第4話 消えて現れて

 ガラスのようなものが砕け散る音が響き渡ると、景色に色が戻ってくる。

 不自然な静寂を裂いて音の奔流が耳を叩く。ただの環境音が工事現場にいるかのように感じられて勇気は思わず顔を顰める。

 あれはなんだったんだ?

 直前までの事を振り返りながら勇気は考える。

 あの場にいたのは確かに自分一人だった。そのはずなのに夥しい量の自分が重なって見えていた。それぞれが意志を持ち考え動く。さらにそれを俯瞰で見ている自分がいて、もう何が何だか分からない。

 そのあまりに現実味がない状況をくだらないと一蹴してたまたま手に持っていたもので原因と思われる場所に蓋をしてみたのだが、まさか全員が一斉に同じ動作をするとは思っても見なかった。

 夢だったのか、と判断するには手中にあるものが邪魔で、勇気は趣味の悪いストラップを眼前に掲げてみせた。


「綺麗でしょ。本物の私の眼なんだよ」


 突然背後からの声に勇気はゆっくりと振り返る。

 声の主は変わらずあの少女で、同じ服装でそこにいた。ただあの特徴的な包帯はなく、


「両目はあるみたいだが」


「リバースギャップで抉りとったからね。こっちだと元通りなのだ」


 よく分からないが胸を張る少女に、勇気はそうか、と答えて目玉を投げる。

 緩い放物線を描いて少女の手の中に収まったそれを見て、少女は頬を膨らませる。


「……戦利品としてあげたのに」


「要らん」


 少女の言うことがどうであれ、人の眼球を持ち歩く趣味は無い。いっその事いわく付きの品として好事家にでも売り払おうとも思ったが残念なことにツテがなかった。

 それよりも先程消えてしまったはずの少女が場所を変えてそこにいるということの方が気になる。手品と言うには大掛かりで、正に狐につままれた気分であった。

 きっと種も仕掛けも聞いたところで理解できないだろう。頭の悪さのせいで物事をシンプルにしか捉えられない事に、今は余計な混乱がなくていいと勇気は考えていた。

 ふと腕時計を見る。思いのほか時間が経過していることに気づき、


「おい」


「なに?」


「名前と連絡先を教えろ」


 勇気が必要としたのは繋ぎで、今はそれで十分だと考えていた。

 過去を知ることも興味はあるが、今の主目的はそれではない。その優先順位を違えることはできない。

 それを聞いた少女はあ、と小さくつぶやくと、


「ごめん、私両方持ってないんだ」


「はぁ?」


 少女の両手を合わせて腰を軽く曲げるその姿に、


「つまらない冗談はよせ」


「本当なんだってば。そもそもお兄さんよくわかってないのに話進めようとするからこうなってるんじゃん」


 少女は強い非難の目で勇気を見つめていた。

 彼女の言うことは一部で確かに正しいが、勇気にとって大事なことではなかった。本人としてはここまで紳士な対応を見せているだけ誠意のある行動をしている自負があった。でなければ妄言を無視して既にどこかへ行ってしまっていただろう。

 今だってそうだ。今どき携帯を持たない学生がいることは非常に珍しい。珍しいだけであって居ない訳では無いが、


「名前がないわけないだろう」


 勇気は諭すように言うが、少女は首を横に振るだけだった。

 そんなことは有り得ない。ただ隠しているならばともかく、名前が無いでその年まで生きていくことは不可能なはずだ。

 それでも少女ははっきりと否定をしている。その動作に躊躇いは無い。

 どこかの野生児と言うには服装が文明に侵されている。単純に嘘をついていると切り捨てられれば楽なのだろうが、少女の目を見た勇気はその判断を下せずにいた。

 眉間に皺を寄せ、目を細める。

 厄介だな、と思いつつ少女を眺める。先程までの真っ白い肌とは違い、血色の戻った頬から鎖骨へと視線が流れていく。控えめな胸の真ん中をショルダーバッグのストラップが通っていて、その先にはゴテゴテに缶バッチのついたバッグがある。

 うわっ、と勇気が思ったのはその大小様々ないくつもの缶バッチが全て目玉の模様だったことだ。仮に流行っているにしても、知らない人からしたらおぞましいものを見た気分になるのは間違いない。

 それほどまでに目に何かあるのだろうか。ならばと勇気は視線を戻して言う。


「メメ子」


「はい?」


「名前だよ、名前。ないんだったらそんなもんでいいだろ」


 酷く投げやりな言葉を、少女は数回復唱すると、


「メメ子、かぁ……センスなくない?」


「知るかよ」


 小悪魔のような笑みを浮かべる少女から目を逸らして、勇気は吐き捨てる。

 センス云々で言うならばお前にだけは言われたくないと思い浮かぶが、言ったところでなにになる訳でもないと諦める。

 それにしても、と勇気は腹を押さえる。

 何か口に入れるつもりだったところに水を差されたのだ。それを思い出してしまったがために、眠っていた腹の虫が訴えを起こしていた。

 それが予想以上に機嫌が悪かったらしく、かなりの音量が響く。

 勇気は当然として、正面にいた少女にも聞こえたのだろう、その音の発生源を凝視すると、くすっと笑い、


「かっわいいー」


「言ってろ」


 短い言葉だけ残して、勇気は少女から距離を取る。

 その様子をにやつきながらただ眺めていた少女は、勇気が人ごみに紛れてしまうのを確認すると、慌ててその背を追いかけていた。

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