第5話 町中華『大華楼』

『大華楼』


 大仰な名前の割にこじんまりとした店内は、昼の一番混む時間帯を乗り越えたためか、人の姿はまばらにしかなかった。

 カウンター席と四人掛けのテーブルが四つ。さほど広くない店内は、お世辞にも清潔感があるとは言えず、良く言えば味のある町中華の様相を呈していた。

 壁一面にはメニューの札がかかっている。どれも油染みが出来ていてそれが歴史の深さを感じさせていた。

 勇気はテーブル席について卓上のメニュー表を見つめていた。本当ならカウンターでさっさと食事を終わらせるはずだったのに、


「女の子を連れ込むにしてはちょっと雰囲気ないんじゃないの?」


 向かいに図々しく座る少女のせいでそれも叶わない。


「……なんで付いてくる?」


「いや、まだ何にも伝えてないし」


 それはそうだが、と勇気は悩む。さっさと話しを聞くことが悪いとは言わないが先ほどから体のあちこちから疲労を訴える声が上がっていた。まだこの街に降り立ってから大した時間が経っていないというのに節々が熱を持ち、風邪の治りかけの時のようなだるさがある。

 年のせいか、とも思うがまだまだそんな年ではないだろうと思い直す。

 とにかくどこかでいったん仮眠でもしたい気分だった。こうして座っているだけでも瞼は重く垂れさがってくるようで、


「ご注文をうかがいます」


「レタスチャーハン」


「餡掛けラーメンと半チャー。小籠包と食後に杏仁豆腐で」


 ……ふぅ。

 注文を取った店員の女性が一礼すると、足早にその場を後にする。

 メメ子のオーダーに思うものはあったがそれについてとやかく言う元気がない。

 重症だな、と勇気は自己分析をする。まだ今日中にやらなければいけないことが多々あるのだ。こんなところでくたばっている場合ではない。

 そんな気力とは別で体のほうは正直だ。今すぐにでも堕ちそうになる意識をどうにかとどめながら勇気は肘のついた手で頭をかかえ、目を瞑る。

 ゆっくりと息を吸い、またゆっくりと吐く。脳内で生じた小さな渦が徐々に大きくなっていく様が、トイレの排水のようで意識が流れ落ちていくようだった。


「……お兄さん、眠いの?」


「あぁ」


 まどろみの中、メメ子の言葉を聞いてそう答える。それは質問の意味に対しての返答ではなく、ただ声が聞こえたから相槌を打っただけだった。

 せめて飯を食べるまでは、と思うのだが誘惑には抗いがたく、次第に景色がぼやけていく。


「……くそ」


 小さな悪足掻きとして悪態をつく。目の前が真っ暗になる前に見たのは、メメ子の温かい笑みだった。

 鈴の音が響く。




 畳の広がる和室に二人、男女が対面で座っている。

 女性は和服に身を包み、その視線は男性の膝あたりに向いている。

 ぴんと背筋を伸ばし正座をしている彼女とは違い、男性はただ胡坐をかいて腕を組んでいる。服装もくたびれたスーツで胸元が広く開いている。

 開かれた障子の奥には庭園が広がり、強い日差しの下、よく手入れされた木々がその生命力を誇示している。男性は一度そちらへ目を向けると、


「……しばらくかかるな」


「本当に行かれるのですか?」


 女性の声に、男性は短くあぁ、とだけ答える。

 そこで会話は終わり、小さな吐息だけが虚空に消えていく。

 どれほどの時間そうしていただろう、男性は急に立ち上がると、


「帰る」


 それだけ言って女性に背を向ける。

 その背を追うこともせず、女性は微動だにしないまま座っていることを選んだ。

 目に深い情を溜めながら。




「……ん」


 小さな声を漏らし、勇気は目を覚ます。

 夢で見ていた景色と現実がまだ曖昧で、状況をつかめずにいた。

 ただ憎たらしいほどの緑は目に焼き付いているのに、他がよく思い出せない。誰かと誰かがいた、それ以外霧がかかったかのように薄ぼんやりとしていた。

 数度の瞬きの後、勇気は机に伏せていることに気づき、体を起こす。周囲がやけに静かだな、と思いながら目を開けると目の前には少女の姿があった。

 ……メメ子、か。

 蠟人形のように色白く、また包帯で片目を隠している。なんでまたそんな恰好をしているのかと思い浮かんだ時、


「あ、起きた?」


「あ、あぁ」


 勇気に気づいたメメ子が声を出す。直前まで別の方向を見ていたようで、勇気もそちらを向くと一台のテレビが天井付近で映像を流していた。

 今どき珍しい白黒映像のようで周りに配慮しているのか音量はとても小さい。そんな状態では見ていて楽しいものでもないだろうと、視線を戻すとメメ子がじっと見つめている事に気づく。


「ねぇ、お腹空かない?」


「ん? ……あぁ」


 勇気がそう答えるや否やガラスが割れるような音が響く。直後に音が産まれ、

 ……さっきもあったな。

 変な感じだなと勇気が感じているとメメ子が店員に声を掛けていた。


「ご注文をうかがいます」


「餡掛けラーメンと半チャー。小籠包と食後に杏仁豆腐で」


「……レタスチャーハン」


 違和感が喉の手前までせり上がってくるが、どうにか飲み込んで勇気は答える。

 デジャブかとも思えるほど同じやり取りを思い出して時計を見ると、来店しただろう時間から既に三時間以上が経過していた。つまりそれほどの時間うたた寝していたことになるが、

 よく追い出されなかったな……

 ファミレスでもない個人経営のこじんまりした店で長時間居座っていたらいい迷惑なはずだ。それなのに店員が気にした様子もなくオーダーを取っていた。

 いくら客商売とはいえただの迷惑客に対して一切の感情を表に出さずに接客することは不可能だ。一応同業者である勇気にはそれが気になって仕方がなかった。

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