第9話 繁栄の街とスラム街

 私は夢を見ている。夢を見ている間、夢だと理解できる時とできない時があるが、これは夢だと理解できる。それも思い出に基づいた夢だ。


 迫撃砲が発射される音と爆発音、装甲車の走行音が聞こえる。軍用輸送車の中で、迷彩服に包まれた表情の乏しい男達と共に静かに座っている。ただ虚空を見つめる者、弾倉に弾を詰め込む者、十字架を握りしめる者と様々な人間がいる。いつもと違って下品な会話が飛び交う事はなく、楽しそうな顔ではない。今回の戦いで何人が生き残れるだろうか。


 私は彼らを見つめる。1人の戦友と目があった。彼は不安そうな表情をしている。


「草薙さん、生きて帰れるかな?」


「これやるよ。」


 私は彼にチョコレートを渡す。もう本国では売られていない。企業の利益のために値段が高くなり、減量されて売れなくなった商品の1つだ。


「懐かしい...子供の頃、よく食べてました。」


「ああ、それ旨いよな。」


「ええ、でも...こんな物にまで企業の思想が蔓延している。」


「そうだな...」


 私は彼に何も言ってやれなかった。それに、そのチョコレートと私達が同じものに見えた。そっちの方に意識が向いた。どちらも企業の商品として売られ、使い潰される。違うのは、私達は最初望んでここに来たという事だ。だから、どうしようもない。


 凄まじい轟音と共に輸送車が激しく揺れる。周囲警戒のため歩兵は前進せよと無線から指示された。後部の重厚な扉が開き始め、薄暗い車内に光が差し込む。私達はその光へ前進した。







「ハイエナ、もうすぐ着くぞ。」


 隊商の護衛兵に夢から起こされた。どうやら、うたた寝をしていたようだ。夜が明け、野営地を出発した隊商と私達はエリン領内へ入っている。今は昼前ぐらいだろう。夜番をしていた私は眠気のあまり荷台で仮眠といえないほど寝てしまった。


「ん、眠い...」


「そうだろうな。昨日は色々助かったぜ。これお礼だ。」


 彼は笑顔と共に小袋を1つ渡してきた。中に食料でも入っているのだろうか。


「お菓子だ。旨いぞ。」


「ありがとうごさいます。いただきま...」


 私は絶句した。彼に対する礼の言葉が出てこなかった。いやむしろ侮辱の言葉が出てきたが、何とか飲み込んだ。中を確認すると、袋は羽アリのような虫でいっぱいだ。一応食用虫は食べられるとはいえ、好んで食べたいとは思わない。だが隣の護衛兵は、袋から取り出した虫を美味しそうに頬張っている。彼は青ざめた私に気付き、心配そうな顔をした。


「どうした、もしかして苦手だったか?」


「いえ、美味しそうだ...」


 申し訳なさそうに心配する彼のために、袋から羽アリを1掴み取り、口の中に放り込んだ。見た目に反して味は良く、ほどよい甘酸っぱさが口の中に広がる。意外な食を楽しんだ後、護衛兵の方を見ると分かりやすく笑顔になっていた。


「良い食いっぷりだ。俺達が子供の頃は、この虫をよく食べていてな。思い出の食い物なんだ。だから、そうやって美味しそうに食べてくれるのは嬉しい。」


 彼は嬉しそうに、たがどこか感傷に浸るような声と表情で語ってくれた。この隊商の護衛兵達は全員幼なじみらしい。村の全員で旅に出て、ここに落ち着いた。


「短い間だが、お前は俺達に酒や食い物をくれたり一緒に戦った。だから、その羽アリとこれをやる。」


 彼は私に羊皮紙を手渡した。羊皮紙には私の知らない文字と髑髏と剣の印が書かれている。


「今日は駄目だ。明日、ラコテーのスラム街のお頭に会え。これを見せれば会ってもらえる。」


「私はスラム街では商売しませんよ。これは必要ない。」


「いや、必要だ。あの街は商人ギルドが支配している。俺達の雇い主だ。奴等は新参者の商人に容赦しない。命の危険もある。だが、スラム街ならそこのお頭に気に入られれば、安全に莫大な儲けを出せる。」


 商人ギルドとスラム街、そしてお頭ときた。どうやらラコテーの街でも楽に商売できそうにないかもしれない。私も商人ギルドの悪い噂は聞いている。ギルドに所属しない商人や金を納めない商人の店に嫌がらせをして退去させたり、時には力づくで排除する。ギルドに所属するためには登録料と毎月の上納金が必要だ。私も好んでそんな奴らに目をつけられたくはない。ここは彼の忠告を素直に聞くとしよう。


 エートルの街ではごろつきに商品を奪われたし、ラコテーの街でもそうならないとは限らない。しかもスラム街で商売するとなると不安しかない。


「見えてきた、ラコテーの街だ!」


 誰かが叫ぶ。私も言われた方を見ると、巨大な街が見えた。海に面した港街には数多くの船が停泊している。街は高い壁に守られ、門の前には多くの行商人が店を開いている。


「どうやら着いたようだな。楽しかったぜハイエナ。」


「ええ、私もです。また、会いましょう。」


 私は護衛兵と別れの挨拶をして、期待と不安を抱えながら街へ入った。







 ラコテーの街には問題なく入れた。荷物の検査や通行税、賄賂は必要はなかった。エートルと同じく、エリンには領主がいないため、税の必要がない。商人ギルドが税を取るのかと思っていた。きっと別の収入があるのだろう。


 大通りへ進むと、街中には多くの人と物が溢れていた。立ち並ぶ露店や店舗には、野菜や果物、肉などの生活必需品以外にも、異国の物の織り物や器、装飾品等の珍しい商品が売られている。それ以上に驚いたのが、道が非常に清潔である事だ。2階の窓から汚物が降ってきたり、豚が通りで放し飼いされていると思っていたのだ。実際エートルでは一度だけ服が茶色くなった事がある。商人ギルドが管理しているのだろうか。だとしたら大したものだと思う。


「こりゃすごい、エートルやラリカの街とは全然違いますね。」


「あれは何でしょうか? ハイエナ様知ってます?」


 召し仕い達は豊かで清潔なラコテーに驚くと同時に、様々なものを楽しそうに見物している。ラリカから出た事のない彼らからして見れば、この大げさな反応も無理はない。私も久しぶりに活気があって、人の多い所にいる。あの世界以来、こういう経験はしてなかった。


 ただ、一つ気になる事がある。それは、衛兵の人数と商店の販売物だ。街のいたるところを衛兵が警備しており、街中で衛兵を見かけない事はない。これだけの衛兵を雇うのは、かなりの額になるだろし、この平和な街にそれだけの武力が必要か疑問だ。もしかすると、荷物検査がない事と関係しているのかもしれない。


「すいません、スラム街はどこにありますか?」


「あんた、あそこに用があるのかい? 止めといた方がいいよ。」


「大丈夫ですよ。それに行かなければならない理由がありますから...」


「そうかい? それなら...」


 近くの露店の店主にスラム街の位置を教えてもらった。そのついでに、スラム街の成り立ちも教えてくれた。


 この街は帝国最初期の頃から存在する歴史ある街であり、今日まで敵に攻められた事はないという。しかし内乱はあった。帝国末期に、ある商人が金の力で統治官を買収し街を意のままにした。その商人は経済的な能力は高かったが、政治的な能力はゴミに等しかったため、度々問題が起こった。利害関係の対立は物理的な分断を生み出し、街は二つに別れた。商人は金で武力を集め、もう一方の街を破壊した。街は荒れ果て、治安は悪化した。


 商人が原因不明の事故で死んでも街は一つにならなかった。確執は続き、破壊された街はスラム街となった。







 店主にお礼を言った後、私は召し仕いと共にスラム街へ向かった。教えてもらった道を進んでいくと、木造の壁が見えた。その壁はあまり立派なものとは言えず、まるで街を分断するように作られている。私は壁の真ん中に雑につくられた扉に近づき、十回以上ノックした。


「ようこそ、スラムへ。まずは、お気持ちをお願いします。」


 扉の向こう側から掠れた声で通行税を求められた。金のない私としては無理な話だ。物資でどうにかできないだろうか。


「すまないが、持ち合わせがない。食料でどうだ?」


「申し訳ありません。食料以外のもの、金品でお願いします。」


 あっさりと断られた。意外と丁寧な口調に少し困惑する。スラム街の門番であるぐらいだから、粗暴な者を想像していた。


「では、武器でどうでしょうか? それも高品質の武器を...」


「拝見しましょう。」


 扉が開き、武器を持った男が数人出てきた。街の衛兵とは違い、防具は身につけておらず、武器も貧相な槍だ。


「これです。」


 私は長剣を取り出し、彼らの1人に渡す。目の前の男は剣を受け取るとそれを品定めしていた。


「おお、素晴らしい剣だ。売れば相当の価値になる...では、名前と目的をお願いします。」


「通行税を払えば目的は聞かないものでしょう?」


「念のためです。スラムの衛兵は些細な問題や個人にあまり介入しませんが、情報を押さえておく事はしなければなりません。ご協力をお願いします。」


「名前はハイエナ、ここに来た目的は商売のためです。」


「ハイエナ様、武器の商売とはまた物騒ですな。まあ、スラム街は貴方を歓迎いたします。くれぐれも背中と頭上にお気を付けください。」


 彼は歓迎の言葉とともに一礼した。ますますスラム味がなくなる門番だと思った。果たしてスラムの門番がこのような礼節ある人間でいいのだろうか。


「それと...普段なら商売する場合はお頭と会っていただくのですが、今は面会できません。もし今日商売をなさるならこれをお持ちください。」


 門番は木製の首飾りを差し出した。私はそれを受け取り、首につけた。


「それは許可証のようなものです。それではハイエナ様、スラムにおけるより良い経済活動を期待しております。」







 武器や防具を売るのは難しいと思われるかもしれないが、そんな事はない。武器を欲している人間は意外と見つけやすい。私はスラムに入った後、すぐに商売を始めた。無口な巨漢、独り言の激しい女性、常に怒っている老人、目の死んだ子供達等の多くの人間に声をかけた。スラムには意外と人が多くいたため、数を売るには困らなかった。客の中でも特に金を持っていたのが、徒労を組む男達だ。彼らは地球でいうところのギャングやヤクザのような連中で、一介の商人相手にもちゃんと金を払ってくれる。エートルのごろつきとは、えらい違いだ。


「ハイエナさん、本当にこれを着るんですか? 私達は戦えませんよ。」


「それを着て立ってるだけでいいんです。危なくなったら捨てて逃げてください。」


 私は召し仕い達に、エリンの道中で手に入れた盗賊の鎧を着せている。鉄で補強された鎖帷子と表情の見えない兜、質のいい武器は威圧感たっぷりで一定の抑止力となる。彼らは立っているだけで問題を起こさせない力を持っているのだ。







 日は落ち、空には月が出ている。私は小汚ない通りの中心に、両手で麻袋を持ち、それを見つめて立っていた。袋の中には、銅貨や銀貨が入っている。それらよりも数少ないが金貨まで手に入れた。はっきり言って大儲けだ。スラムは武器需要が高い割に供給先が少なく、ごろつきや犯罪者集団は常に武器を求めている。違法な事に手を染める彼らは金を持っていた。そして私は大量の武器と防具を持ち、金を欲している。まさに、需要と供給が一致した瞬間だ。


「大金ですな。」


「そうですね。エートルで分配しますからね。今は、宿を見つけないといけない。」


 私は召し仕い達と共にスラムで宿を探そうとしたが、中々見つかるものではなかった。仕方なく街中で開けた場所を探し、そこで野宿した。綺麗な方の宿屋に戻っても、もう空いてはいないだろう。ギルドに登録していないため、行商人専用の宿にも泊まれない。


 大金を持っていると、近くを通りかかる人間が怪しいと感じるようになる。民家から食料を買って皆で食事を取った後、私は見張りをしていた。2日続けての夜番は慣れていないと辛いものがある。召し仕い達は1人を残して皆寝てしまった。気楽なものだ。門番に許可証をもらったとはいえ、明確な保護はない。もしかすると、気づいたら殺されていたという結果もある。または殺された事も分からずに、裸で道端に放置されるかもしれない。


 小汚ないスラムではあるが、不思議と死体はなかった。そのかわりスラムの露店で謎の肉が売られている。殺された場合はリサイクルされるのだ。形あるものいつかは壊れ、土へ還るというが、ここでは人の糞となる過程を挟んで土へ還るようだ。そらを考えると気分が悪くなったため、別の事を考える。


 マカや院長、孤児院の子供達は元気だろうか。ここ数日会っていないため心配だ。マカには弩の装填方法を教えたが、射撃の訓練はしていないため、帰ってから彼に教えないといけない。途中でたくさん食べ物を買って帰ろう。きっと皆喜ぶ。私が手にした金でようやく貧困から抜け出せる。







 私は警戒を怠らなかった。このように襲撃に警戒して夜も眠れず起きておくのは、いつ以来の事だろうか。あの時はまだ戦場に出たばかりで、睡魔に負けて寝ていたところを上官に叩かれて罰を食らった。ポンチョの中で白米を食べ、交代の時間となり睡眠できる時も半分起きている状態で寝ていた。あの時が何もかも懐かしい。上官の名前は確か。


「あれ、誰だったけ?」


 私は記憶の中から必死に思い出そうとする。だが、思い出せない。いつもの悪い癖だろう。どうでもいい事は覚えてる癖に、大事な事は忘れてしまう。癖というものは中々治らないものだ。


「あの人は確か...佐藤、そう...佐藤のおっちゃんだ。」


 しばらく考えに考え、やっと答えを出せた。苦戦はしたが悪癖に打ち勝つ事ができた。だが、私は佐藤という人物の名前は思い出せても具体的な姿は思い出せない。佐藤の他にもう一つ思い出せない事がある。私がチョコレートをあげた人物、私の後輩、私の親友であるはずの彼の名前すら思い出せない。私は夜のスラム街で周囲を警戒しながら、ずっと彼の名前を思い出そうとしていた。

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