第10話 交流と対立
鳥の鳴く声と共に召し仕い達が起きてきた。繁栄の街ラコテーのスラム街は多くの動物も飼っているようで、野放しにされた豚や鶏、牛等も路上生活を満喫している。そのおかげで多少ゴミは少ないが、それでも小汚なさは残っている。
夜通し起きていたため鬱状態に近い感覚が私を襲う。だが、それに耐えながら麦粥とパンを用意して皆と共に朝食を取った。朝食中に、通りかかった聖職者に文句を言われた。聖教では朝食を取る行為は禁止であり、それを破った場合は地獄に堕ちる。だが、自分に金を払えば免罪されると、その聖職者は言ってきた。鬱状態に近かった私は、大声で喋り散らす聖職者に腹が立った。
それに、この時間に聖職者がスラム街を彷徨くのは怪しかったため、私はスラム街に神も地獄もないと言って、その聖職者を縛り上げた。縛り上げたまま、少し離れた路上に放置しただけだ。運が良ければ優しい信徒が縄をほどいてくれるだろう。運が悪ければ雑食の豚の餌か、身ぐるみ剥がされて殺されるかだ。彼が豚に食われる様を想像すると、私の鬱状態も多少はよくなった。
朝から刺激的な体験をした後、昼時まで待ってスラム街のお頭に会いに行った。召し仕い達にはお小遣いを渡して、繁栄の街の方へ遊びに行かせた。門番に教えられた場所へ行くと、髑髏と剣の印が書かれた建物に2人の大男が立っていた。筋肉ではち切れんばかりの鎖帷子を着込み、両手で斧を抱えて立っている姿は威圧感しかない。私は嫌々彼らの前に立った。
「ご用件は?」
低音の響く声で聞かれ、更に嫌な感じがして帰りたくなるが、それに負けずに木製の首飾りを見せ、護衛兵から貰った羊皮紙を渡す。羊皮紙を受け取った大男は扉をノックすると隙間から中の人間に手渡した。おそらく、お頭に渡しにいったのだろう。二人の大男はずっと私を見ている。男達との会話もなく時間が過ぎていき、早くこの気まずい空気から抜け出したいという考えしかない。
数分の後、扉の内側からノックの音が5回聞こえ、私は大男に建物へ入るよううながされた。建物に入るとまず内装に目を牽かれた。暗く寂れた外装と違って明るく色彩溢れる豪華絢爛な内装だ。内部はレンガ造りとなっており、多くの扉が蝋燭の灯りで照らされている。床には異国の絨毯が長々と敷かれ、壁には写実的な絵画が並び、所々にある机に装飾のついた花瓶や水瓶が置かれている。そして、この豪勢な空間の中心に背の高い男が立っている。その男は優男のようであるが、その目は焦点が合っておらず、よく見ると不気味だ。そのような感想を抱いた時、目の前の男は口を開いた。
「ハイエナ様でございますね。ハシャ様がお待ちです。こちらへどうぞ。」
一つ一つの動作に気品がある。彼は前方の扉の前まで行くと、ゆっくりと扉を開いて私に部屋へ入るよう促す。彼の指示に従い、部屋へ入った。部屋には高そうな宝石や剣が美しい棚に飾られている。真ん中には大理石の机と複数の椅子が置かれている。そして、その椅子には一人の男が偉そうに座っている。
「ようこそ、我が家へ。私はここの主、名前はハシャだ。エートルのハイエナ殿、歓迎する。」
ハシャと名乗った男は笑みを浮かべ、椅子から立ち上がると私に近寄ってきた。私にはその笑みをよく知っている。企業の悪徳セールスマン達がよくしている笑みだ。この世界で言うなら商人ギルドの大商人達だろう。
「ありがとうございます。ハシャ様、光栄です。」
私は深々と一礼し、彼の表情を伺う。私の予想と違い、彼の笑みは怪訝な顔に変わった。
「あー、堅苦しいのはいい。私はあまり社交的な人間ではない。そのような礼儀はいらん。」
「それは失礼しました。」
「構わん。それに今日は交渉のために会っているのでは無いのだからな、ただの交流だ。まあ、座れ。」
彼に促され、私は大理石の椅子に座る。先ほどの男がワインをつぎ、私の前に置く。ハシャはただの交流と言ったが、スラムでの商売の取り決めをするのだから交渉になるだろう。何を考えているのだろうか。
「さて...お前はスラムで商売をしたい。それには、俺の許可がいるからここに来たというわけだ。」
「その通りです。」
「スラムで商売をする場合、普通は俺の許可がいる。そして、売上に応じた上納金も必要だ...それはそうと、昨日は儲けたそうじゃないか。俺もお前の武器を買ったんだぜ。」
彼は立ち上があり、近くの箱から長剣を取り出す。それには見覚えがあった。昨日、ボロを纏った老人に売った剣だ。私が高値吹っ掛けると浮浪者の身なりからは想像できない金額を渡して買い取った。それに、その長剣は私の持ってきた武器の中でもとびきりの目玉商品だったため、よく覚えている。その老人は彼の部下だったようだ。
「この剣は素晴らしい。めったに見ない質だ。この剣身から見て、これは山の民が作ったものだな。」
「山の民?」
「あー、そういうのはいい。ここらで山の民がいるのはラリカだ。そこの山の民が作ったんだろう? ラリカから武器を運び、人の多いラコテーで売る。良い交易だな。」
彼の予想は当たっている。中々の情報通だ。色々知っているのだろう。
「さて、本題だ。お前にはスラム街への通行税免除と無制限の立ち入りを与えよう。加えて、上納金も支払わなくて良い。つまり、自由に商売する権利を与える。」
「は?」
ハシャはやや早口でとんでもない事を言った。税と上納金の免除はとてつもない権利だ。彼の組織に余程の利益をもたらさない限り、そんな権利をくれるはずがない。この男は狂ってしまったのだろうか。
「何を!?」
「ははっ、驚いただろう。普通は新参者にここまでの待遇を用意しない。そんな事をすれば、利益は得られないし、内部の反発も多少ある。」
彼は人をからかう様子で嬉しそうにしていた。手に持っているワインを一気に飲み干し、話を続ける。
「ここまでお前を優遇するのには理由がある。結論から言うと、お前にスラムで武器を売りまくって欲しいからだ。」
「それはまたなぜでしょうか?」
「俺達の組織は異国から手に入れた奴隷による人材派遣で財を成している。いわゆる奴隷販売ってやつだな。このスラムでは一応俺達の組織が天下を取っているが、それでも巨大な組織は十分残っている。」
「お前がそいつらに武器を売る事で争いが起こる。すると、大勢の死人が出る。そこに俺達が奴隷戦力を売り込むって寸法だ。そして、俺達はもっと金を稼ぐ。つまり、お前と俺の共同戦線って事だ。」
「なるほど...」
「なあ、分かるだろ? 俺にはお前が必要なんだ。ラリカから高品質な武器を手に入れられるのはお前だけ、他にそんな奴はいない。大金を稼ぐ良い機会だ。」
私は黙ったままだ。目の前の策略家きどりの男は再び笑みを浮かべてこちらを見ている。私の返答を待つ彼に答えなければならない。
「取引成立だ。よろしくお願いします。」
「ああ、お前なら必ずそう言うと思った。これからは対等な関係だ。よろしくな。」
私とハシャは互いの手を強く握りしめ、今後のより良い利益を願った。
ハシャとの交流から数日経った。様々な情報を手に入れるため、スラムだけでなく繁栄の街でも情報収集を行った。そのために商人ギルドにも登録し、宿舎を借りれるようにした。表向きは平凡な行商人という事になっている。
私の予想より遥かに良い結果と利益を得る事ができた。エートルで商売が失敗した時はどうなる事かと思ったが、私は負けず金と人脈を手に入れた。これほど、嬉しい事はない。だが、一つだけ心残りな事がある。それはかつての私の故郷、そこの邪悪な商人達と同じになってしまった事だ。生きるためとは言え、ずっと蔑んできた奴らと同じになる事は何かと心に負担がくる。だが、その考えも一眠りする頃には、忘れているだろう。
召し仕い達と共にラコテーの街を離れた。銀貨が多少減ったが、金がいっぱいの袋と多数の食料を2つの馬車に積み込み、エートルの街へと帰っている。その間に荷台で仮眠を取っている。行きも仮眠、帰りも仮眠と寝てばかりだ。視界がぼやけ、頭の奥から嫌な考えばかりが出てくる。寝たいはずなのに、眠りにつく事ができず頭がどうにかなりそうだ。眠れと念じながら荷台で虫のサナギのようにうずくまった。
「さあ、1人銀貨3枚ずつ取ってくれ。」
「ありがとうございます、ハイエナさん。」
エートルに着くと召し仕い達に給料を支払った。それと、スラムの護衛兵達には肉と酒をたっぷりと奢った。私は一応反対したが、ハシャは最近八層のだからと護衛を何人かつけた。おそらく、監視のためでもあるだろうが、実際役に立ってくれた。
エートルに帰る途中で農民に襲われた。たぶん、行きの時に襲撃してきた盗賊団の生き残りだろう。その時とは違って農民達は怯えた表情で突撃してきた。まるで後がないような、崖に追い詰められた獣のような感じだった。だが、全員スラムの護衛兵達に殺された。
盗賊に襲撃された際に馬車の一つが壊れてしまった。被害は脱輪だったため応急処置で何とかなったが、点検も含めてエートルで修理に出した。修理に数十分かかるため、孤児院へ顔を出す事にした。
「あっ、お兄ちゃん。お帰り~。」
孤児院に着くと、子供達が元気に迎えてくれた。小さく健気な子供達を見ていると、自然と心が癒される。
「ただいま、院長はいるかい?」
「うん...あのね、院長最近はお昼にも起きてるの。ほとんど寝てないんだ。」
「いつから?」
「お兄ちゃんがいなくなってから数日間。」
私は急いで孤児院内へ入り、院長の部屋へと向かった。扉を開けると、ラーサ院長はベッドの上に静かに座っていた。
「ああハイエナ君、お帰りなさい。」
「ただいま戻りました。」
彼女は前より痩せていた。元々細かった腕はさらに細くなり、顔も生気がない。はっきりいって病人みたいだ。
「院長!? こんなに痩せて、休んでいないのですか?」
「休んでいないのは貴方も同じでしょう? ここ数日間、孤児院に戻りませんでしたね。私だって何も知らない訳ではないのです。貴方が武器を売っている事は知っています。」
彼女はその身体からは信じられない程の力強い声でそう言った。そして、私が武器を売っている事も知っていた。どこでその事を知ったのだろうか、それを知る由もない。いや、私には分かるはずだ。あの男から、私から武器を奪った男から聞いたのだ。奴と寝ている時に...そうに違いない。
「私は貴方を心配しているのです。貴方が危険な事をしているのではないかと、命を落としてしまうのではないかと思っているのです。」
「お気持ちは有難いのですが、余計なお節介です。自分の身は自分で守れますし、商売だって成功している。その商売も貴女達を助けるためにしている事です。」
「私はそんなもので助けられたくありません。そんな事を続けていれば、いつか悲惨な目に会いますよ。それに、貴方は卑しい者となりたいのですか?」
私は院長の言葉に一瞬理性が飛んだ。疲れていたのもあるが、自分を否定された気になって感情を制御できなかった。
「私が卑しいとそう言うのですか...なら、貴女は卑しい娼婦だ!! 汚ならしい女だ!!」
「どうしてその事を...知っているのですか。」
私はラーサ院長の泣きそうな顔で我に帰った。私は彼女に何と言ったのだろうか。卑しい娼婦と、汚ならしい女と思っていないはずの言葉を投げつけてしまった。ついには彼女の目に涙が溜まり、それは下へと流れていく。私はそれを見て黙っているしかなかった。
「ごめんなさい...ごめんなさい。やっぱり私がいう資格はないわよね。でも、これだけはわかってほしいの。私やマカちゃん、子供達は貴方を心配している。どうか危ない事はしないで。」
私は耐えられず、院長の部屋から出た。これ以上恩人の悲しむ姿を見る事はできない。扉を開き、孤児院から外へ出ると、マカが悲しそうな顔でたっていた。
「やあ、マカ久しぶり。」
「...」
「マカ?」
彼はひたすら黙ったままこちらを見ている。私は察する。色々と配慮が足りなかったようだ。
「まさか、院長との会話全部聞いてたのか?」
彼はうなずく。何と言う事だろう。彼と子供達にバレないようにしたはずなのに、私は間違えてしまった。
「裏に行かないか?」
私はマカに弩の射撃練習を施していた。マカには素質がある。十回撃って十回印に命中している。その内八発は印の中心に刺さった。私がいなくなってから自主的に練習していたらしい。そして、再装填にも慣れたようだ。よく見れば腕の筋肉が前よりついている。彼は意外と努力家なようだ。
「...」
彼は黙々と練習を続けている。私はどのように声をかけるべきか悩んでいた。数多くの言葉が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消える。
「マカ、すまない。」
「どうして謝るの?」
「それは、私のせいで院長の話を...」
「薄々気づいてたから...別にいい。それよりも何で危ない事をしてるの?」
「それは。」
「お金のため? 僕達のため? 」
「いや、それは...」
それ以上、彼に何も言えなかった。言えるはずもなかった。だが、言おうが言うまいが意味のない事だ。
「ハイエナは僕にこれを教えてくれた。武力を教えてくれた。前言ったよね? これは使い方次第で人を殺さなくて済むって...」
「でも、たぶんそれは無理だよ...僕ね、昨日森に入ったんだ。そこで兎を取ってきて皆で食べた。」
「これから毎日兎を狩る。ねえ、僕と一緒に狩人になろう。そうすれば食料に困らないし、ハイエナが危ない事をしなくても生活できる。」
「それはそうだが...」
彼の意見は最もだ。もっと安全な職はある。始めは辛いかもしれないが、慣れていけば問題はなくなるだろう。だが、もっと別の問題がある。
「例え狩人になったとして、この地の領主が決まったら密猟者は排除される。農業をしようにも土地がない。土地を見つけても盗賊に殺される。知識がないから職人にはなれない。なら残るは商人だ。商人をする場合、皆がやってる事で商売しても儲からない。なら答えは1つだろう?」
私は話を切り上げて召し仕い達のところへ戻ろうとする。
「ハイエナ!」
「マカ、院長の世話を頼む。それと、夜は出歩かすな。後から孤児院に金と食料を運んでおく。」
「ハイエナ! 待ってよ。」
私は急ぎ足で次の仕事へ向かう。早くラリカへたどり着き、生産者と管理人への賄賂と次の商品を仕入れなければならない。後ろから聞こえる声を振り払うため走った。
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