第2話 戦争と私
私が転生した土地には国家がなかった。というより、色々な人間が領主となり、入れ替わり立ち代わりするため国家の興亡が激しい。実際のところ、現在自分の住んでいる土地がどこの領主によって治められているかも分からない。特定の土地に複数の領主法があり、誰もが領有権を主張している。そして、領有権の主張が行き着く先は戦争だ。
領主同士が戦争する際は領民が動員され、過酷な戦場へ駆り出される。戦争で負けた場合、領主は身代金目的で相手方に保護されるが、領民はそうじゃない。大抵は殺されるか、奴隷となり市場へ売られる。戦争で生き残ったとしても、自分の農地は荒れ果て、生活に困窮する。そして、貧困に喘ぐ農民達は盗賊となり他の村々や通行人を襲う。これが繰り返されているため、いつまで経っても平和は訪れない。
今日は労働しなくてもいい日だ。ラーサ院長いわく、労働する上で適切な休息ほど大切なものはないとの事だそうだ。孤児院の皆と一緒に昼食を取った後、私は街中へと出掛けた。
私の住まう街と土地はエトールと呼ばれている。第2の故郷であるこの街は元々帝国の防衛施設であり、領土を拡張していく中で、帝国軍にとって軍事的に重要でなくなったため交易の中継地点へと変えられた。帝国が崩壊する前にここを治めた領主は帝国軍の百人隊長を務めた軍人であり、人望の厚い人だったと聞く。彼は人民の生活のために奔走し、街の経済、教育、衛生面を改善した。そして街の拡張や交易費用の見直しによる更なる経済発展をもたらし、この街を帝国首都にも劣らぬ街へと変えたらしい。
だが、帝国の崩壊と共に戦争が巻き起こり、軍を退役したはずの彼も将官として戦争に駆り出された。住民は彼に残って欲しいと懇願するも、彼は国と人民のために、戦友を率いて戦いに出たという。そして、彼が帰って来ないまま数十年以上の年月が経った。
偉大な指導者を失った街は怪物や異民族の襲撃もあって大きく衰退していった。怪物や盗賊が交易路に溢れているため、交易を使って復興する事もできない。そのため、街のいたる所が修復されないまま放置されている。
壁が崩れ落ちた民家や道端に散乱している瓦礫を横目に、街一番の大通りとは思えない程に、荒れてしまった道を歩いている。時々通行人や露店を見かけるが、どこから暗い雰囲気だ。まるで街全体がスラム街のように感じる。
大通りから横路に入り、さらに暗く陰気な狭い裏路地を進んでいくと、少し広めの空き地に出た。その空き地の真ん中には5メートルほどの木が一本だけ生えている。街の雰囲気とは対照的なほど青く生い茂っていて非常に美しい。私はその木の下に腰掛け、木にもたれ掛かりながらくつろいだ。何も考えず、じっとしているとだんだん目蓋が重くなってきた。
「起き...皆来てる...」
一方的に眠気が勝る中、ふいに声が聞こえた。活発な声ではあるが、私にとっては聞きなれた声だ。聞いていて安心する声でもある。
「起きろ!!」
「はぁっ!?」
雷かと思うぐらいの声が耳に響き渡り、私は飛び起きた。目をこすりながらあたりを見回すと、私と同年代、もしくは年下の子供が7~8人いた。
「やっと起きたね。眠り深すぎでしょ。次は寝坊しないでね、ハイエナさん。」
私を起こし、説教を垂れる目の前の子供は同じ孤児院のマカという少女...いや、少年だ。彼は見た目は女だが、ナニはついている。私自身、一緒に水浴びした時は彼の裸を見て信じられなかった。彼いわく、この顔のせいで時々からかわれるから、あまり好きではないとの事らしい。私からすると黙っている限り、非常に可愛らしい顔で、目も緑色で素敵なのだが。
「すまん、一番に来たから時間あると思ってつい寝ちゃったんだ。で、もう皆来てる?」
「うん、全員来てるよ。あ、あとハイエナはあれ持って来た?」
「なあ、ハイエナって言うの止めてくれないか?」
ハイエナ、この世界における私の名前だ。同胞ならハイエナと聞くと、例の動物を思い出すだろう。ライオンの狩りの成果を横取りする泥棒のような動物というイメージだ。名前につけるものとしては、中々酷い単語だと思う。だが、この世界では素晴らしい名前とされる。帝国建国より遥か前に存在した英雄の名前からいただいたのだ。だから、この世界の人間にとってハイエナは名誉ある名前だ。それを聞いた私は、ここは異世界だと改めて認識し、2つの意味で落ち込んだ。
「いいじゃん別に、ハイエナって名前は格好いいと思うよ。なんで呼ばれたくないのさ。」
「とりあえず嫌なんだよ。理由は別にいいだろ。」
「まあ、別にいいけどさ。それで、あれ持ってきてくれた?」
「ああ、もちろん。ほら」
私は持ってきてきた鞄から小袋を取り出し、中に入っている物を見せた。
「おお、すごい。」
マカをはじめ、子供達は私の手のひらに置かれた複数のデナリ銀貨を凝視していた。貨幣は大まかに分けて4つある。アス銅貨、セステル青銅貨、デナリ銀貨、アウレ金貨があり、大体は銅貨4枚で青銅貨1枚、青銅貨4枚で銀貨1枚、銀貨25枚で金貨1枚となる。1アスで買えるのが1キロのパンか1リットルの安ワインだ。だが、この物価は本の中に書いてあったもので、実際は違う。大陸の物流はほぼ死んでいるため、値段は高騰しているし、貨幣経済なのは都市部や一部の村であり、農村部は現物経済が主流だ。
「よし、じゃあ行きますか。」
「どこ行くのねーちゃん?」
「ねーちゃんじゃないって!!」
彼より少しばかり幼い子供が軽く叩かれながら、ウッと小さい声をあげた。私はこのやりとりを何度見たことだろうか。平和だと感じながら彼が話す内容を集中して聞いた。
「この街は退屈でしょう?いつも走ったり飛んだりして遊ぶぐらいで楽しみが少ない。だから、外に出て見る。」
「外に?でも危ないよ~。」
「それに門番の人どうするの。」
子供達が可愛らしく、彼に質問していく。自分にもこんな時期があったのだろうかとふと考えた。身体は子供なのに、頭はおじさん寄りの若者なのだ。そんな考えになるもの仕方ない。
「大丈夫。そんなに遠くまでは行かないし、目的地までの道は予習済みで安全、門番に関してはこの銀貨使って買収するから問題なし。」
「おお、ねえちゃんすげー」
彼はがっくりと肩を落としたと思うと、気を取り直して元気よく出発した。私も賄賂の準備をして、彼らの後を追った。
前々からマカは私に退屈だと愚痴っていた。そんな彼を見て私は外に行かないかと持ちかけたのだ。彼の落ち込んだ顔を見たくなかったし、私も陰気な街で辛い労働の癒しをするより、外の方が良いと思ったのだ。外へ出るために街に来ていた行商人から財布と外の情報を聞き、買収や下見等の事前に準備した。それを彼に告げると案の定食い付き、他の皆も連れて行こうと言い出した。友達の元気になった顔を見た時、私は嬉しかった。
「今日も門番いるな。」
「そりゃいるに決まってるよ。」
私達は狭い裏路地を移動して街の門の前までたどり着いた。幸いな事に、今日は人気が無いため子供が門を通過しても怪しむ人間はいない。私は鞄から金の入った小袋と安物ワインを取り出し、門番の所へ向かった。
「こんにちは門番さん。今日もご苦労様です。」
「おお、ハイエナか。今日も来たのか。前はお前の通過がバレたせいで大目玉くらったんだぞ。」
「ああ、その時はすいませんでした。お詫びにこれを...」
そう言って私は門番に安物ワインを渡した。行商人の金で本人から買ったものだ。
「おっ、悪いな。」
「門番さん、今日も頼みますよ。友達もいるんです。」
すかさず彼に小袋を渡した。彼は不思議そうに小袋を受け取ると、中身を確認してニヤリと笑った。そして、小袋を自分の革鎧の留め具に固定した。
「だがな、前回はお前のせいで、皆の前で隊長にこっぴどく叱られたんだ。通すわけにはいかない...」
殴ってやろうかと思ったが、相手は衛兵だ。分厚そうな服の上に鎖帷子と革鎧を着用し、片手には槍を持っている。そんな武装した人間に喧嘩を売るなど自殺行為だ。諦めて戻ろうかと考えた。
「おっ、マカちゃんじゃないか。」
どうやら大将は諦めないらしい。私は彼に譲った。
「門番さん、通してくれない?」
「いや~だめだよ。許可書とか持ってないでしょう?それに子供だけで外に出るなんて危険だよ。」
門番は笑顔で綺麗事を言っているが、確実に自分の利益のために行動している。それを差し引いても、金を貰ったのに通さないのはいかがなものかと思う。
「そういえば、門番さん。3日ぐらい前に隣の家の奥さんと会ってたらしいね。そんな事が門番さんの奥さんと教会の耳に入ったら大変だよね。」
門番の顔が引きつった笑顔に変わった。おそらく覚えがあるのだろう。効果抜群だ。
「通さないとバラすぞ。」
「分かった、通ってよし...」
「ありがと。さあ、行くよ。」
彼は子供達を連れてさっさと門の外に出て言った。私は門番に呼び止められた。
「ハイエナ、夕方には門を閉じるからちゃんと戻って来いよ。あと、気を付けろよ。」
「ええ、ありがとうございます。ああ、言い忘れてましたが、酒場に新しい酒が入荷したらしいですよ。あと、美人の給仕係、今日来てるらしいです。」
そう言って私は門の外へ出て行った。石壁を少しくぐるぐらいの事なのに、外の空気は街のそれより遥かに清々しく感じられた。
「まだ~?ハイエナおにいちゃん。」
「まだだよ~。もうちょっとだから我慢してね。」
私達は丘陵地帯に生い茂る木々の中を北へ移動していた。途中で疲れた子供達を背負ったりしながら目的地へ向かっている。労働年齢に達していない子供達まで連れて来たのは失策だったと思い始めていた。
「賄賂渡したのに無駄になっちゃったね。ごめんね、ハイエナ。」
マカが話しかけてきた。どうやら彼は門番に渡した10デナリの事を言っているらしい。彼が謝る事ではないのにお優しい事だ。
「いや、大丈夫だ。まだ、金はあるし、なによりあの豚を共犯にできた。だから無駄じゃない。」
「共犯?」
「ああ、奴はたぶん、酒場に行くだろう。そこで貰った金を使う。分け前っていうのは共犯者の意識を植え付けるものさ。お前はその金を使ったから仲間だぞと。それに、私達は子供だ。子供が外に出る程度なら罰は説教ぐらいだし、困ったら皆で泣けばいい。泣くのは、子供と女の特権ってな。」
私がそれを発言して以降、マカは何も言わない。引かれたのだろうか。私は自分の意見を言う時、少し早口になるため、その点を直したいといつも思っている。
しばらくして、ようやく目的地が見えてきた。森を抜けて、目に入ってきたのは広い草原だった。風に揺れる短い草が音をたてている。まるで草の合唱だ。
「すごーい。ひろーい、あそぼー。」
子供達が無邪気に草原へ駆けようとするが、すかさずマカがそれを止めた。
「だめ、危ないよ。取り敢えずここでひと休みしよう。」
そう言って彼は私の鞄からチーズを取り出し、子供達に均等に配った。おやつ代わりだ。マカと子供達は木陰に座り込み楽しそうにしている。私は周囲を見渡しながらいつ来るかと考えていた。
しばらく草原を見渡していると東側に複数の人影が見えた。人影は徐々に増えていき、その数は数百人規模になった。
「来た、来たぞ!」
私はマカと子供達に促して立たせた。その時、西側からも複数の人影が見えた。
「おにいちゃん、あれは?」
「サヴァラ伯とラリカ伯の軍勢だ。」
サヴァラとラリカ、この2つの勢力は互いにエートルの領有を主張している。そして、それぞれの領主は互いに仲が悪いため、常に戦争している。偉大なる指導者以降、エートルの領主は不在であるため両者はエートル領有を狙っているが、その背景にはエートルの南側にあるエリン伯の治める豊かな街ラコテへ進出したいというものがある。
「合戦?凄いね。」
「ああ、凄い。それも数百人規模の大戦だ。」
「先生が教えてくれた物語に出てくる騎士とかいるかな?」
マカや子供達は夢物語の聖騎士の決闘や格好いい兵士達を想像しているに違いない。私に出来るのはその夢を壊さないために何も言ってやらないことだけだ。彼らはおやつのチーズを食べながら合戦が始まるのを待っている。
草原に両軍が整列し、今まさに戦闘が始まろうとしている。先に動いたのはラリカ伯だった。丘の上から弓兵が前進し味方歩兵の前で止まると、矢を取り出しつがえ、敵へ放った。サヴァラ伯の軍勢は歩兵を中心に弓兵の数は少なかった。歩兵が盾を構えて亀のように固まり壁をつくった。矢の雨が降り注ぎ、何人か死んだのが見えた。矢の雨が終わると、サヴァラ伯の軍勢も負けじと矢を放った。それに答えるようにラリカ伯側の弓兵も順次矢を放つ。サヴァラ伯の歩兵隊は盾の壁を作りながら徐々に敵へ進軍していく。火力に勝るラリカ伯が優勢に見えるが、サヴァラ伯の歩兵隊も粘り強く耐えている。だが、歩兵隊の消耗はかなり激しいようだ。
ラリカ伯の歩兵隊が敵歩兵の突撃に備えるため味方弓兵の前に出た時、北側の森から騎兵隊がラリカ伯の弓兵側面へ突撃した。突然の出来事に弓兵はなすすべなく蹂躙され、混乱している。だが、ラリカ伯の歩兵隊は動かず、代わりにラリカ伯本陣の少数の歩兵隊が救援に向かったようだ。
ラリカ伯の弓兵が沈黙した隙をついて、サヴァラ伯の歩兵隊が突撃を開始した。歩兵隊同士の戦闘は凄まじいものだ。怒号と悲鳴、剣のぶつかり合う音、遠くからでも派手な血飛沫が見える。見てるだけで気分が悪くなるが、なぜだろうか。私にはその光景が懐かしく感じられる。
「ねえ、もう帰ろう。」
不意にそんな事を言われ我に帰った。どうやらマカや子供達はお気に召さなかったらしい。子供達は怯え、声は小さかった。
「合戦なんて見たことなかったから、楽しいものだと思ってたけど、そうじゃなかったみたい。もう帰ろう、ハイエナ。」
「あ、ああ...そうだな。」
「皆、帰るよ。」
マカは子供達の人数を確認した後、手を繋ぎながら元来た道を戻ろうとしていた。私も鞄を取り、戦場へ背を向け帰ろうとした。その時、戦場の方に光るものが見えた。私は不思議に思い、戦場へ振り返る。
合戦は形成が逆転し、サヴァラ伯爵が優勢となって敵を押している。ラリカ伯爵は弓兵を見捨て歩兵隊から少数の殿を残し、全軍退却しているようだ。それを追撃せんと、サヴァラ伯の軍勢は総攻撃をかけている。
その戦場の真ん中において、今まさに2人の騎士が決闘しようとしていた。双方ともに騎乗しており、サヴァラ伯側の騎士は槍を、ラリカ伯側の騎士は槍と盾を持っている。ラリカの騎士が馬の腹を蹴り、敵へ向かって行く。サヴァラの騎士が前かがみになり、馬はそれに答えるように前進する。十分な速度が出た両者は、槍を前に突き出した。
結果は、一つの首と盾が宙を舞い、ラリカの騎士はその生涯を馬の上で終えた。
2人の気高い騎士達が敵を見据え、神聖な決闘を行っていた時、私は彼らの装備を見ていた。他の兵士とは一線を画す装備品だ。バケツ型の兜、派手なタバードがついた全身を覆う鎖帷子、状態の良さそうな剣が私を惹き付けた。
「あれを売ったらいくらぐらいだろうか。」
「ハイエナ?どうしたの?」
後ろから友人の声が聞こえる。普段ならその声で落ち着くはずだが、今に限っては興奮冷めやらなかった。死んだ騎士から装備を奪い、売れば金になる。その金で先生や皆に良いものを食べさせられる。今なら追撃でほとんど兵はいない。
「マカ、先に帰っててくれ。」
「え? 何、どうしたの? 残るの? 危ないよ。」
「分かってる。もう少し観察してから追いかけるよ。だからさ。」
「そう...わかった。早く来てね。」
そう言って彼は子供達の手を引いて帰っていった。私はそれを確認した後、戦場へ走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます