第6話 覚悟と報酬

 食堂に肉と卵の焼ける匂いが充満する。眠る事が出来なかったため、私はいつもより早めに朝食を作っていた。目玉焼きにするか炒り卵にするか迷ったが、水がもったいないため炒り卵にした。


 できあがった朝食を机に並べ、私は外に出る準備をした。自分の服の汚れを落とし、靴を綺麗にする。髪を整え、爪楊枝と布で歯を磨いた。愛用の鞄に1枚の銀貨と1つのパン、酒の入った革袋を入れる。ベッドの下から剣を取り、鞄のお近くに置いた。準備は万端だ。


「おはよう、早いね今日は...」


 振り向くとそこにはマカが立っていた。どうやら物音と朝食の匂いで起きてきたようだ。


「おはよう、すまない、起こしてしまって」


「いいよ...どこか出掛けるの?」


「ちょっとな、もしかしたら今日も遅くなるかもしれん。ここに銀貨3枚置いとくぞ。」


「そう。」


 彼はどこか寂しそうに言った。昨日はマカや子供達の相手をしなかったが、それくらいで心配になるような奴ではないと思う。おそらくは問題ないだろう。


「マカさ、ちょっと用があるんだけどいいかな。」


「え?」


 私は弩を持ち、マカを外に連れ出した。向かったのは孤児院の裏手の家庭菜園だ。私は持ってきた弩をマカに渡し、10メートルほど離れた木に短剣で円い印をつけた。


「マカ、お前にそれをやる。」


「やるって、武器じゃないか。こんなの使った事ないよ。」


 彼は困惑した様子で私と弩を交互に見た。無理もない、朝早くに友人から裏手に誘われ、人を殺すための武器を渡されれば誰だって混乱する。だが、それこそ私の狙いだ。朝は思考力が低下する。


「簡単だ。引き金を引けばいい。引くだけだから弓と違って放つのに力がいらない。見てろ。」


 私は彼から弩を取ると、足で押さえながら目一杯の力で弦を引き、矢を装填する。弩を持ち、左足の外側が印と向かい合うようにして、肩幅ほど足を開く。腰をつき出して左の肘を腰につけて弩を構える。ストックに頬をつけ息を吐き、印に狙いをつけて引き金を絞る。


 照門の中心に印がきた時、引き金を引いた。放たれた矢は吸い込まれるように印へ向かい、印の中心に突き刺さった。


「こんな感じだ。まあ、装填するのはかなり厳しいと思うが、そこは鍛練してくれ。」


 私はマカに弩を返し、彼に装填の仕方を教えようとした。


「どうして急にこんな物を渡すの?」


「こんな世の中だと出会う人間は善人ばかりじゃない。中には悪人もいるし、もしかすると悪人の方が多いかもしれない。だから、私はマカに自衛できるようになってもらいたいんだ。」


 彼はうつむいたまま、こちらを見ようとしない。固まったまま、ただ手の中の弩を見ている。


「僕が人を殺した時、責任取れる?」


「わからない。でも、人を殺さなければいいだけさ。その弩を向ける相手は動物でもいい。そうすれば罪悪感は感じないかもしれないし、食卓には肉が並ぶことになる。人を殺さなくても脅せばいいんだ。私はいつでもお前を殺せるぞと教えてやる。そして、必要とあらば引き金を引くんだ。誰かを守るために...」


 また早口になってしまった。悪い癖だ。マカはまだうつむいている。私は彼の後ろから彼の持っている弩を取り、彼と一緒に矢を装填する。


「いいか、こうやって装填するんだ。かなり力を使うからまずは装填できるようになれ。撃ち方はその次だ。そして、間違っても装填してる状態で仲間に向けるな。平時は引き金に指をかけないようにしてくれ。」


 私が指導している最中も彼は無言のままだ。もしかすると、私は嫌われてしまったのかもしれない。彼はあまり暴力が好きではないと思う。でも、これは仕方ない事なのだ。


「ごめんな、マカ。急にこんな事をしてしまって、でも必要な事なんだ。お前だけが頼りなんだ。」


「わかってる。」


 彼はやっと口を開いてくれた。その言葉を聞いた時、私は少し安心した。


「じゃあ、行ってくる。」


「気をつけてね。」


「ああ。」


 私は急ぎ足で孤児院を出ていった。院長が帰ってくる前に出発したかったのもあるが、これ以上マカと気まずい空気になりたくなかった。私は孤児院を背に、街の門へ歩いていった。







 いつもの門番と会い、他愛ない会話をしてから壁の外へ出た。目指すはラリカ伯爵が所有者がする城、ラルテー城だ。そこに駐屯する騎士見習いラーテに彼の主人であった騎士リフサーの遺品を届けるため向かっている。空き地に隠しておいて正解だった。これまでごろつきに取られていたら、私はきっと発狂していた。


 私が騎士から盗んだ剣をその騎士の弟子に返して恩を売ろうだというのだから、世の中は腐っていると改めて思う。我ながら非道な行いだ。その非道な行いで儲けを出して糧としなければ、剣を盗まれた騎士に申し訳がたたない。


 街道を歩いていると次第に足が痛くなるが、我慢して北西のラリカ伯領へと進んだ。


 足にまめができそうな程だ。日が真上に来るまで歩き続けると目の前に大きな山が見えてきた。その麓にはラリカの街が見えるが、今は目を細めないと見えないぐらい小さい。そして、手前には家々に囲まれ、小さな丘の上に立つ城が見えた。それこそが私の目的地のラルテー城だ。


 城下の家々を通りラルテー城の近くまで来ると、この城がいかに巨大かが分かる。


 エートルの街の壁の倍の高さはあるだろう。まわりには2重の堀と木の杭が打ち付けられている。これらは敵を簡単には寄せ付けないだろう。城の中に入るためには跳ね橋を渡らないといけないが、ここから見る限り2人の衛兵が警備している。他にも兵士が待機していることだろう。跳ね橋の上には弓兵用の高台がある。


 これだけの城を攻略するとなると数百人では落とせないだろう。もしくは、包囲戦による補給線の遮断か投石器による持久戦で場内の敵を苦しめるしかない。これを攻め落とさなければならないサヴァラ伯爵には同情する。


「私はエートルの街のハイエナと言う者です。ここにおられるはずの騎士見習いのラーテ様に御用があり参りました。通行の許可をいただきたい。」


 私は門に近づき、衛兵に話しかけた。2人の衛兵は顔を見合わせた後、1人が城の中へ入っていった。それと同時に別の衛兵が警備についた。


「ここで待て、お前の言う事が本当かどうかラーテ様にお伺いする。」


 私は衛兵の指示どおり真上から日が降り注ぐ中、待機してラーテを待っていた。


「おお、来てくれたか。待っておったぞ。」


 数分後程に城の中からラーテが出てきた。前は兜で顔は見えなかったが、今回は脱いでいた。その騎士見習いの顔は一言で言うなら美人、女性にもてそうな顔立ちをしている。ますます騎士の模範らしい騎士見習いだ。


「ここでは多少苦しかろう。私の部屋へ来い。」


 私は彼に促されるまま、城の内部へ進んでいった。城の中は綺麗に整備されていて、真ん中には木の柵で囲まれた闘技場のようなものがある。他にも厩舎や鍛治屋、商人のような男や武器庫らしき小屋を見かけた。まるで、1つの街のようだ。


「ははっ、そんなに城が珍しいか?」


「ええ、城を見るのは初めてですからね...素人から見ても素晴らしい城だと思います。これほどの城をよく建造できたものだと思いますよ。」


「まあ、この城は帝国時代のものを改修してそのまま使っているからな...」


「どおりで...」


 ラーテに説明を城の受けながら木製の階段を上がり、彼の部屋へ通された。中には大きくて清潔なベッドや机に椅子、防寒用の暖炉、壮麗な鎖帷子の鎧や長剣があった。ラーテは大きな椅子に腰掛け、私は立ったまま彼の発言を待っていた。


「さてと、堅苦しいのは無しにしよう。正直私は爺どもが言う作法など、どうでもよくてね。君も座れ。それで、我が主人の遺品は見つかったのか?」


「はい、こちらに...」


 私は座りながら、遺品である剣を彼の前に差し出した。彼は目の前の剣を取ると、鞘から剣を引き抜き柄頭や剣身をじっくりと観察する。その姿はまるで目利きの鑑定士のようだ。ある程度観察を終えると剣を鞘にしまい、机の上に置いた。


「たしかにこれはリフサー様のものだ。少し削れたラリカの紋章に何度も打ち合った剣身だ。忘れるはずもない。」


「回収できたのはこれだけです。あとは見つかりませんでした。申し訳ありません。」


「よい。剣だけでも戻ってきたのだ。私ももう二度と見ることはできないと諦めていた。お前はよくやってくれたよ。」


 彼は微笑みながら私に賛辞を送った。だが、私は言葉よりも、もっと有用なものを待ち望んでいた。リフサーの遺品を回収してわざわざ届けたのだから報酬もそこそこあるだろう。


「では、これで失礼する。私も戦争に備えなくてはならないからな。」


「え?」


「ん? どうした? まだ何かあるのか?」


 目の前の騎士見習いはふざけているのだろう。主人の遺品を回収した私に何の報酬もなしに帰れと言っているのだ。こんな茶番が許されるのだろうか。


「いえ、ただ私は貴方様に遺品を届けました。その行動に多少の報いがあってもよろしいのではと思っております。」


「ああ、私とした事が忘れていた。すまない。」


「いえ、そんな事は...」


「あいにくだが、私がお前に与えられるものはない。」


「は?」


 騎士見習いとはいえ、高位の者に口答えするのは失礼であると理解しているし、首を切られても文句を言えない事も知っている。だが、こればかりは口答えするしかないだろう。彼は話を続けた。


「現在ラリカ伯領はサヴァラ伯爵に侵攻されている。つまり、戦争中なのだ。1アスの金も物資も無駄にはできない。私も騎士見習いから騎士へと叙任された。」


 彼はそう言いきった。びた一文もやる気はないと宣言したのだ。そして、戦時下において自分が昇進した事もさりげなく自慢した。つまり、全ては無駄な事だったという事だ。それでは、何のためにここまで苦労したのか分からない。私は絶望のあまりその場に立ったまま動かなかった。


「その代わりと言っては何だが、好きな時にここへ来い。私の出来る範囲で稽古をつけて、お前を立派な戦士に変えてやる。」


 目の前の騎士は何を言っているのだろうか。報酬が稽古などと笑わせてくれる。その笑いのせいで私の顔に表情はない。労働の対価が労働とはなんという悪魔であろうか。


「さあ、今から稽古だ。いくぞ!」


「あっ、ちょっ、待って...」


 私の静止も聞かずに、私を部屋から連れ出して中庭に放り投げた。私は受け身を取りながら闘技場の中へ入った。


「今から模擬訓練を始める。お前を鍛えてやるから覚悟しろ。」


 彼は私の前に鎖帷子と兜、分厚い革手袋と木剣を投げた。私はそれを見つめ、覚悟を決める。鎖帷子を身にまとい、少し大きい手袋をはめ、やや臭い兜を被り、木剣を手に取って握りしめた。


「クソったれが!」


「いいぞ、その意気だ。全力で来い!」


 ラルテー城の中庭の闘技場で、衛兵達の歓声の下、私は騎士ラーテによって打ちのめされては看護され、打ちのめされては看護されるのを繰り返した。城には怒号と悲鳴、剣と剣のぶつかり合う音がこだました。







 空は赤い夕焼けとなり、私の身体は限界を迎えていた。手にはマメができ、身体中傷だらけだ。打撲や刺突のせいであちこちが痛む。途中から兜が弾かれて気を失いかけたが、ラーテに水をかけられてすぐ稽古に戻った。彼には人の心がないのだろう。


「素人にしては筋はよかったし、楽しかったぞ。今日は遅いしここに泊まれ、私の部屋を使うといい。」


「それは、ありがとう...ございます。ラーテ様...」


 私は息も絶え絶えで木剣にもたれ掛かっている。このまま中庭で一眠りしたいほど、身体的にも精神的にも疲れている。だが、そうすると傷口から泥が入り病気になるため絶対にできない。はやく屋根の下に入りたいものだ。


「いけませんぞ、ラーテ殿!」


 突然、中庭に怒号が響いた。怒号の主を探すと2階の窓から老人がこちらを見ていた。こちらを睨み付けているようだ。その老人はラーテの方に向き直り話を続けた。


「高貴な騎士ともあろうお方がそんなどこの馬の骨とも知れない者を部屋に入れるなど、あってはならない事です!」


「だが、もう部屋に入れたぞ。」


「そうではありません、もしその男がラリカの暗殺者だったらどうするのですか。それに平民と戯れるのもいい加減にしていただきたい。まわりの貴族や王がどのように思っておられるか知っておりますか?」


「知らんし、どうでもいい。」


「よくありませぬ。とにかく、その男は部屋に入れてはなりませぬ。もしここへ泊まるなら民家の方にしてくだされ! そして、話があるのでここまで来てください。」


「わかったよ爺、うるさいな。」


 言うだけ言った後、老人は窓を勢いよく閉めた。ラーテは気まずそうに頭を抱えていた。どうやら悲しいことに歓迎されていないようだ。私は横目でラーテの方を見る。


「すまないな、ハイエナ。私はお前を泊めたいんだが、教育係はそうではない。悪いが民家の方に泊まってくれ。私は爺のところへ行かなければならない。」


「わかりました。ではまた今度...」


「ああ、また今度...」


 私は2階へ上がる彼を見ながら、これからどうするべきか悩んでいた。民家と言っても泊めてくれる場所があるか分からない。最悪の場合は野宿だ。


「おい、兄ちゃん。もしかして泊まるとこないのか?」


 私に話しかけてきたのは、小さな大男だった。縦に小さく、横に大きい。その姿はまるで元の世界で言うところのドワーフのようだ。


「ええ、残念ながらありません。」


「よかったらうちに泊めてやるぞ。何、金はいらない。ただ...」


「一緒に酒場で飲もうじゃないか!!」


「いいですよ、飲みましょう。」


「よし、じゃあもう一仕事したらまたここに来るから待っといてくれ。」


 そう言って男は鍛治場へ駆けて行った。どうやら鍛治職人だったらしい。ますますドワーフっぽい感じがする。


 私は疲れに耐えながら上を見て、1人夕焼けの空を眺めていた。これからどうなるのだろう。儲けをださなければ、孤児院と自分を救う事はできない。どうにかして儲ける手段を考えなければ、私は餓えて死ぬ。

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