第4話 愚民と騎士

 朝、人間が起きてからの行動は決まっている。朝食を取る事だ。朝食は1日の食事の中で一番重要だと言われている。朝食はエネルギーとなり集中力を高め、心と身体を健康に保つ。だが、ここでは朝食は重要とされないらしい。一般人にとっては食事があるだけ有難い環境である事も関係しているが、なにより信仰が重要なのだ。この大陸における最も基本とされる宗教、聖教が関係している。


 聖教の教典とされる聖書には、朝食を取る事は卑しい行為の一つとされている。敬虔な教徒は朝食など取らず、神への祈りを捧げると書いてある。なぜ朝食が卑しい行為となるのだろうか。これは私の仮説だが、昔は今以上に食べる物がなかった。だから、せめて一食ぐらい我慢して節約しようとしたのだろう。全を生かすために個を殺す、まさに為政者の行為だ。そう考えると宗教というのは奥が深い。


「卵は一人個でパンは2切れずつでいいかー?あと、スープも」


「いいよー、お皿並べとくね。」


 蝋燭の小さな灯りの下、私はマカと一緒に朝食の準備をしていた。私達は一応聖教徒であるが、朝食は美味しくいただく。ラーサ院長いわく、建前と現実を正しく認識して行動する事が大切との事だそうだ。昔ならともかく今は多少マシになっている。特定の価値観というのは、女のファッションのように変わっていく。ただ、一つ心配な点を挙げるとすると、敬虔な聖教徒にこの光景を見られた場合、凄惨な殺し合いが始まる点だ。


 次第に子供達が起きてきて席に着く。眠そうな顔を擦りながら談笑する子供達を見て、朝の苛立ちも幾分か和らぐというものだ。


「帰りました。」


「あ、先生お帰り、お疲れさま。」


 やや疲れたような声ではあるが、どこか安堵した様子でラーサ院長は帰ってきた。子供達は彼女を優しく迎え入れる。マカは疲れた院長から荷物を預り、彼女の部屋に置きに行った。


「院長、朝食できてますよ。席に着いてください。」


「ええ、ありがとう。」


 戻ってきたマカと一緒に出来立ての朝食を並べる。朝食の内容は、やや焦げ目のついた卵焼きと野菜スープ、パン2切れずつと少なめだ。だが、これでも多い方で、普段なパンだけで、厳しい時は食事無しだ。昨日の稼ぎのおかげで今日は豪華だ。


 卵、我々の生活に欠かせない食材の一つだ。卵料理は帝国において人々の夕食に必ず登場し、現在でも貴族を中心に主要とされる。エートル、エリン、ラリカ、サヴァラを含めた南スラーフでは畜産が盛んであるため、一般市民でも比較的入手しやすい。そのため、南スラーフの民は卵に親しみを持っている。


「神よ、あなたの慈悲に感謝し、これを頂きます。我々を卑しきもの達から守護する糧としてください。あなたの大いなる奇跡によってお救いください。神よ。」


「「「  神よ。  」」」


 朝の祈りを終えて朝食を取る。私達にとって、朝の祈りは形式的なものであり、祈りは1日1回だけだ。頻繁に祈るぐらいならもっと有意義に時間を使う。ただ、まったく祈らないのも良くない。祈りは感謝の現れ、道徳心の現れでもある。教育が知性をつくるとしたら、道徳は人間性をつくる。つまり、祈りは理性を形成する要素の一つなのだ。


 朝食を取っている間、子供達同士でおしゃべりしていた。心なしか、昨日の朝食の時より元気に見える。院長もいつもより微笑んでいる。昨日は苦労した甲斐があるものだ。彼女達の笑顔が私の心の支えの一つになる。


「ハイエナ君、今日も働きに出るのですか?」


「ええ、今日は昼に帰って来れないかもしれません。もしかしたら夜までかかるかも。」


「そうですか...無理はしないでくださいね。」


「ええ、勿論です。」


 皆が食事を終えるのを待ち、壁を眺めている。院長には労働すると言ったが、それはない。今日は昨日の稼ぎの回収に行かなければならないのだ。戦利品の半分を茂みに、半分を埋めてある。誰かに回収されていない事を願うばかりだ。


 不安は他にもある。回収した戦利品を金に変えなければならない。問題なく買い取ってくれる商人を見つけなければならないし、何より武器の密売が衛兵にバレたら死刑になるかもしれない。不安ばかりだが、私は自分と孤児院のために腹を括る。







 朝食の片付けをした後、私は不安半分と期待半分で孤児院を出た。いつも通りの道を通って街へ向かい、何の障害もなく門を通る事が出来た。前回多めに賄賂を渡したため、後2回ぐらいなら普通に出入りできるだろう。


 日が昇っているとは思えない程の薄暗い森を駆けぬけ、昨日の戦場へ向かう。時折聞こえる鳥の声や獣の息のような音が戦場へ向かうごとに大きくなっていくのが感じられる。野生動物や怪物が戦場に集まって欲しくないものだ。作業の邪魔になるし、なにより命の危険も伴う。


 まだ疲労感の残っている脚を動かしながら、万全とは言い難い体調に耐えて戦場にたどり着いた。


 離れていても漂ってくる血と鉄の匂いが、私の鼻を通り抜けていく。腐敗とはまた違う匂いだ。匂ってはいけないはずなのに、何度も匂ってしまうような香り、感覚としてはガソリンに近い。勿論ガソリンの匂いや性質とは似つかないが、人によっては中毒性のある匂いだ。


 私は真っ先に隠してある戦利品のもとへ向かいたかったが、まずは死体漁りを始める事にした。何かあった時のために、戦利品を回収するのは最後の方にしておきたい。死体漁り用に持ってきた服に着替え、血と腐臭から鼻と健康を守るためのマスクを着用する。準備は整った。


「最悪だ...」


 作業をしていると自然とそんな言葉を漏らしていた。死体の中で作業するのは中々に精神的にくるものがある。自分の精神が崩壊しない事を願うばかりだ。そして、それとは別の意味もある。思っていた以上に残っている装備品が少ないという事だ。鎖帷子や兜、戦闘用タイツ等の防具は勿論のこと、剣や槍、盾等の武器もほとんどなかった。おそらく、戦闘に勝利したサヴァラ伯の軍勢が略奪していったのだろう。一瞬憤りを感じたが、そもそもここの死体から取れる戦利品は彼らの物だ。それを無断で拝借しているのだから、私が盗人なのだ。彼らに文句を言う筋合いはないし、逆に攻められる立場にいるのは私だ。


 死体が散乱する中、確認を終えた死体を炎の中へ放り込んでいた。死体はどれも痩せこけているし、野生動物に食い荒らされて減量しているものが多いため、意外と軽かった。それに、サヴァラ伯の軍勢がある程度集めておいてくれたようだ。だが、子供にとって重労働である事に変わりなかった。


 なぜこんな事をしているのか。装備を剥いだ確認のためというのもあるが、放置された死体は病気の元となる。そして、その被害を被るのは地元だ。ラリカとサヴァラの戦いのせいでエートルに伝染病が蔓延するなんて事は避けたい。


 燃やしていた死体の山が崩れたため、急いで直しに向かった。フォークのような農具で燃えている死体を山の中へ戻そうとするが、上手くできず体力を消耗するだけだった。しばらく苦戦してやっと戻すことが出来、私はため息と共にうなだれた。


 顔を上げると周りにちらほらと人が見えた。よく観察してみると人間、ボロを纏った農民だとわかった。彼らも生活が苦しいのだろう。戦場を漁って生活費の足しにしようとする彼らを見て、鏡を見ている気分になった。声をかけてみようか。協力すれば効率よく作業を進められるだろう。


「すいません。一緒に協力...」


「ヒッィ!?」


 話かけた農民は酷く怯えていた。まるで捨てられた子犬のように震えながらこちらを見ている。靴も履いておらず、服も布を被って腰に紐を巻いて固定したボロボロのものだ。


「えっと、別に危害を加えようとしている訳じゃないんです。ただ、一緒に死体漁りできないかと思って...」


 私はまるで外国の旅行者が拙い言葉で現地人に道を訪ねるような姿になっているはずだ。このような場所で冷静にいられるのは余程の才能の持ち主だけなのだ。


「私はあそこ...死体を焼いてる所で死体漁りしていましてね、人手不足なんですよ。だから、協力して欲しいんです。もちろん、報酬も出しますし、手に入れた装備品も分け合いましょう。」


「...」


 目の前の農民は黙っていた。無理もない、大きめの子供とはいえ怪しげな格好で戦場跡を死体漁りしているのだから警戒して当然だ。


「その...報酬はなんなんですか?」


「はい?」


「えっと...報酬は何を...」


「良かった手伝ってくれるんですね。報酬は...そうですね、私の集めた装備品の2割でどうでしょうか。もちろん金や食料品でも大丈夫ですよ。」


「じゃあ装備品で...あの、私仲間がいるんです。向こうで漁ってる彼らを呼んできていいですか?」


「ええ、勿論です。その場合、報酬に関しては2割のままですが、そこは応交渉という事でお願いします。」


 そう言って私は彼に仲間を呼んでくるように促した。彼は急いで仲間を呼びに行き、私は自分の漁り場所へと戻った。


 しばらくして、彼は5人程の仲間を引き連れてきた。私は名前を言おうとした彼らを止めた。同業者の名前を聞くのは色々な危険を伴うものだ。だが、ここに来た理由は聞いた。全員が近くの村に住んでいるらしく、盗賊や怪物のせいで生活が困窮しており、生活の足しにするためここへ来たらしい。


 彼らがここへ来たのは私より前だったらしく、ずっと茂みに隠れていたという。なんでも、彼らが来た時、すでに別の小集団が占拠していたらしく、漁る事が出来なかったそうだ。だが、その集団が死体漁りを始めて間もなく、腐敗した獣のような怪物が複数襲ってきたらしい。集団は悲鳴をあげながら食い殺されていき、生き残った者達を追いかけて怪物は消えた。そして、彼らは恐怖で動けずにいた。そこへ、私が来て何事もなく死体漁りを始め、しばらくたっても何事も起こらず安全だとわかったため出てきたようだ。


 私が来る前にそのような事があったとは正直考えたくなかった。もし早めに来ていたら怪物に殺されていたのは私だったのだ。背筋が凍りそうだ。


「取り敢えず作業しましょう。2人が死体を焼く係、3人が死体漁りと分別の係、2人が見張りを行うという感じでお願いします。戦利品は一ヶ所に集めるようにしてください。あと、私に危害を加えたり、誰か1人でも集めた装備品を隠したら報酬はありません。まあ、仲良く死体漁りしましょう。」


 それからは皆で役割分担をして作業した。私は死体漁りの係だ。農民達の前でああ言った手前、取ったものを懐にしまう事はできない。だが、人手が多い事は良いことだと思った。比較的重労働をしなくて済むし、効率よく作業を進められる。それに怪物や盗賊が来ても囮がいるという安心感が私の作業効率を高めた。


 ある程度時間が経ち、死体漁りと死体処理も終盤に差し掛かった。時間はまだ昼、私1人で作業をしていたら夜までかかっていたかもしれない。これも農民達のおかげだ。報酬を弾むべきだろうか。


「おい、貴様ら何をしている。」


 その時までは農民達へのボーナスを考えるほど余裕があった。怒りのこもったその声を聞いて、私の気分は最悪になっていった。


 声のする方へ向くと、そこには完全武装した兵士が立っていた。羽飾りのついたバケツ型の兜、鉄板で補強された鎖帷子に全身を覆われ、右手に槍と左手にアーモンド型の盾を持っている。背中には槍に近い斧を背負っていて、その気迫はまるで鬼だ。兜で表情は見えないが、どうやら怒っているようだ。


「貴様ら、死体漁りの農民共か。誇りを持って死んでいった英雄達の亡骸に触るな。殺すぞ。」


「貴方はいったい...」 


「卑しき者には名乗らない。」


 戦うべきだろうか、逃げるべきだろうか、それとも話し合うべきか。相手は兵士だ。武装具合から見て、高位の兵士、もしくは騎士の従者である事は間違いない。子供の頃から訓練を積み重ね、騎士の護衛として高い能力を持つ者達だ。どちらにせよ、完全武装の者に挑むなど自殺行為だ。


 相手は重装備、もしかすると逃げられるかもしれない。だが、確実に逃げ切れる保証もないし、逃げれば今までの苦労が水の泡となる。怒り具合と先程の会話から話し合いも難しいかもしれない。


「弁明も無しか、なら叩き切る!!」


「お待ちください!! 何卒お慈悲を!!」


 気付けば私は彼の前へ出ていた。逃げれば良かったかと後悔するも、助かるために何も悪い事は考えないよう思考した。


「私達は死体漁りをしていた訳ではありません。供養と怪物への抵抗をしていたのです。」


「供養だと。」


「ええ、その通りです。気高い騎士様や勇敢に死んでいった兵士様の無念を取り除くため墓標を作っている途中なのです。」


「では、あれはなんだ!! 英雄達の亡骸を粗末に扱い、燃やすことが貴様らの供養とやらか!!」 


「いえ、それには理由があります。私達の労力では全員分の墓をつくる事はできないため、火葬という形にさせていただきました。火葬であれば、怪物や盗賊に墓を荒らさせれる事もありませんし、ここの住民への被害も少なくなります。また、死者の灰を埋めて墓をつくりますゆえ、何卒お慈悲をお願いします。」


「...」


 目の前の兵士は何も言わない。助かったのだろうか、それとも私を殺す準備をしているのだろか。無言の彼を前に、私と農民達はただ待つしかなかった。


「では、悪意ある行為では無いと言いたいのだな。」


「ええ、勿論です。」


 悪意というより私意ではあるが、少なくとも死人を辱しめたいからこんな事をしているという訳ではない。自分達の生活のためにこんな事をしているのだ。嘘は言っていない。


「貴方が勇敢で気高い戦士であるなら、英雄達に尽くす者を殺すなんて真似はしないでしょう?」


「...」

 

 兵士は私を見てしばらく動かなかったが、こちらに突きつけていた槍先を下に向け、構えていた盾も下ろした。


「いいだろう、私も好んで人殺しがしたいわけじゃない。それに、私がここに来た理由は主人の回収だ。」


「主人の回収?」


「まずは、非礼を詫びよう。遠目だと、お前達が盗人にしか見えなかったからな。そして、改めて名乗る。ラリカ伯爵の騎士リフサー様の従者ラーテだ。」


 やはり騎士の従者だったようだ。騎士の従者は騎士見習いとも呼ばれる。数年、あるいは十数年の訓練を経て騎士に任命される。騎士は騎馬技術の改良によって軍事的な重要性を増し、有力な戦士として戦闘の主力とされるようになった。高い機動力と技術を持つ最強の職業軍人だ。


 王や貴族も自らを騎士と称するため、騎士とは特別な身分を意味するようにもなった。一般人からすると、一言で形容できない存在でもある。尊敬を向けるべきお方、高貴な人物、平和だと唯の盗賊、殺人鬼、野蛮人などその名は多岐にわたる。


「私は此度の戦いにおいて、戦死した騎士リフサー様の遺体を探しにきた。」


「遺体ですか?」


「ああ、あの時我が軍は無念にも敗戦を喫した。その際、リフサー様は勇敢にも敵の騎士と戦い、死亡した。私達は敵の追撃を受け、遺体を回収する事も出来なかった。だから、ここへ戻ってきた。」


「そのような理由が...」


 まさか、あの騎士の従者だったとは思わなかった。しっかりと戦いを見ていた者からすると、あの騎士はどこか頼り無さそうな感じでお世辞にも騎士らしい騎士とは呼べそうになかった。目の前の従者の方がよほど騎士の風格と行動力がある。危険をおかしてまで主人の亡骸を取りに来るのは大した忠誠心だ。


「でも、その必要はないようだ。お前達が火葬してくれるなら安心だ。私にとって我慢ならないのは、主人が動物や怪物共に食い荒さる事だ。人の手で葬られるなら主人も安堵している事だろう。」


 そう言った彼は先のもの凄い気迫からは考えられない程、穏やかで優しい口調になっていた。


「私も火葬を手伝おう。」


「え!? いや、ここは人手が足りておりますので大丈夫です。」


「なんだ、なぜ遠慮する。私が役に立たないと言いたいのか?」


「そうではなく・・・我々は貴方様の身を案じているのです。貴方は勇敢な戦士ではありますが、ここは敵地です。いつなんどき敵部隊が現れるやもしれません。」


「そうではあるが、せめて主人の遺品を...」


「それなら、私が遺品となる物を見つけ、貴方のもとまで届けます。」


「お前に出来るのか、この戦場から1人の装備品を見つけ出すのは至難の業だぞ。」


「問題ありません。必ず見つけます。」


「そうか、では頼む。もし見つけた場合はラリカ伯爵の最前線の城、ラルテーまで来い。それと、お前の名と住んでいる場所を聞いておこう。」


「名はハイエナ、エートルに住まう者です。」


「ハイエナ、お前はその年にしては多少口が回るようだ。体躯も子供にしては良い。それと...逃げようと思わない事だ。騎士というのは意外に執念深く約束を大切にする。では、城で待っておるぞ。」


 彼は鎖帷子の隙間から笛を取り出して吹いた。十数秒の後に、森の方から馬が現れ、彼の方へすり寄っていった。彼は騎乗すると颯爽と駆けていった。私と農民達は彼の背中が見えなくなっても、暫く固まっていた。

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