冷ます様子を見ながら、
「……そういえば何を焦っていたんだ?」
答えを聞いていなかった質問の続きを特に理由もなく始めていた。
その言葉にメメ子は一旦食事の手を休めて、
「ご飯来なくなるからだよ?」
「だからなんで?」
「だってリバースギャップに居たら向こうからは干渉、観測出来なくなっちゃうから。でも急に人が居なくなるわけないじゃん。そうすると世界の方が元から居ないって処理しちゃうんだよね」
またSFか、と思う勇気はふと昼間のことを思い返していた。最初にリバースなんたらに行った時、周りの視線が一切自分達に向いていなかったのだ。ただのおっさんなぞ見たくないという気持ちは分かるが、ハロウィンの仮装よろしく顔に包帯を巻いたメメ子が無視をされるのには、そういう理由があったのかとも思う。
いるけれど居ないものとして扱われる。なるほど確かにメメ子の焦る気持ちも分かる。二回も食いっぱぐれるのは勘弁したいだろう。
それにしてもと勇気が思うのはあの異様なまでの眠気だった。
仮眠にしては長すぎるほど寝てしまっていたことに今更ながら疑問を持つ。確かに職業柄夜遅くまで起きていることの方が多いがその分朝は遅い。現に今朝も日が充分高くなってからの和やかな起床だった。
とはいえ寝てしまったことは仕方がないし、それに対してメメ子が配慮してくれたことも事実だ。一人さっさと飯を食べ何処かに行ってしまっても良かったはずなのに、それをしないのはまだ用事があるからだとは思うがおかげで叩き起されて追い出されることなくこうして食事を取ることが出来たのは僥倖だ。
「ありがとな」
そんなことを考えているとつい口からそのまま言葉が出ていることに勇気は気づく。食事を再開していたメメ子は、大口で頬張った麺をいそいそと飲み込むと、
「えっ、何が?」
「そのリバースなんとかのおかげで飯が食えてるんだろ?」
メメ子はそれを聞くと、あぁと一度頷いて、
「まぁ半分は私のせいだし」
軽く白状していた。
勇気は眉間に皺を作ると、揶揄するような笑みを作って、
「訳わかんない空間で死ぬっていうストレスに試練突破でしょ。精神的に参っちゃうくらいしないと人間らしくなくて逆に怖いよ」
「試練?」
「自己増殖の奴ね。本当だったら無限に増えてく自分の中から本当の自分を探すって解決方法を取るのが正攻法なんだけど、まさか全員自分として扱うなんて思いもしなかったよ。アイデンティティ軽薄なんじゃないの?」
あっけらかんと言うメメ子を見て、勇気はただ黙る他なかった。
よく分からないうちに試練を受けさせられていて、よく分からないうちに突破していたらしい。その理不尽さに勇気は不愉快さとある種の諦観を持っていた。
「なぁ、その試練って奴は突破出来なかったらどうなるんだ?」
努めて興味が無い風を装って尋ねる。見た目はただの女子高生でも得体の知れない力の持ち主なのだ。どこで琴線に触れるか分からないためなるべく感情を顕にするのははばかられた。
それに対してメメ子はさも当たり前なことを聞かれたというように、麺をつまみ上げながら答えていた。
「そりゃあ死ぬよね。というか殺す。そのための試練だしそれ目的の私達だから」
そう言うと手のひらを開いて勇気に見せつける。
「五分かな。それ以上は自己が増えすぎて見込みなしって判断するよ」
メメ子の向ける悪意ない瞳には明確な傲慢さがあった。他者に対して決して対等では無い侮蔑めいたその態度に、何様と思うよりも納得してしまう。それは常日頃から顧客から向けられるものと瓜二つだったから。
その力の一端を経験した身としてはそれも仕方がないことと勇気には思っていた。常人はずれた怪力に誰にも見つからない移動法、そして不思議で理不尽な試練。悪用しようと思えばいくらでも自由に出来る、縛られるもののない化け物だ。
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